2020年現役選手の背番号「33」

2020年各球団の背番号「33」は下記の選手が背負っている。

西武:リード・ギャレット投手
ソフトバンク:増田珠内野手
楽天:銀次内野手
ロッテ:南昌輝投手
日本ハム:立野和明投手
オリックス:松井雅人捕手
巨人:太田龍投手
DeNA:乙坂智外野手
阪神:糸原健斗内野手
広島:菊池涼介内野手
中日:祖父江大輔投手
ヤクルト:マット・クック投手

不在:0球団
永久欠番:0球団
投手:6球団
捕手:1球団
内野手:4球団
外野手:1球団

どちらかと言うと、内野手の番号として使用されることが多かった背番号「33」。菊池涼介(広島)や銀次(楽天)、糸原健斗(阪神)らヒットメーカーが背負うが、畠山和洋(ヤクルト)は引退、山川穂高(西武)は「3」に変更したため、2020年は投手の方が多くなった。

大田泰示(日本ハム)も巨人時代に「55」、「44」と背負い、日本ハムでは三たびゾロ目の「33」を背負っていたが、2019年から「5」に変更している。捕手や外野手、外国人も背負っており、特定のイメージはないと言えるだろう。

2度目の監督で背番号「33」を背負った長嶋茂雄監督

1992年オフに長嶋茂雄氏が2度目の監督に就任した際に選んだのが「33」だった。現役時代の「3」を2つ重ねてこの番号を選んだ。

第2次長嶋政権において長嶋監督が初めて参加した1992年ドラフト会議では、4球団競合だった星稜高校の松井秀喜を抽選で引き当てている。当たりくじを確認した瞬間に満面の笑みを浮かべ、サムアップしたシーンは有名だ。

就任4年目となった1996年も印象的だった。巨人は7月上旬の時点で、首位の広島に11.5ゲーム差をつけられていた。しかし、ここから驚異的な追い上げを見せ、逆転でリーグ優勝。「メークドラマ」と長嶋監督は呼び、新語・流行語大賞にも選ばれた。

1999年まで7シーズンを背番号「33」で戦い、リーグ優勝2回、日本一1回の成績を残す。当時は現役時代からONに闘志を燃やした野村克也監督率いるヤクルトと毎シーズンのように首位を争った。野村監督はデータを中心とした「ID野球」を提唱。長嶋監督の野球を「勘ピューター」と皮肉り、「長嶋巨人vs野村ヤクルト」は常に注目を集めていた。

第2次長嶋監督時代は1993年から2001年まで続いたが、背番号「33」は1999年までの着用となっている。広島からFAで加入した江藤智に譲り渡したためだった。

江藤智、広島の主砲から巨人の主砲へ

広島で主砲として2度の本塁打王を獲得した江藤智。1988年ドラフト5位で関東高校から広島へ入団し、当時は内野手ではなく捕手としてプレーしていた。高卒ということもあり、1年目は一軍での出場機会はなかったが、二軍での活躍もあり、同年オフには背番号「51」から「33」へと変更になる。

1991年に捕手から内野手へ転向すると出場試合数を増やし、1993年にはレギュラーに定着。34本塁打を放ち自身初の打撃タイトルを獲得した。さらに1995年には39本塁打、106打点で二冠王に輝くなどリーグ屈指の強打者へと成長した。

当時の広島打線は金本知憲、緒方孝市、野村謙二郎と多くの名選手がいたが、その中で江藤は主軸を張っていた。

江藤の転機は1999年オフ。FA権を行使し、巨人への移籍を決めた。この時、巨人は江藤へのラブコールのひとつとして、長嶋茂雄監督が背負っている背番号「33」を提示。長嶋監督は「33番を江藤君に譲って3番をつける」との発言をしている。これらの言葉も移籍を決める一つの要因となり、巨人に6年間在籍した。

豊田清の人的補償で2006年から西武に移籍し、2009年に現役を引退。最後にプレーした西武でも「33」を背負った。

通算防御率1.99は歴代第4位の若林忠志

戦前から戦後にかけて大阪タイガース(現阪神)、毎日オリオンズ(現ロッテ)で活躍した若林忠志。通算237勝を挙げた名投手だ。

大阪時代の1939年に28勝を挙げると、1944年までの6年で5度の20勝以上をマーク。1944年には22勝4敗、防御率1.56の成績で最多勝、最優秀防御率、最高勝率のタイトルを獲得している。太平洋戦争を挟み1949年まで大阪でプレーした。

1950年にセ・パ2リーグ制に分立すると、パ・リーグの毎日に移籍。往年の力はなく、3年間でわずか4勝に終わっている。この毎日時代に背負った背番号が「33」だった。

16年間の現役生活で237勝144敗、防御率1.99の記録を残している若林。防御率1.99は歴代4位となっており、2000投球回以上でプロ野球史上4人しか存在しない通算防御率1点台の選手でもある。1965年に胃がんで亡くなった際にはプロ野球葬が行われた。

選手時代は背番号がなかったホーナス・ワグナー

メジャーリーグにおけるレジェンドのひとりでもあるホーナス・ワグナー。ワグナーのトレーディングカードは希少価値が高く、保存状態のよいものは1枚2億円で取引されることもあったほどだ。

元々はたばこの“おまけ”として配布されたワグナーのカードだったが、カード欲しさゆえに子供がタバコを買うことをワグナー自身が快く思っていなかった。そのためカードを回収させた結果、当時市場に出回っていたカードが極端に少なくなり、希少価値を高めることになった。

プレーヤーとしてのワグナーは、21年間の現役生活で通算3420安打を記録。首位打者を8度獲得するなどピッツバーグ・パイレーツの中心選手だった。

パイレーツでは、ワグナーの背番号として「33」が永久欠番となっている。しかし、ワグナーの活躍した1900年代初頭に背番号をつける習慣がなかったため、現役時代はこの番号を背負っていない。「33」は現役引退後に打撃コーチとして背負った番号だった。

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