2020年現役選手の背番号「42」

2020年各球団の背番号「42」は下記の選手が背負っている。

西武:不在
ソフトバンク:松田遼馬投手
楽天:不在
ロッテ:フランク・ハーマン投手
日本ハム:黒羽根利規捕手
オリックス:アデルリン・ロドリゲス内野手
巨人:クリストファー・クリソストモ・メルセデス投手
DeNA:石川雄洋内野手
阪神:ジョン・エドワーズ投手
広島:クリス・ジョンソン投手
中日:ソイロ・アルモンテ外野手
ヤクルト:坂口智隆外野手

不在:2球団
永久欠番:0球団
投手:5球団
捕手:1球団
内野手:2球団
外野手:2球団

外国人選手の着用が多い背番号「42」。2020年シーズンも12球団中6球団が外国人選手の番号となっている。日本では縁起の悪い番号とされるが、メジャーリーグでは全球団が永久欠番となっていることもあり、来日してこの番号を選ぶ選手は多い。

とは言うものの、以前ほど日本人選手が敬遠する風潮はなくなっている。DeNAは2019年までエディソン・バリオスが背負っていたが、「7」だった石川雄洋が2020年から変更。ソフトバンク・松田遼馬は阪神から、日本ハム・黒羽根利規はDeNAから、ヤクルト・坂口智隆はオリックスから移籍した際にこの番号となった。西武は2019年まで在籍していたカイル・マーティンが退団したため、楽天は2019年まで在籍していたフランク・ハーマンがロッテに移籍したため空き番になっている。

メジャー全球団で永久欠番となっているジャッキー・ロビンソン

メジャーリーグにおいて背番号「42」は全球団共通の永久欠番となっている。黒人選手として初めてメジャーリーガーになったジャッキー・ロビンソンがそのルーツだ。ロビンソンはまだ人種差別の激しかった1947年にブルックリンドジャースでメジャーデビュー。その年に盗塁王に輝くと、1949年には首位打者にも輝くなど1956年まで10年間プレーした。

ロビンソンはファンからヤジを受けた。一緒のグラウンドをプレーすることを拒む他チームの選手もいたほどだった。そのような状況にロビンソンは耐え忍びながら結果を残した。

このロビンソンの功績を讃え、現役時代に着用していた背番号「42」が全球団共通の永久欠番となったのだ。また、メジャーデビューを果たした4月15日をジャッキー・ロビンソンデーと称し全球団、全選手が背番号「42」をつけてプレーするようになった。

日本に来る外国人選手が背番号「42」を着用することが多いのは、このような理由がある。

メジャーリーグ最後の背番号「42」マリアノ・リベラ

ジャッキー・ロビンソンのメジャーデビュー50周年の1997年4月15日。全球団の背番号「42」が永久欠番となった。着用を許されたのは、その時点で「42」を背負っていた選手だけだ。そのひとりがマリアノ・リベラだった。ニューヨーク・ヤンキースの守護神として活躍したリベラも1997年開幕当時、実績はまだなかった。

この年に抑えを任され、43セーブをあげたことで、史上最高のクローザーへの道を歩むことになったのだ。2011年まで15年連続30セーブ以上をマーク。最多セーブを3度記録し、2013年の現役引退時までに積み上げたセーブ数はメジャーリーグ史上最多の652。ポストシーズン通算42セーブも歴代最多だ。

移籍市場が活発なメジャーリーグにおいてリベラはヤンキース一筋でプレー。ヤンキースタジアムの9回表に登場曲であるMetallicaの「Enter Sandman」が流れると、スタジアムのファンは勝利を確信した。それほどまでの絶対的守護神だった。

意外に知られていない真弓明信

日本人選手で背番号「42」を背負った選手が多くないだけに、実績を残した選手はさらに少ない。「42」が「死」を連想させるために、空き番となることが多かったからだ。しかし、中には「42」を背負って飛躍を遂げた選手もいる。阪神の監督を務めた真弓明信もその一人だ。

1972年ドラフト3位で電電九州から太平洋クラブ(現西武)に入団した真弓は、背番号「2」でプロ野球人生を歩み始める。翌1974年に背番号「42」へ変更すると徐々に出場試合数を増やし、1978年にはレギュラーとして118試合に出場。打率.280(418打数117安打)、8本塁打、38打点の成績を残す。そのオフには阪神へとトレードされた。

当時は「世紀のトレード」と呼ばれ、阪神から田淵幸一、古沢憲司が西武(この年に西武が買収)へ、真弓、武田和史、竹之内雅史、若菜嘉晴が阪神へ移籍するという2−4の大型トレードだった。阪神では真弓の背番号は「7」になった。

この移籍が真弓の転機となり、1983年には打率.353(448打数158安打)で首位打者。1985年には一番打者として打率.322(497打数160安打)、34本塁打、84打点の成績を残し日本一に貢献。長打のある切り込み隊長として君臨した。

現役引退後は2009年から2011年までの3年間にわたり、阪神の監督を務めている。

残り少ない近鉄戦士・坂口智隆

2020年に「42」を背負う日本人選手は4人。ヤクルト・坂口智隆もその一人だ。

坂口は神戸国際大付から2002年ドラフト1位で近鉄に入団。現役で近鉄のユニフォームを着ていたのは、他に巨人・岩隈久志とヤクルト・近藤一樹しかおらず、野手では坂口が唯一となっている。

坂口は合併球団のオリックスでレギュラーをつかみ、2011年には175安打で最多安打のタイトルを獲得。しかし、ケガの影響で36試合出場にとどまった2015年オフに大幅な減俸を提示され、オリックスを退団。ヤクルトに移籍し、自ら背番号「42」を選んだ。

ヤクルトでは2016年から3年連続150安打以上をマーク。2019年は22試合出場に終わったため、2020年に巻き返しを期している。また、DeNA・石川雄洋は坂口を追いかけて2020年から「42」に変更している。