2022年シーズン現役選手の背番号「45」

2022年シーズン各球団の背番号「45」は下記の選手が背負っている。

ヤクルト:嶋基宏捕手兼コーチ補佐
阪神:遠藤成内野手
巨人:畠世周投手
広島:松本竜也投手
中日:土田龍空内野手
DeNA:マイケル・ピープルズ投手
オリックス:阿部翔太投手
ロッテ:タイロン・ゲレーロ投手
楽天:松井友飛投手
ソフトバンク:谷川原健太捕手
日本ハム:コディ・ポンセ投手
西武:本田圭佑投手

不在:0球団
永久欠番:0球団
投手:8球団
捕手:2球団
内野手:2球団
外野手:0球団

2022年シーズンを見るとバッテリーの着用が多い背番号「45」。とはいえ、特定のポジションによるイメージはあまりない。日本プロ野球界で目立った成績を残した選手がいないことが要因だろう。

2022年に着用している選手では阪神の遠藤成、中日の土田龍空らの若手有望株や、広島のドラフト5位・松本竜也(Honda鈴鹿)、楽天のドラフト5位・松井友飛(金沢学院大)ら新人も背負っている。

また、DeNAのマイケル・ピープルズ、ロッテのタイロン・ゲレーロ、日本ハムのコディ・ポンセと外国人が多いのも特徴だ。

本塁打王に輝いた広島・ランス

本塁打か三振かという豪快なスイングが魅力だったランス。1987年に広島へ新外国人選手として加入すると持ち前の長打力を発揮し、日本プロ野球史上2位の6試合連続本塁打を放つなど、39本塁打で来日1年目にして本塁打王を獲得した。

一方で、打率.218(403打数88安打)と規定打席到達者の中でワースト打率を記録。三振数114もリーグワーストで、まさに「本塁打か三振か」というフルスインガーだった。

翌1988年は不調が響きシーズン途中に自由契約。ただ、79試合で19本塁打を放つなどパワーは健在だった。

その後、広島において背番号「45」で大きな実績を残している選手はいない。智弁学園高からHonda鈴鹿を経てドラフト5位で入団した松本竜也が2022年から背負っている。

オリックスで活躍後にタレントへ転身したパンチ佐藤

1989年ドラフト1位で熊谷組からオリックス・ブルーウェーブに入団した佐藤和弘。1994年に仰木彬監督の発案でイチローとともに、佐藤和弘から「パンチ」へ登録名を変更したことで有名だ。入団から登録名変更の前年1993年まで「45」を背負っていた。

ルーキーイヤーの1990年には42試合の出場ながら打率.331(133打数44安打)をマーク。しかし、2年目以降に伸び悩み、1993年はわずか3試合の出場に終わっていた。

心機一転、登録名を「パンチ」として臨んだ1994年も、23試合の出場で打率.273(22打数6安打)に終わり、シーズン終了後に退団。以降はタレントとして活動しながらクラブチームでもプレーした。

松井秀喜とワールドシリーズで対戦したペドロ・マルティネス

メジャーリーグにおいて近年活躍した背番号「45」の選手といえば、ペドロ・マルティネスが挙げられる。ドミニカ出身のマルティネスは、20歳にしてロサンゼルスドジャースでメジャーデビューを果たした。2年目には主に中継ぎとして起用され、65試合に登板、10勝5敗の成績を残している。

その後、モントリオールエクスポズ、ボストンレッドソックス、ニューヨークメッツ、フィラデルフィアフィリーズとわたり歩き、通算219勝をマークした。背番号はエクスポズにおける2年間(1994年、1995年)を除いて「45」を着用した。

日本人にとってなじみ深いのが2009年のワールドシリーズだろう。ニューヨークヤンキースとフィリーズの間で争われたシリーズ。マルティネスはヤンキースの松井秀喜に2本塁打を浴びた。結局、このシーズンでマルティネスは現役を引退。2015年に野球殿堂入りを果たしている。同年にレッドソックスで背番号「45」は永久欠番に制定された。

また、2006年には第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)にもドミニカ代表として出場を果たしている。

その他のメジャーリーガーではボブ・ギブソンが有名。セントルイスカージナルスでメジャーデビュー3年目に背番号「45」となり、引退まで番号は変わらなかった。ギブソンは1968年に22勝を挙げ、防御率1.12という驚異的な成績をマークし、リーグ優勝に貢献。カージナルス一筋17年間で251勝174敗の成績を残し、1981年にはアメリカ野球殿堂入りも果たしている。

ギブソンが背負った背番号「45」は引退と同時にカージナルスの永久欠番になっている。

西武の背番号「45」

1981年にサンフランシスコジャイアンツから西武ライオンズへとやってきたテリー。前年もメジャーリーグで118試合に出場し、打率.296(321打数95安打)をマークしているバリバリのメジャーリーガーだった。

来日1年目から打率.316(469打数148安打)、22本塁打、100打点。西武に3年間在籍し、打率.289(1407打数406安打)、85本塁打、280打点の成績を残した。同時期に西武へやってきたスティーブとともに1982年、1983年の日本一連覇に大きく貢献した。

1984年からは再びメジャーリーグへ戻り、ロサンゼルスドジャースでプレー。まさにキャリアの中でベストの状態の時に日本へとやってきたのだ。

そのテリーはジャイアンツ、西武、ドジャースと3球団で背番号「45」を着用。他の番号を背負ったのは、メジャーデビューを果たしたニューヨークヤンキースに所属した3年間のみだった。

テリーの後に西武で背番号「45」を着用したのが大久保博元。1984年ドラフト1位で入団してから巨人へ移籍する1992年まで着用した。以降は山田潤、水田圭介、藤田太陽ら7選手を経て、現在は本田圭佑が着用。投手ではあるが、テリーや大久保の実績を超える活躍に期待したい。

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