PL学園―東洋大からドラ1入団

現在、イースタン・リーグで首位タイの(5月18日現在)ロッテを率いているのが、星野、岡田両監督の下で、阪神タイガースの2回の優勝に貢献した今岡誠(現在の登録名は真訪)である。彼を見て思い出されたのが、選手としてのピークを迎えたかと思われた2006年、坂を転げ落ちるように不振に陥り、復活をすることはなかったことである。

気がつくと、阪神タイガースはもう13年もリーグ優勝から遠ざかっている。もともと低迷期間が長期化する傾向があるタイガースだが、黄金時代の到来かと期待されたのは、03年と05年に2回のリーグ優勝を成し遂げた頃だった。15年間に10回も最下位となったチームを、闘将・星野仙一監督が02年から指揮し、就任2年目で覇権を奪回、その2年後の05年に岡田彰布監督も続いた。

その時期のタイガースにとって今岡誠は欠かせない存在だった。PL学園、東洋大を経て、1996年のドラフト1位で阪神に入団。2年目にレギュラーとなり、打率.293、本塁打7本、44打点とまずは合格点の成績をあげたが、99年に野村克也監督が就任すると、成績の不振に加え、監督との確執も伝えられ不完全燃焼のシーズンが続いた。

2度の優勝に大きく貢献も

ところが、2002年に星野監督が就任すると、状況は一変。1番打者としての起用に応え、自己最高打率となる.317、15本塁打を記録し、この年、広島カープからFA移籍した金本知憲らとともにタイガースの中心選手に駆け上がった。

そして、03年には打率.340で首位打者を獲得。星野監督の期待に応え、優勝に大きく貢献したのだ。

04年は星野監督の退任を受けて就任した岡田監督からの信頼も厚く、3番打者として打率.306、28本塁打、83打点と数字を残し、05年には主に5番打者として147打点(日本プロ野球歴代3位)をあげ、打点王のタイトルを獲得、ここでもリーグ優勝の立役者となった。

当時、まだ31歳。タイガースの主軸としての活躍が期待された今岡だったが、06年は開幕から調子が上がらず、6月には死球により右手首を負傷したこともあり、その機会に長年苦しんできたというばね指の手術に踏み切り、長期間戦列を離れた。もちろん、大多数のファンは、ばね指の完治による、07年からの復活を信じていた。

しかし、その願いはかなわなかった。首脳陣からの大きな期待を背負いながら、もがき続けた今岡だが、調子が上がらず出場機会は激減し、成績も並みの選手のものとなっていったのだ。09年には戦力外通告を受け、トライアウトを経て千葉ロッテマリーンズに。そこでも目立った活躍をすることはできず12年に現役を引退した。

プロの世界の厳しさ

それにしても、だ。 3割をコンスタントに打つようになっただけでなく、147という、とてつもない打点をあげた選手のいきなりの転落には驚きを禁じ得ない。そもそも82年のプロ野球の歴史の中で、1シーズンで打点が140を超えたのは、6位の藤村富美男(大阪タイガース=142打点)を含め6人しかいない。今岡のあげた数字はそれほどの大記録なのだ。

歴代打点トップ5表ⒸSPAIA

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あらためて今岡の年度別成績を見てみよう。

今岡の年度別成績表ⒸSPAIA

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明らかにピークは2002年から05年までの4年間だ。出塁率と長打率とを足し合わせたOPSは、いずれも8割3分を超える数字をたたき出し、この指標の開発者であるビル・ジェームズによる格付けでは7段階の2番目にあたるランクB<非常に良い>の水準にあり、セ・リーグの打者の平均値を大きく上回っている。

01年の星野監督の就任で覚醒した今岡は、02年から一流選手へと脱皮した。また、147打点をあげた05年だが、安打数も打率も前年からは下回っている。それでもこれだけの打点をあげることができたのは、いかにチャンスに強いバッティングをしたかということを示している。

球界屈指のクラッチヒッターとなった今岡だが、苦しんできたバネ指の手術を境に突然、失速してしまった。さわやかな顔をしたクールな仕事師・今岡の突然の転落が、今でも残念でしかたない。

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