7・12世界ミドル級王者・ブラントと再戦

プロボクシングのWBA世界ミドル級タイトルマッチが7月12日にエディオンアリーナ大阪で行われる。日本人2人目の五輪ボクシング競技金メダリストで、前同級チャンピオンの村田諒太(帝拳)が、村田を破ってチャンピオンになったロブ・ブラント(アメリカ)に挑む12回戦。昨年10月にラスベガスで完敗を喫した村田の雪辱なるか、注目の一戦だ。

村田が一度敗れた相手とリターンマッチに挑むのは二度目。一度目は2017年10月のアッサン・エンダム(フランス)戦だった。

ロンドンオリンピックのミドル級で1964年東京オリンピックのバンタム級、桜井孝雄以来48年ぶりの金メダルを獲得し、2013年にプロ転向。無敗レコードを12まで伸ばし、2017年5月にエンダムの持つ世界ミドル級王座に挑んだが判定負けを喫した。

しかし、村田がダウンを奪っていたこともあり、判定に異論が噴出したためWBAは再戦を指令。10月のリターンマッチでは7回終了TKO勝ちし、日本人ボクサーで初めてアマとプロ両方で世界の頂点に立った。

負ければ引退?

ブランダムラ(イタリア)を8回TKOで破って初防衛に成功し、迎えた2度目の防衛戦。ラスベガスのリングでメインイベントに登場するという、かねてからの夢が実現したものの、ボクシングの本場は厳しかった。フットワークを使いながら繰り出すブラントの軽いパンチを浴び続け、大差の判定負け。竹原慎二以来、日本人2人目の世界ミドル級王者はあっけなく無冠となった。

当時32歳。ボクサーとしてはベテランの域に達していただけに引退の可能性もあったが、村田は現役続行を決断した。そして決まったブラントとのダイレクトリマッチ。前回と同じ結果なら、今度こそ「引退」の2文字がくっきりと浮かび上がることになる。

世界戦で二度雪辱したのは輪島功一のみ

一度敗れた相手と再び戦うのは相当なプレッシャーがかかることは想像に難くない。しかも、それが世界戦、そして一度ならず二度までもとなると、日本ボクシング界の歴史を振り返ってもそういない。

二度のリターンマッチでいずれも雪辱に成功したのはただ一人、「炎の男」と呼ばれた元世界スーパーウェルター級王者・輪島功一だ。今ではタレントとしてテレビに出演したり、東京都内で経営する「だんごの輪島」の方が有名かも知れないが、現役時代は日本中を熱狂させた人気王者だった。

ボクサーとしては高齢の25歳でプロデビューし、1971年10月にカルメロ・ボッシ(イタリア)に判定勝ちして世界王座を奪取。一瞬しゃがみ込み、跳ね上がると同時にパンチを繰り出す「かえる跳び」で話題を呼んだ。

その後、世界の強豪を相手に6度防衛したが、1974年6月に行われた7度目の防衛戦でオスカー・アルバラード(アメリカ)に15回KO負け。試合後、病院に直行するほどのダメージを負い、医師からは引退を勧められた。しかし、不屈の闘志で立ち上がった輪島は7カ月後の再戦で判定勝ちしてベルト奪回。日本中に感動を呼んだ。

不利の予想覆し柳済斗に雪辱

しかし、初防衛戦では「日本人キラー」と呼ばれた韓国の強打者・柳済斗に7回KO負けを喫し、再び無冠となった。この時、32歳。ちょうどブラントに敗れた時の村田と同い年だった。

負け方が凄惨だったこともあり、誰もが引退を予想したが、輪島は現役続行を決断。それでも世間の反応は冷ややかで「輪島は終わった」、「一度は奇跡を起こせても二度は無理」との見方が大勢を占めていた。ただ輪島本人だけが自分を信じて疑わなかった。

1976年2月17日、日大講堂。序盤から激しい打撃戦を展開し、最終15回、輪島がついにダウンを奪う。柳は立ち上がったもののダメージが深く、ロープにもたれ込んだままファイティングポーズを取ることができなかった。

執念で起こしてみせた二度目の奇跡。翌日、ピストルを持って銀行に立てこもった強盗に警察官が「輪島を見習って人生をやり直せ」と説得したエピソードはあまりにも有名だ。輪島は日本中を感動させ、国民的スターとなった。

重なるボクサー人生

村田が辿るボクサー人生は輪島に似る。エンダムとの再戦を制して世界王座に就き、ブラントと迎える自身2度目のリターンマッチ。年齢。国民的な人気。不利の予想。「炎の男」に重ねるのは楽観的すぎるだろうか。

直前の公開練習では好調ぶりが伝わっている。前回のように正面に立ち過ぎず、ボディブローでブラントの足を止められれば勝機はあるだろう。

一方のブラントも試合2週間前という異例の早さで日本を訪れ、調整に余念がない。お互いにベストコンディションでリングに上がることになりそうだ。

ゴングは7月12日夜。輪島と異なるのは、村田が勝っても「奇跡」ではないということだ。

村田ブラント比較表ⒸSPAIA

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