東京五輪を前に混乱必至

「走るのは人間。シューズではない。技術の進歩を否定するのでなく、技術と共に進むべきだ」

陸上男子マラソンの世界記録を持つエリウド・キプチョゲ(ケニア)は、好記録続出で世界を席巻している米スポーツ用品大手ナイキの「厚底シューズ」が世界陸連の新規則によって禁止される見通しになったとの報道に対し、英国デーリー・テレグラフ紙にこう反論した。

東京五輪開幕まで約半年。厚底シューズを巡ってはビジネスチャンスを逃すまいと、ナイキのライバル各社も参戦の動きを見せており、事態は混乱必至の情勢になってきた。

高い反発力で「下り坂のように感じる」

厚底に炭素繊維のカーボンプレートが埋め込まれた秘密兵器「ヴェイパーフライ」シリーズは2017年から登場し、軽量化やクッション性のほか、高い反発力が売り。「走っていると下り坂のように感じる」という声も多く、世界各国で市民ランナーの使用率も高まっている。

世界陸連は昨秋から専門家による調査チームを立ち上げて議論を重ねており、近く調査結果と新規則が発表される予定だ。英テレグラフ紙などは「トップレベルの大会」に限定して使用禁止が検討されていると報じ、底の厚さに制限を加える規則を設けると予測。英ガーディアン紙は「まだ審議中の段階」として、最新モデルなど部分的規制が有力で、全面的な禁止はないとの見方を示した。

ナイキの創業者は元陸上選手のフィル・ナイト氏。ニューヨーク・タイムズ紙の調査では昨年のマラソンで3時間を切った一般市民ランナーの40%以上がナイキの厚底シューズだったという。「薄底」から「厚底」へのモデルチェンジは「企業努力」の成果でもあり、今後の展開次第では訴訟騒動にも発展しかねないだろう。

大迫傑「さっさと決めてくれーい!」

1960年ローマ五輪でアベベ・ビキラ(エチオピア)が裸足で走って金メダルに輝いた時代も今は昔。マラソン日本記録保持者の大迫傑(ナイキ)は自身のツイッターで「どっちでも良いからさっさと決めてくれーい!僕ら選手はあるものを最大限生かして走るだけ!それだけ!」と心境をコメント。騒動の早期解決を願う。

今回の騒動が持ち上がった背景には、やはり近年各国でたたき出された驚異的なタイムの伸びがあるだろう。昨年10月には男子の世界記録保持者、キプチョゲがウィーンで行われた特別レース「ブレーキング2」で最新のナイキ製厚底シューズを履き、フルマラソン史上初の2時間切りとなる1時間59分40秒で走った。記録は諸条件を満たさず非公認となったが、前人未到の「2時間の壁」を突破した。

同じく昨年10月のシカゴ・マラソンでは女子で25歳のブリジット・コスゲイ(ケニア)がナイキ製の厚底シューズで2時間14分4秒の世界新記録を達成。従来の記録は2003年にポーラ・ラドクリフ(英国)がつくった2時間15分25秒で、16年ぶりに塗り替えた。

正月の風物詩、第96回東京箱根間往復大学駅伝でも厚底シューズの使用率が8割を超え、全10区間中、7区間で新記録が生まれた。気象条件に恵まれた上、選手の競技力向上はもちろんあるが、往路、復路、総合の優勝タイムも全て大会新記録と厚底シューズとの関係性は切り離せない「超高速化」が浮き彫りになっている。

過去にさかのぼって記録抹消はなし?

英メディアによると、世界陸連は既に出された記録について抹消しない見通しという。

スポーツ界では技術革新の進歩と競技の公平性を巡っては議論が尽きない。北京五輪が開催された2008年、着用した選手が世界記録を連発するなどしたスピード社の「レーザー・レーサー(LR)」は高速水着として脚光を浴びた。しかし2010年に禁止され、新たな規定が設けられている。ゴルフや野球の道具も反発性能が数値で定められている。

世界陸連は現在、長距離用シューズのソールの厚さに規定を設けていないが「全ての人にとって合理的に利用可能でなければならず、ランナーに不公平な優位性を与えてはいけない」と定めている。話題の厚底シューズがこれに抵触するかが今後の焦点だ。

昨年9月の東京五輪代表選考会「マラソングランドチャンピオンシップ(MGC)」で代表に内定した男女4人のうち3人が使用。世界のトップランナーに愛用者が多く、落としどころをどこに持っていくのか。東京五輪に向けて大混乱が生じる火種はくすぶっている。