「育成枠OK」もプロ入りならず

「育成枠でもプロ入りOK」

大学卒業後の進路を「プロ入り」一本で定めていた今川にとって、2018年のドラフト会議は受け入れ難い現実だった。

「自分の中では(大学で結果も出して)自信もありましたし、育成枠なら(指名が)かかるかなと思っていたんです」

札幌学生野球連盟では大学4年春に首位打者を獲得。春に5本、秋に4本の本塁打を記録して、大学4年間の成長をアピールした。ドラフト前には誘いをくれた社会人企業チーム全てに断りを入れて「その時」を待ったし、それだけ気持ちも固まっていた。

しかし──。

支配下で指名された83人に入れなかっただけでなく、育成枠で指名された21人の中にすら入ることが出来ない。

「そのときは、いくら地方で打っても、中央では見てもらえないんだなと感じました。4年春にリーグ戦で優勝して、その年の大学選手権は(チーム内の不祥事で)出場辞退。そこでアピール出来なかったのも、もちろん痛かったと思います。そこで頑張れば(大学)日本代表に追加招集があると聞いていましたし、そこに懸けていた部分もあったので…」

ドラフトの結果を受けて、誘いをくれる社会人クラブチームも幾つかあった。

しかし、高校、大学と両親に高い学費を出してもらったこと、奨学金の返済が残っていることがネックとなり、二つ返事で答えは出せなかった。

さらにもう一つ。野球を続けるならレベルの高い関東のチームに身をおいて自分をアピールしたい希望もあった。

JFE入社「こんなメンバーと一緒に野球がやれるのか」

そんな今川の願いを叶えようと東海大北海道の日下部憲和監督も動く。

東海大OBの人脈を使って、JFE東日本の落合成紀監督に「(今川を)練習会だけでも参加させてください」と打診したのだ。

2017、18年と2年連続で都市対抗野球の本戦出場を逃していたJFE東日本は、落合監督の指揮の下、チームの改革を進めていた。

目指したのは2点取られても3点取り返す「超攻撃的野球」。過去2年間、予選を僅差で落としていた反省から、打撃でも走塁でも積極的に仕掛けていける骨太のチームを作ろうと補強を進めていた最中だった。

落合監督にとって、一発も打てる今川は正にベストな存在だった。

その後、ほぼ即決でJFEへの入社が決まると年明けにはチームに合流。プロ挑戦への道が再び開けた想いがした。

また、そこに集まる同期生達の面子を見て驚いた。

峯本匠(立教大学卒)、岡田耕太(駒澤大学卒)、平山快(東海大卒)。そのいずれもが、高校もしくは大学で日本代表合宿に呼ばれたキャリアがある選手だった。

「こんなメンバーと一緒に野球がやれるのか」と胸を躍らせた今川。落合監督は、今川を含めた彼ら新人4人を春先から打線の中心に据えた。

落合監督がその理由を語る。

「野球の厳しさは、高校、大学、社会人と、アマチュアのどこも変わらないと思います。その厳しい状況下で、(彼らは)しっかりやって来た選手ですから新人を出しているつもりは全くありませんでした」

今季の目標は打率4割、本塁打10

熾烈なチーム内競争の中で活性化されたチームは、徐々に試合でも結果を残すようになっていく。

昨年6月の都市対抗野球南関東大会2次予選では初戦のオールフロンティア戦を2対1で勝利すると、第1代表決定トーナメント準決勝の日本通運戦を6対4、決勝のHonda戦を7対4で打ち勝ち、第1代表で都市対抗野球出場の切符を手にした。

同予選3試合で14打数6安打と攻撃の軸となった今川も、その名前を全国に響かせるようになっていく。

6月中旬に行われた侍JAPAN社会人代表の選考合宿。今川は社会人日本代表の守安玲緒(三菱重工神戸・高砂)から2本、菊池大樹(四国銀行)から1本の本塁打を放ち、集まったプロのスカウト達の目を白黒させた。

さらに7月に行われた都市対抗野球の本戦でも準決勝の東芝戦で宮川哲(2019年埼玉西武ドラフト1位)から右翼席中段に本塁打を放つなど実力をアピール。決勝までの5試合で21打数8安打、打率3割8分1厘をマークして、チームの都市対抗野球優勝に大きな貢献をした。

今川は自身の社会人1年目をこう振り返る。

「同期で入った3人(岡田、平山、峯本)の存在は大きいです。打順も僕ら4人で2、3、4、6番を務めることが多くて、自分でも『なんだこれ?』って感じでした(笑)

その中でも平山の存在はかなり大きくて、結局、昨年の成績は平山に打率もホームランも負けてしまいました。あっちは『あまり意識していない』とか言うんですけど、ホームランの数は、僕はだいぶ意識してやっていたので、今年こそは絶対にホームラン数で勝ってやるって思っているんです」

今季の目標を打率4割、本塁打10と定めると、彼は豪快に笑った。

最大の力を発揮するための笑顔

今川といえばいつも笑顔でいる印象が強い。我々との取材対応はもちろんのこと、練習中、試合中、たとえば打席の中でも自然と笑顔がこぼれている。

そんな今川に「笑顔の元は何か?」と聞いた。

すると彼は満面に笑みを浮かべ、こう答える。
「笑えるだけの余裕が出来た。自信がある。それが大きいと思います。ここに辿り着くまで誰よりも練習をやって来た自負もありますし、『誰にも負けるはずがない』と言ったら過信になりますけど、『自分なら出来る』という自信が出るくらいやって来たのかなと思います。それで笑える余裕が生まれていると思うんですよね。あとは純粋に野球が楽しいっていうのもあります」

さらに彼は試合中、主に打席で笑顔を見せることに関して、こうも説明した。 「真剣が過ぎると筋肉の硬直も起こりますし、小さいときの僕がそうだったんですけど、公園とかでやる遊びの野球っていつも以上のパフォーマンスが出ていたなって感じるんです。ならば試合でも楽しくやっていた方がいいかなって。

ガチガチになってやっているより力が出せるとも思いますし、別に意識してやっているわけではないんですけど、それが良い結果にも繋がっているのかなって思います」

「諦めずに追い続ければ、叶うことを証明したい」

高校入学時は強豪私立のレベルの高さに戸惑い、逃げだしそうになることもあった。故障で野球が出来ないときは他の誰かを羨むこともあった。

そんな自分の弱さを知っているから、他人に対しても優しくなれるし、挫折を乗り越える術も知っている。もちろんそこには家族、指導者、仲間達といった周囲の支えがあった。そのことも彼は十分に理解している。

小学3年のとき、父に札幌ドームに連れて行ってもらったことがきっかけで野球を始めた。

当時のヒーローはSHINJO(新庄剛志)、小笠原道大、ダルビッシュ有といった北海道日本ハムの選手達。今川はいつか自分が彼達のように多くの少年・少女を始めとする沢山のファンに夢を与えられる選手になりたいと言う。

「子供のときに『こうなりたい』と思ったのは新庄選手です。新庄選手のように一人で球場を満員に出来るようなスター性。『今川をまた見に行きたい』と思ってもらえる選手になりたいと思っています。

ただ『有名になりたい』のではなくて、僕を見に来て、幸せな気分で球場を後に出来るような、そんな夢や希望を与えられるプロ野球選手。そんな存在になりたいと考えています。ただでさえ野球人口が減って来ているときなので、少しでも野球界の発展に貢献出来たらいいなって思うんです」

TwitterなどのSNSを通じて自身の情報を発信しているのはその第一歩でもある。

「僕と同じような境遇の野球少年達に、諦めずに夢を追い続ければ出来るんだぞというのを伝えたい、それを証明してやりたいというのが第一にあります」

次世代のスター候補は、いつか辿り着くであろうその場所をじっと見据えていた。