2018年から新国立劇場オペラ部門芸術監督を務め、改めて注目を集めている指揮者の大野和士(おおのかずし)。ベルギー王立歌劇場(モネ劇場)やフランス国立リヨン歌劇場といった欧州の有名歌劇場で長らく要職を務め、ミラノ・スカラ座、メトロポリタン歌劇場、パリ・オペラ座にも客演してきた世界的マエストロである。豊富な経験と卓越したテクニックに裏打ちされ、構築性と抒情性を兼ね備えたセンスの良い演奏は、常に客席を沸かせる。

2019年夏、大野は2015年から音楽監督を務めているバルセロナ交響楽団と来日し、7月24日に行われるBunkamura 30周年記念公演では、ベートーヴェン≪交響曲第9番 ニ短調≫と、津軽三味線の吉田兄弟との共演による委嘱作品を披露する。大野の音楽家人生にとって、Bunkamuraオーチャードホールは特別な場所。こけら落としの≪魔笛≫で指揮棒を振った時、彼は弱冠29歳であった。今回は、自らが率いるスペインきっての名オーケストラとどのような演奏を聴かせてくれるのだろうか。音楽監督としての契約が2021/22年シーズンまで延長されるなど、大野&バルセロナ響の相性は抜群である。バルセロナ交響楽団とこれまでの4年間で作り上げてきた演奏と今回の来日公演に込めた想いを訊いた。

大野和士指揮バルセロナ交響楽団/吉田兄弟

大野和士指揮バルセロナ交響楽団/吉田兄弟

■≪第九≫に込められた平和への祈り

――今回の来日公演では、ベートーヴェンの第九を演奏されるとのことですが、この選曲に込められた想いを教えてください。

バルセロナ交響楽団が第九を演奏することには、とても大きな意味があります。チェリストとして高名なパブロ・カザルス率いるパブロ・カザルス管弦楽団がバルセロナ交響楽団の前身ですが、第二次世界大戦前夜のスペイン内戦のさなか、彼らは第九を練習していました。まさにその時、後に独裁者となるフランコがカタルーニャの国境を越えたという一報が伝わってきたのです。指揮棒を置いたカザルスは、楽団員に「演奏を続けますか、それとも、やめますか」と聞き、全員が「マエストロ、どうか続けてください」と答えた。オーケストラは、第九演奏会の後に解散し、フランコ政権に反対したカザルスもまた故郷であるカタルーニャの土を二度と踏むことはありませんでした。バルセロナ交響楽団にとって、第九を演奏することには、特別な意味があるのです。

――このオーケストラにとって、原点といえる曲なのですね。

ええ。私は幼少の頃に、94歳のカザルスがニューヨーク国連本部で演奏した映像をテレビで見ていました。その際、彼はスピーチの中で、「カタルーニャは独立を奪われましたが、代わりに、私たち(=カタルーニャ人)は歌を携えてきた。≪鳥の歌≫といいます」と述べました。≪鳥の歌≫は、今でもカタルーニャの小学校で教えられている国民的な歌です。カザルスはしわがれた声で、聴衆に「鳥たちは、『Peace Peace Peace』と歌う」といいました。自由を求めて羽ばたく鳥に込められた平和への祈りは、第九の精神と深く結びついています。バルセロナ交響楽団は、こうしたカザルスの精神を受け継いでいるのです。


――第九と共に演奏されるファビア・サントコフスキーの作曲による≪2つの三味線のための協奏曲≫は日本初演だそうですね。

ファビアさんは、カタルーニャの若手作曲家です。2015年に、武満徹作曲賞の第二位を受賞されました。丁度、私がバルセロナに就任した時期でもあり、ニュースは耳にして、彼とバルセロナで会いました。清らかな瞳が印象的な青年で、その時に作曲を委嘱してみたいと思ったのがきっかけです。

――今回ソリストを務める吉田兄弟さんもバルセロナにゆかりがあるのでしょうか。

偶然ですが、私がファビアさんと出会った頃、吉田兄弟の健一さんがバルセロナの音楽院で津軽三味線のワークショップを行っていました。文化交流大使としてヨーロッパ各地を巡る中で、バルセロナが気にいったと聞いています。このワークショップは、現在まで続けられていて、今ではお弟子さんだけで演奏会ができるほどに成長を遂げています。健一さんもまたファビアさんと出会い、私から「是非、健一さんのために三味線コンチェルトを書いてくれないか」とファビアさんにお願いしました。そして、その話の中で良一郎さんにも参加してもらおうとなったわけです。

――色々な「縁」が重なって作り上げられた作品ですね。津軽三味線のもつ激しさや力強さと、西洋のオーケストラとがどのように絡んでいくのか、興味深いところです。

来日経験もあるファビアさんは、谷崎 潤一郎の『陰翳礼讃』が大変好きだといっています。キリスト教社会では、光と闇とは二項対立的なものとして捉えられてしまいますが、彼は「闇の中にこそ、より深い美がある」という考え方に魅了されました。そして、それを音楽的に体現する楽器として三味線を捉えているのです。静けさの中にベンッと鳴る、三味線の音。三味線という楽器は、影の中の美しさと光のまばゆさを体現するのに重要な役割を担っています。彼が来日して感動した、神社の木立の中で聞こえてくるしんしんという蝉の鳴き声。三味線はこうした日本の情景をも表現していきます。

対して、それを包みこむオーケストラには、≪鳥の歌≫が入ってきます。この歌へのオマージュが ― 例えば、木管楽器が鳥の鳴き声を真似たり、弦楽器がさざめくような鳥の羽音を表したり―、作品の随所にちりばめられています。つまり、自由を希求する音楽的響きの中に、陰翳礼讃が奏でられる。約20分の曲ですが、聴き所満載の作品になっています。


■しっかりとした土台に支えられた、天に昇るようなサウンド

――4年間におよぶバルセロナ交響楽団との関係性の中で、新しい試みにも挑まれてきたと思いますが、どのような点を意識して演奏を展開してきたのでしょうか。

バルセロナ交響楽団と最初に出会ったのは、2012年です。当時からオーケストラの柔軟性はよくわかっていました。2015年に就任してからは、非常に強固なベースに基づいて高い建物ができるようなサウンドを目指してきました。それは一言で言えば、ガウディの建築、例えばサグラダファミリアに現れるような、しっかりとした土台に支えられた、天に昇るようなサウンドです。

もう一つ重要なのが、バルセロナ郊外にあるモンセラートという山とそこの修道院です。白肌の奇石がにょきにょきと重なった高い山で、実はワーグナーのローエングリン伝説を導いた場所でもあります。≪ローエングリン≫は、作品の最後で「私はモンサルヴァートから来た騎士、ローエングリンであり、そして私の父親はパルジファルである」と自己紹介します。そのモンサルヴァートのモデルのひとつとも言われている場所です。

サグラダファミリアやモンセラートといった高い場所で結ばれるサウンド、色々な構成要因がありつつ、天に昇っていくような音とでも言えばよいのでしょうか。教会の奥行きのあるステンドグラスに吸い込まれていくような空間性をもった音を作ろうと努力してきました。

――サグラダファミリアでも、バルセロナ交響楽団とフォーレの≪レクイエム≫を演奏されていますね。

それは、バルセロナ交響楽団就任時に行ったコンサートです。約3000脚の椅子を並べて、サグラダファミリアで初めて行われたコンサートでした。サグラダファミリア内部は、本当に天井が高く、音を出すとなかなか消えない。だから、次の小節に行くと、前の小節の残っている音と重なって、不協和音になってしまうのです。そこで、短めに切るようにとの指示をしました。特に、オルガンが大変で、ペダルをすぐに離して次へ行くことが必要でした。


――普段の演奏とは違ったテクニックが必要ですね。これまで、数多くのオーケストラと共演されていますが、バルセロナ交響楽団の個性はどのようなところにあると感じているのでしょうか?

バルセロナはスペインの北東部に位置しています。キリスト教はこの地を通って北方へと伝播していきましたし、アラブ世界とも近い。昔から人が行き交う場所でした。地政学的な重要性から、文化も混ざっています。これはとても大切なことで、文化に多様性が反映されています。現在の楽団員の構成も多様で、20か国以上の国籍をもつメンバーが集まっています。ですから、どんな曲を演奏しても「あっ、彼のオリジナルだ」という団員がそこここにいるのです。地理的にはラテンですが、ドイツ、フランス、そしてスペイン的な側面ももつものがいて、南の文化に対する感受性も深いと感じます。自ずとレパートリーは広がりをもつものになります。「これをやらせたら」というよりも「これもある、あれもある」という多様性が特徴ですね。

――音楽監督としての契約延長が昨年発表され、楽団との関係の充実ぶり伺えます。今後、バルセロナ交響楽団とどのようなことに取り組んでいきたいとお考えですか。

自分が今までやってこなかったような新しいもの、例えば、バロックのオラトリオ作品などをやってみたいですね。また、合唱の伝統もあるので、ブルックナーのミサ曲をはじめとして声楽付きの作品をたくさんやっていきたいですね。

20世紀の重要な作品も積極的に取り上げていきたい。名曲を聴くという意味で、聴衆の皆さんの知識欲もとても旺盛です。そういったことがより照らし出されるように、日本人作曲家の手による作品も含めて、周辺のレパートリーを紹介していきたいと思っています。


■オーチャードホールとの30年にわたる縁

――今回は、Bunkamuraの30周年を記念する公演のひとつですが、30年前にオーチャードホールのこけらおとし公演でモーツァルト≪魔笛≫を指揮されましたのも大野さんでしたね。

≪魔笛≫の台本作家シカネーダーは「日本の王子タミーノがどこかの国に紛れ込む」というト書きを残しています。当時、演出を務められた佐藤信さんは、「日本の王子が迷い込むのなら中国なのではないか」と考え、北京の音楽院の方々と共同して≪魔笛≫を作りあげました。北京には衣装を作ってもらい、チャイナドレスを着たパミーナや、中国風の絢爛たる冠を被った夜の女王が登場しました。30年前から先陣を切って国際交流を行ってきたわけですから、オーチャードホールは進歩的な活動を続けてきたと思っています。

――大野さんは、その後も継続的にオーチャードホールで重要な公演をなさってきましたね。

私は、オーチャードで育てていただいたようなところがあります。東京フィルハーモニー交響楽団の常任指揮者だった頃に、オーチャードホールで始めたのがオペラ・コンチェルタンテ・シリーズです。ヨーロッパでは1989年以降、ベルリンの壁の崩壊によってやっと陽の目を見るようになった作品が、次々に演奏されていました。そうした作品を、日本でも同時期にやることをモットーに始めたものです。ショスタコーヴィチの≪ムツェンスク郡のマクベス夫人≫やプロコフィエフの≪炎の天使≫など、ソビエト政権下では、否定されていたものを演奏しました。また、ヒンデミット事件以来、ナチス政権下のドイツでは演奏されなかった≪聖スザンナ≫も取り上げましたね。こうした憂き目にあった作品の日本初演を行ったことは、私の中で大きな財産として残っています。攻撃的かつ冒険的な取り組みに協力して頂いたことに感謝しています。


――ブリュッセルやリヨンからの来日公演もありましたね。

ええ。タイムリーにいろいろな演奏会をやらせていただきました。モネ劇場の≪ドン・ジョバンニ≫、リヨン歌劇場の≪ウェルテル≫と≪ホフマン物語≫。私の音楽家人生の節々で、重要な演奏会をやらせていただいています。

――来年には還暦を迎えられます。新しいステージに向けてのステップとして、どのようなイメージをおもちですか。

指揮者は「60代で生まれる」といわれますので、生まれてみようかなぁと思っています(笑)。生まれてから、どのくらいかかるかわかりませんが、より信頼されるような指揮者になりたいですね。そのためには、健康が大切。暴飲暴食は控え、体幹を鍛えようと思っています。

――最後に、今回のこの演奏会を楽しみにしていらっしゃるお客様に一言お願いします。

バルセロナ交響楽団とは切っても切り離せない第九を、オーチャードホール30周年を彩る祝祭的なコンサートとして演奏できることに喜びを感じております。今回は、三味線会のスターである吉田兄弟を迎え、三味線コンチェルトも演奏します。素敵なプログラムを用意していますので、7月24日、オーチャードホールに足をお運びください。


取材・文=大野 はな恵  撮影=敷地 沙織