独特のリズムのしらべに乗せ、鮮やかな原色の衣裳を付けた男性の役者が、艶やかに舞いながら物語が進行する沖縄の伝統芸能「組踊(くみおどり)」が、成立から今年で300年を迎えた。これまでも全国で公演やワークショップなどの普及活動を行ってきたが、今年は文化庁、日本博、組踊上演300周年記念事業実行委員会による『琉球芸能の美と心「執心鐘入」との交感』で7カ所を回るツアーを実施。立て続けにこれだけの公演を行うのは初めての機会となる。国立劇場おきなわの若き芸術監督・嘉数道彦氏に公演への思いを聞いた。

 

 1719年当時の沖縄は450年続く琉球王国という独立国家だった。小さな島で国家を存続させるには、周りの国々、特に密な関係にあった中国とは共存共栄を図らなければならない。中国皇帝の使者、冊封使をどう接待するか。踊奉行の任にあった玉城朝薫のもと、さまざまな歌舞音曲が発展。その一つが組踊、琉球版オペラとも言える歌舞劇だった。昭和47年5月15日、沖縄が日本へ復帰すると同時に、組踊は能、歌舞伎、文楽などと同じく国の重要無形文化財に指定された。また平成22年11月16日、組踊は国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産保護条約に基づく「人類の無形文化遺産の代表的な一覧表」に記載された。そして2004年には伝統芸能を上演するばかりではなく、新たな担い手を養成する機能を持った国立劇場おきなわがオープンする。

先達の皆さんには感謝しかありません

――300年という歴史について、感じていることから教えていただけますか。

嘉数 この節目に立ち会えたことは組踊に携わっている者としてはうれしい限りです。300年が長いか短いかはさておき、琉球王朝時代に誕生して形成されてきた組踊は、継承がうまくいかず、明治時代以降、存続の危機もありました。それでもなんとか2019年を迎えることができたのは、受け継いできてくださった先達の方々への感謝しかありません。そして次世代へ引き継ぐため、今年に限らず私たちが教わってきたことを、もちろん宮廷の時代とは変わってきている面もいい意味で受け入れつつ、多くの方にその本質、魅力を400年、500年と伝えていきたい、そのために日々の積み重ねを大切にしなければと感じています。

――嘉数さんご自身は組踊とはどのように出会われたのでしょうか?

嘉数 私が小さいころは年に数回、公演があるかないか、つまりさほど需要がありませんでした。私も子役として出演したことがありますが、まったく興味はなかった。僕は芝居に惹かれていましたし、沖縄県立芸術大学には琉球舞踊を学ぼうと入学しました。ただ必修で組踊をやらなければならなかったんですね。それで実演の授業を通して、今まで知らなかった面が次々と見えてきたことで、1年も経たずにその魅力にハマったんです。ルールがあるんですよね。それを知らないままに自分たちも演じたし、観たし、ただスローテンポの動きのないものだと思っていたんです。それが表現しないことの表現であることを知ったのが大きかった。と同時に誕生してきた背景、沖縄独特の歴史を知ることでさらに組踊の深さに気づいたわけです。そしてもっともっといろんな人に知っていただきたいと思いが募っていきました。

――芸術監督には2013年、33歳の若さで就任されました。

嘉数 私は現在、実は芸術監督と企画制作課長と相反する立場を兼ねておりまして(苦笑)。沖縄の芸能は多様なものですから、全般的にコーディネートしてプログラムを充実させていきながら、劇場での公演、県内外への発信・普及という活動を行なっています。芸術監督への就任は県の方からお話をいただきました。この劇場には開場のころからかかわっておりましたが、まだまだ修業中の身ですから悩みました。けれど先輩の方々や仲間からアドバイスをいただき心を決めました。芸術監督制度は開場5周年の2009年からのスタートです。それまでは県の方が出向されて企画制作課長を務められていましたが、やはり劇場の運営には芸能をよくわかっている芸術監督が必要だと。初代の幸喜良秀先生は学生時代からお世話になっている方で、先生に「これからは君たちの世代に頑張ってもらわないと」とおっしゃっていただいたのも大きかったですね。


――芸術監督として苦労されているのはどんなことですか?

嘉数 実は沖縄県内でも組踊が親しまれて、魅力が浸透しているかと言われれば、そこまでではありません。古典芸能ということで距離を感じている方がほとんどでしょう。でもそれは見方がわからないからなんです。実演をしている私たちですら、その様式や演出手法に関して、言葉で説明を受けることは基本なく、お稽古する中でこういうものかと探っていたほどでしたから。つまり鑑賞方法を伝える作業が確立されていなかった。お客さんが興味を持てないのも当然です。型をお伝えして、なぜ動かないのか、動かないときは音楽を聴いてほしいんですとルールを紹介することで、劇場などに足を運んでくださるお客様も増えてきました。皆さんそぎ落とされた最小限の表現に興味を抱いてくださっているようです。

――なるほど。

嘉数 当初はワークショップなど普及の機会がありませんでした。その意義が僕らにもわからなかった。僕が県外を含めてのワークショップに参加するようになって6年目になりますが、最近はありがたいことに本土でも多くのお客様が参加してくださるようになりました。様式の素晴らしさを知っていただく機会があれば、それ以前とは見方や感じ方が違うものになるのが古典芸能の世界です。今こうやって普及活動の機会が増やせたのは国立劇場おきなわができたことによる画期的な、近年の大きな成果だと思います。と同時に、研修制度が設けられており、また舞台で演じる機会が劇場ができる前とできた後では圧倒的に増えました。継承と発表の両輪は今とてもいい環境にあります。とはいえ芸の継承は1日にしてなるものではありません。日々積み重ねながら、地道に進んでいくものです。僕らは師匠や先輩方からお習いするわけですが、一方で観客の方に育てられるという面もあります。これからはさらに叱咤激励していただける観客層を増やしていきたいと思います。

組踊『執心鐘入』

組踊『執心鐘入』

――それでは組踊についてうかがいます。嘉数さんが初めての方に紹介するときにどういう言葉を使われますか?

嘉数 組踊は沖縄が琉球という王朝文化を持っていた中で誕生してきた宮廷演劇の一つ、主に沖縄独自の音楽、言葉、そして踊りによる総合芸術です。セリフは琉球語、王朝時代の言葉ですが現在それを生活の中で自然に話せるのは80代以上の方々でしょうか。70代の方でも日常ではほとんど使用しない言葉で、沖縄でも字幕がないと理解ができない状況です。また演劇と言っても日常会話をするわけではなく、8・8・8・6音という琉歌の形式でつづられていきます。沖縄芝居では口語的なセリフのやり取りをしますが、組踊はメロディに乗せて、私たちは「唱える」と言うんですけど、セリフを発していきます。それは大きく分けて男性の唱え方、女性の唱え方、若衆という少年の唱え方があります。音楽は沖縄の代表的な楽器、三線でうたう歌三線が中心を担い、箏、笛、胡弓、太鼓で奏でられ、登場人物の状況や心情を説明します。聴かせどころが多く、大きな役割を果たします。また背景は紅型(ビンガタ)という沖縄独特の染物で作られた紅型幕が基本になっています。照明で昼になった夜になったなど説明はなく、それらもすべて歌やセリフで伝えていきます。踊りは実際に踊りのシーンもありますが、動き自体に踊りの手法が用いられています。その所作一つ一つにも決まりごとがあります。たとえば面を下に傾けると悲しさを表現するなどです。さっくりと申し上げるとこんな感じになります。

『執心鐘入』は1719年に組踊が初めて上演されたときに演じられた定番の演目

――ツアーで上演される『執心鐘入』は組踊の定番だそうですね。

嘉数 『執心鐘入』はまさに1719年に組踊が初めて上演されたときに演じられました。創始者である玉城朝薫の代表作です。主人公の若松は大変優れた人物で、美男としても有名です。彼が首里へ奉公に向かいます。途中、日が暮れてしまったので、とある家に泊めてほしいとお願いしたところ、板戸にいた娘は最初は断るのですが、予てから思いを抱いていた若松だと知って、招き入れて想いを打ち明けます。しかし若松は修行の身、断ってしまいます。想いが高まった娘は、異変を察知して家を出た若松を追いかけていく。そこで若松が寺に助けを求めると、住職は鐘の中に匿い、追ってきた娘は鬼女へと変化していく。そしてここが沖縄的ですけど、娘の感情が高まっているのを見抜いた住職は、若松を鐘の中から別の場所へ移すと、鐘に向かった鬼女と化した娘と住職の経文による対決が行われます。これが大筋です。組踊のドラマは各地のいろんな影響を受けていますが、特に本土、大和の文学の影響を受けていると思います。『執心鐘入』は、本土の『道成寺』ものとよく比較され、能や歌舞伎に親しみのある方ならいろんな見方ができると思います。

組踊『執心鐘入』

組踊『執心鐘入』

――今回のツアーは、今のように解説をされてから本編に入るという構成になるのでしょうか?

嘉数 そうです、私は全公演で解説を行います。ツアーは普段はない取り組みです。今回は次世代を担う、中堅や若手が携わります。組踊研修の1期修了生が中心です。私たち演者としては、組踊を観る機会のない場所に行って公演をするので、お客様が満足いただけるよう懸命に舞台を務めたいと考えています。また各地域の反応は実演家にとっての大きな収穫です。自分たちがやっている芸能を見つめ直す機会にもなりますので、正直に、しっかりと受け止めて次の活動に生かしたいと考えています。

――改めて組踊への思いをお願いします。 

嘉数 組踊には300年の歴史がありますが、宮廷で上演されていたのはその半分。廃藩置県を機に一般の中で継承されたのです。でも一般にはウケなくて、リアルなお芝居とかいろんな芸能が生まれます。でもそのときに先達たちは、いくらウケなくても、組踊は沖縄の芸能の核だからと大切にされてきた。だから変化せずに純粋なまま残ってきたわけです。琉球王国が存在していたという誇り、組踊を披露することで国家を守りぬいてきたという意地もあるんでしょうね。自分たちの祖先を敬う気持ちも芸能の中には息づいていると思います。だからこそ守りたいし、同時に新しい挑戦もしていきたいと思っています。組踊の可能性はまだまだあります。新しい取り組み、新しい作品を生み出すと同時に、自分たちも古典芸能の魅力とまだまだ出会っていたきたいですね。双方がうまく噛み合って、良い形で受け渡しができるような活動を行なっていきたいと思います。


取材・文:いまいこういち