映画にドラマにと人気作に次々と出演し、クセのある尖った役から純朴そうな少女まで自在に演じ分ける実力派女優、岸井ゆきの。彼女が、2年ぶりに舞台作品に挑むことになった。演出を手掛けるのは2015年にこの作品の日本初演も手掛けている栗山民也で、岸井にとっては今回が初めての顔合わせ。夫のアラム役を演じる眞島秀和とは、2017年のドラマ『十九歳』以来の共演となる。

リチャード・カリノスキー作の『月の獣』の舞台は、第一次世界大戦の3年後、1921年のアメリカ・ミルウォーキー。生まれ育ったオスマン帝国(現トルコ)によるアルメニア人迫害で家族を失い国を追われた青年・アラムはアメリカに亡命し、やがて自分と同じ境遇であるアルメニア人の孤児・セタを妻に迎えることにする。新しい家族を自分の理想通りに作ろうとするアラム、しかし幼いセタは心に傷を負っていることもあって彼の期待に100%応えることはできない。それでも月日が流れ、ある孤児の少年と出会うことで少しずつ変わっていく二人の関係……。時代も国籍も関係なく、夫婦とは、親子とは、家族とは、という誰にとっても身近な問題を改めて考えさせてくれる、胸に沁みる感動作だ。

稽古初日を目前に控えた中、セタを演じる岸井に今作『月の獣』に感じている魅力はもちろん、舞台作品ならではの醍醐味などを語ってもらった。

岸井ゆきの

岸井ゆきの

ーー2年ぶりの舞台で、この『月の獣』という作品に取り組むことになり、まずどう思われましたか。

やっとまた舞台に立てる! と、とにかく嬉しかったことを覚えています。でもよくよく考えたら登場人物は4人しか出てこないし、栗山さんとご一緒したこともなければ、紀伊國屋ホールの舞台に立つのも初めてで。そういう、悩む要素というかプレッシャーを感じることがいっぱいあって。ただ、もう、読んだ瞬間に「やりたい!」という気持ちだけはしっかりあって。その直感を信じてはいるんですけど、でも今どんどん稽古初日が近づいてきて……やっぱり大変だな、どうしようって思っています(笑)。

ーー具体的には、どのあたりが大変そうですか?

今、セリフを覚えている真っ最中なんですけど。私、これまで舞台上でこんなにたくさんの長台詞をしゃべったことがないんです。たぶん、人生で一番セリフ量がある作品だと思います。​

ーー確かに『月の獣』は4人芝居というより、2人芝居のようなものですよね。

二人のシーンが本当に多いですよね。その上、アラムに声をかけても言葉を返してくれないシーンがあって、セタがひとりで起承転結つけようと一生懸命話していたりするので。私、今までどうやってセリフを覚えていたんだっけ? と考えてしまうくらい悪戦苦闘中です(笑)。同じ言葉のセリフも多くて、たとえば「ありがとう」はこのシーンでは全部で5回だっけ、3回だったっけ? とわからなくなりそうで。​

ーー同じ言葉だと特に、混乱しそうですね。

そうなんです。この間、改訂版の台本を読んだんですが、「そのまま、そのまま、そのまま」というアラムのセリフの「そのまま」が一個足されていたんです。「ありがとう」も5回くらい、ではなくて5回なら5回正確に言わなければ、と強く感じました。そんな状態なので、今はワクワクとドキドキ、半々くらいの心境です。栗山さんとは、眞島さんと一緒にお食事に行かせてもらったのですが、まだその一回しかお会いしていなくて。ビジュアル撮影の時点では、もちろんお名前は知っていますし演出された作品は何本も観ていますけど、直接会ったことはなく匂いも嗅いだことないものだから(笑)、果たしてどんな方なんだろうとずっと思っていたんです。それで、稽古前に話せる機会があればということでお食事をさせていただいたんですが……。​

岸井ゆきの

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ーー直接会ってみて、どんな方でしたか?

お芝居が、心底大好きな方なんだなあと思いました。ずっと演劇の話をされていたんです。栗山さんはいろいろな国に行かれているので、他の国の演劇の話も。『月の獣』に関しての突っ込んだ話は、誰もしなかったです(笑)。​

ーーそれはあえて、なんですかね(笑)。

私は単に、怖くて聞けなかったんですけどね。今日はただひたすら楽しくお話して、稽古からがんばろう! ということかな、と。​

ーー休憩時間は、よくケータリングのお菓子を召し上がっていることが多いという話ですが。

そこは、私と一緒だ! じゃ、美味しい差し入れを考えておきます(笑)。

ーー役者仲間から、噂を聞いたりも?

まず、とにかく稽古をつけるのが早いという話を聞きました。それと、2年前に劇団☆新感線の『髑髏城の七人』Season風 で初めていのうえ(ひでのり)さんの演出を受けたんですが、いのうえさんは自分で立って演じてみせて下さる方だったのですが、栗山さんもかなり細かいところまで演出をつけてくださる方だと聞いています。​

岸井ゆきの

岸井ゆきの

ーーダメ出しの言葉がとてもわかりやすい、とも聞きます。

何だか、少し安心しました。ダメ出しって演出家さんの人柄が出ますよね。今回はどんなダメ出しが聞けるのか、とても楽しみです。だけど今回、出演者がとても少ないので……。『髑髏城〜』の時みたいに出演者がたくさんいると、ひとりがセリフを間違えても周りのみんなで助け合って、誰かが代弁したりできることもあって。だけど今回の舞台は、絶対に誰もフォローできないシーンがいくつもあるので。​

ーーむしろ『髑髏城〜』とは真逆と言えそうなくらいに、違うタイプのお芝居ですよね。

はい。ちょっとビビっています(笑)。本当に大変な時はどうしたらいいんだろう。万が一セリフを忘れてしまったら、全部が台無しになりそうな気がして。稽古場にいる間にたくさん失敗して、色んな経験をしておきたいです。​

ーーそして、今回のお相手役が眞島秀和さんです。眞島さんとは『十九歳』というドラマで共演して以来ですね。

眞島さんとご一緒できるというのは、ものすごく安心感があります。舞台って2カ月くらいの間、毎日一緒にいるわけなので…一から関係性を作っていくことって結構大変なんですけど、元々の信頼関係があるので。すごく頼りにしています!​

ーー今の段階で、セタという女性をどう思われているか、そしてどう演じたいですか。

セタは歴史的にも大変な体験をしてアメリカに逃げてきて、アラムと家族を作るわけですけど。なぜか、最初から悲壮感みたいなものがあまりないんです。体験したことはものすごく悲劇的な出来事なので、それをもろに背負ってしまってもおかしくないのに、意外に奔放で明るくて。ケラケラ笑うんです、セタは。そこに、私はすごく魅力を感じました。そんな彼女をどんな風に表現できるのか。しかも15歳から始まって30歳くらいまでの物語が、このひとつの作品で描かれていきますから。私自身は、この戯曲とかセリフ量にとらわれ過ぎずに自由に演じられたらいいなと思っています。ただまだ読み合わせもしていないので、どんな空気が生まれるかは想像できていないんです。台本は読んでいますが、まだ“鳴っていない”というか。​

岸井ゆきの

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ーー台本が、鳴るんですか?

そうですね。音が鳴ったり、立体的に飛び出す絵本みたいに感じながら読める戯曲もあるんですけど、『月の獣』は今はまだ小説を読んでいるような感覚なんです。私の頭の中の印象では、まだ“大地”。なにも生えていないんです。土しかない感じで。​

ーーこれから読み合わせをやると、その土から。

彩りが出てくるんだと思います。

ーーどんな葉っぱが出て花が咲くのか。そして立ち稽古になれば、またそこでも変化が出て来る。

はい。そこが、舞台の楽しいところでもあります。そのためにも、とにかくまずはセリフを覚えなければ!

ーーこの膨大なセリフ量に負けずに(笑)。

栗山さんの言っていることを、素直に聞けるようになるためにも。「ちょっと待ってください、確認します」というのではなく、セリフを全部入れて、栗山さんの言葉を100%聞けるような状態に……早くなりたいです! ​

ーー映像作品のほうでもたくさん面白いお仕事をされてきていますが、映像とはまた違う、舞台の面白さ、醍醐味はどういうところに感じられていますか。

舞台は、出るのも、観るのも大好きなんです。ひとつの作品をまるごと作ることができるというのがいいです。ドラマや映画だと、ワンシーンごとに撮って終わらせて、少しずつ完成させていくので。それが舞台だと、最初から作り始めて、途中の3場でこういう流れになるということは、じゃあ2場ではもしかしたらもっとこういう感情だったかもしれないと、戻って考え直すことができる。「あそこって、ああいう意味もあったんだ!」と後から知ったり、できあがって全部を繋いでみて初めて「なるほど!」って気づけたりすることもあるし。そして気づいた瞬間に対応できるということもあって、ものづくりをしている実感がより強く感じられるんです。積み上げていく感じも楽しいですし。同じ言葉を毎日言っているはずなのに、違う感情が急に湧いてくることもあるんです。舞台ってちょっと粘土細工みたいで……こねて、こねて……という。​

岸井ゆきの

岸井ゆきの

ーー今日はこの形になったけど、って。

稽古中なら、違ったと思った時点でバーン! って壊したりもできますから(笑)。そしてすぐ作り直すこともできるし、話し合いも何度だってできる。あと、演出家の言葉を直接いろいろ聞けるのもうれしいんです。さっきの、ダメ出しに人柄が出るから好きというのもそうなんですけど。今回は海外の戯曲を栗山さんが演出するので、栗山さんが書いたものではないですが、作・演出が同じ人の場合は言葉選びから気づくことも多くあったりするんです。こういうことを言いたい時に、この人はこういう言葉を使うんだ、とか。考え方が伝わってくるんです。その人から湧き出た言葉みたいなものが聞けるというのは、長い時間、同じものに向き合ってきた人だけが聞ける言葉だったりもするから、そういった経験ができることも面白いなって感じます。

ーーあらすじだけ読むと、固い話、難しい作品なのかと思われがちですが、これは誰もが共感しやすい家族の話で、夫婦の話、親子の話であって。舞台を見慣れないお客さまにも、ぜひ足を運んでいただきたい作品だと思うのですが。ぜひここで舞台好きの岸井さんから、お誘いの言葉をいただけますか。

舞台の一番の醍醐味は、お芝居を生で、自分の目で観られることだと思います。画面を通して感じるものとはまた違ったものが伝わってくるはずです。それと私、舞台の照明がすごく好きで。舞台照明って映画やドラマとは違う、舞台作品でしか体感できない良さがあるんです。また今回は日本人の役ではないので、衣裳もいつもの雰囲気とかなり違ってきそうですし。作品的には重たい空気が流れているかもしれませんが、ストーリー以外にも注目するところは、きっとたくさんあると思うんです。みなさんにも家族がいて、もしかしたら家族を自分が作るということはまだ体験していない方もいるかもしれないけれど、共感できる部分はとても多いはずです。みんながみんな、セタやアラムみたいなここまでの重い歴史を背負ってきたわけではないとはいえ、家族になるということはいろんな形の困難を乗り越えていくことなんじゃないかと思うので。あとこうやって、家族のことを考える機会って普段はあまりないと思いますし。​

ーー確かに何かきっかけがないと、改めて考える機会は少ないかもしれません。

このお芝居を観て自分の家族のことを改めて考えた時、今までとちょっと違う接し方ができるんじゃないかなって思うんです。もしかしたら自分の家族に対しての想いが、この作品で変わるかもしれません。だから舞台の上で完結するんじゃなくて、それぞれが持ち帰るものが多い作品だなとも思っています。あと、時間が経ってからも、ふとしたきっかけでセタやアラムのことを思い出してもらえたりしたらうれしいですね。​

岸井ゆきの

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取材・文=田中里津子 撮影=山本 れお