実在した詩人たちの物語。1月25日(土)〜2月2日(日)に新国立劇場 小劇場にて上演される『る・ぽえ』は、“鈴木勝秀×る・ひまわり”として『ウエアハウス-double-』(出演:平野良&小林且弥)と同時上演される。

高村光太郎の詩『智恵子抄』、萩原朔太郎の詩『月に吠える』、中原中也の人生と恋愛……三者三様の物語が“詩”を通して描かれる。美しい日本語の世界を表現する俳優・碓井将大と辻本祐樹に作品について聞いた。


「なにをやってもいい」と自由。だからこそ難しい

──鈴木さんの演出の魅力は?

碓井:僕はスズカツさんとご一緒するのは初めてです。

辻本:僕は3回目。最初にご一緒したのは4年前かな……2度目のる・ひまさんの『僕のド・るーク』で、スズカツさんの人となりをやっと知ることができました。普段はクールなんですけど、演劇がめちゃめちゃ好きで、ものすごく熱い人なんですよね。

碓井:たしかにね!

辻本:役者に対してとても愛情があって、その人のお芝居をすごく見ている。絶対にムゲにはしないし良いところは「それいいじゃん!」と言ってくれる。「辻本その感じでいい」と言ってもらえるのがこんなに嬉しいことなんだ!と思いました。やればやるほどどんどん楽しくなる方です。みんなも「スズカツさん楽しい!楽しい!」と言っているよね。

碓井:おもしろいですよね。すごく不思議な作品づくりをされるんです。文学者の話なので、すごく言葉が綺麗なんですよ。そこに僕らがよけいなものを加えると作品の純度が下がってしまう。俳優がなるべくなにもしないで立っているだけでも成立する作品だと思うんですが、それで2時間上演するのはさすがにお客さんもしんどいから、周りが機械的に動いたりするんですよ。

たとえば、台詞を言っている時に、周りの人が『イスに立って座る』という動作を繰り返したりするんですよ。その動きがなにを表現しているのかわからないけど、葛藤に見える人もいれば、怒りに見える人もいれば、楽しいからそうしてるように見える人もいるんじゃないかな。稽古ではスズカツさんも僕たちも新しいことをバンバン試すし、「なにやってもいいよ」という空気があります。360度お客さんがいるので、できることの自由度が高い。

辻本:全方向を意識しなきゃいけないので難しいよね。背を向けているお客さんにもちゃんと伝えなきゃいけない

碓井:ほんとにそうなんですよね! 

──でもやりがいはありそうです。きっと楽しいんじゃないですか?

碓井:うん、楽しいです。

辻本:そうですね。朗読劇のようだけど、役を演じるので、「この人はどう見えてたんだろう」「ここはすごく嬉しかったんだろうな」「ここはすごくきつかったんだろうな」という感情がお客さんにガツンと届けばいいな。スズカツさんが「溢れた感情は我慢しなくていい」と言ってくださったので、思い切りやっています。

でも、感情を我慢しなかったら台詞が言えなくなっちゃったことがあったんです……。感情が爆発してどうしても台詞が言えない、でも、言えるまで待ってみてから言いました。時間はかかったけどスズカツさんは「それはそれでいい」と言ってくれた。そのさじ加減は本番でどうしたらいいのか、今は稽古でおそるおそる試しているところです。

──稽古だからこそおこなわれる試行錯誤ですね。

辻本:そうですね。毎回同じ台本を演じているのに、自分の感情が引っかかる場所が変わるんです。なにが正解なんだろうな。

碓井:日によって違うのかもしれないですね。

辻本:とくに、僕が演じる高村光太郎の詩を、ほかの出演者たちが読むシーンに感情をすごく揺さぶられるんです。ズキュンズキュン刺さる。でもスズカツさんが「芝居は与え合いだから、もらっていい」と言ってくれたので。自分も共演者にちゃんと与えられる芝居をしなきゃいけないなと思います。


生きるって泥臭い。それを舞台で表現したい

──実在の人物をモデルにしていますが、役作りはどうしていますか? 

碓井:僕の演じる中原中也は、動物的というか欲望のままに生きた人を見せられたらいいな。昔の詩人さんってむちゃくちゃな人が多いんですよね。演劇や映画の人もそうだったと思うんですけど、モノや街が発展していく激動の経済背景に自分が飲まれないように生きて、そのなかから良い文学や芝居が出てきた印象なんです。芝居も詩も、うまく言葉であらわせないものを表現してると思うんですよ。

たぶん本人は詩にある以上のエネルギーを持っていて、中原中也は孤独や寂しさの中から詩を生み出したのかもしれないなと感じます。中也の有名な詩『汚れっちまった悲しみに・・・・・・』は劇中にも出てきますが、あれは演じる僕自身が悲しんでいるというよりも、お客さんが「この人ってなんでこんなに悲しそうなんだろう。その悲しみの中から詩を生み出したのかな」と想像できればいいな。

──『汚れっちまった悲しみに・・・・・・』は綺麗な詩だけど、重みのある内容ですね。

碓井:ええ。この時代は死が近いんですよね。結核が多くて、風邪を引いた結果に死んじゃったりする。中原中也は、子どもも弟も亡くなっています。死や孤独や寂しさや悲しさや汚いもののなかから這い出てきた人なんじゃないかな。そういう人って逆に、人懐っこかったり愛情深かったりすることもあると思う。

そして中也は、自分の欲望に沿って生きた人に見えます。僕も当時の詩人や俳優みたいにちょっとむちゃくちゃなこともやりたいなと思うこともあるけど、お年寄りに席も譲るし、道に財布が落ちてれば警察に届ける。それは生活のために必要なことで、本能だけで生きている人は少ない。でもスズカツさんが「全裸になってもいいから、自分がこうやりたいんだ!というものを見せてくれよ」と言ってくれたので、舞台に立つ特権だと思って思いきりやっちゃいたいです。

あと、見た人に関係性をゆだねられるような作品にしたいんですよ。「高村光太郎はこういう人間関係のなかで詩を作ったのかな」とか「北原白秋とあの人はどういう関係だったのかな」とか想像して楽しんでもらえたら。メインの登場人物は3人いるんですが、三者三様の生き方があって、生きるって綺麗なことじゃないなとあらためて思う。生きるって、泥臭い。そんな泥臭いものが見せられたらいいな。


──辻本さんが演じる高村光太郎と芥川龍之介についてはどんな役づくりを?

辻本:芥川については濃い色を残そうという思いはなくて、まわりの芝居を見ながらどうやろうかなって模索しています。荻原朔太郎役の嶺(木ノ本嶺浩)と会話するシーンが多いんですが、嶺がどうするのかをすごく意識して寄り添おうとしていますね。あと、舞台で描かれるのは芥川の若い頃なので、才能があり純粋な感じが出せればいいな。

もうひとりの高村は、ものすごく深い愛の中で人を亡くしているので「詩を書こう」と思うまでにすごく時間がかかった人です。毎回台本を読んでいてしんどいんですよ。でも、史実を調べると高村の恋人だった智恵子がどんどん可愛く見えてくる。壮絶な環境のなかでも、愛する智恵子への思いを大事に演じたい。愛情って誰にでもある感情だと思うので、その深さをちゃんと表現したいです。

碓井:智恵子と(高村)光太郎ってすごく不思議な2人ですよね。詩ではそんなに稼げないだろうに、どうやって生活してたんだろう。たしか智恵子の実家がお金持ちなんでしたっけ?

辻本:そう、お嬢様なんですよね。でも途中で破産しちゃったこともあって精神的におかしくなっちゃった。

碓井:そうか……。詩人とお金の関係についてすごく気になるんですよね。中也なんて30歳で死ぬまで一冊しか詩集を出してないんですよ!「俺は詩人なんだ」って言ってるけどお金はないんですよね。お金がなくても生きてはいけるかもしれないけど、「どうやって生活してるの?」みたいな人が多い。俳優もかつてはそういう人がいたと聞くけど、現代の俳優はお金がなくても全体的に小綺麗だし、キラキラしていたりもする。それはそれでいいんですけれどね……

辻本:なんか、碓井くんって産まれた時代間違えた感じだね(笑)

碓井:僕、最近、落語や講談が好きで神田松之丞さんの講談を聞きにいったりするんです。噺家さんや講談師さんは年間300ステージくらい、つまり、ほぼ毎日舞台にいるんです。事務所の会長は落語や講談をよく聞くそうで、「芸術はお金儲けとはまったく別のところにあるから、本当に自分で話を練って自分だけでつくったものを自分の身体だけを舞台に乗せてお客さんに届けるという芸事の根本は忘れちゃいけない。俳優やお笑い芸人はまず貧乏を経験しろ」と言うんです。

それは『る・ぽえ』に登場する詩人達をみると実感するんですよね。みんなどこに住んで、なにを食べているのかよくわからない。しかも調べてみると、酒ばっかり飲んで結核になって死んだりしている。中也だって実家が代々開業医なのに勘当されて、父親の死に目にも会えなかった。そういう人は一般的じゃないから、お客さんが共感できるのかちょっと心配(笑)

辻本:そうだね。客席で観てて「え、そんなふうになる?」ってなるかも?

碓井:一方で、非日常だからこそお芝居を通して体験できるというおもしろさもありますよね。芝居って体験を売るものだと思うので、劇場でしかできない体験をしに来てほしいですね。

辻本:難しい話じゃないし、しっかり伝わる作品になっていると思いますから、気軽に足を運んでいただきたい。ぜひ3人の詩人の人生を思う存分楽しんでいただきたいな。稽古を見ていても三者三様のおもしろいステージになっていると実感します。

碓井:どの人の視点で観るかで印象が変わりそうですよね。今日は萩原朔太郎に思いを寄せてみた、別の日はこっちの人……という楽しみ方もできる。観るタイミングによっても、誰に感情移入するかが違うと思うんです。たとえば、悲しいことがあった後や、嬉しいことがあった後や、誰かと別れた後など、体調によって心を寄せやすい登場人物が違う。その時に自分が自然に寄り添える人物のフィルターを通してこの作品を観てほしいな。あと、日本語ってこんなに美しいんだということをあらためて実感してほしい作品です。


取材・文/河野桃子