東京・歌舞伎座は、2020年8月1日(土)に『八月花形歌舞伎』で興行を再開し、26日(水)に無事千穐楽をむかえた。9月1日(火)には『九月大歌舞伎』が開幕し、現在まで新型コロナウイルスの感染者を出すことなく、興行が続いている。これは劇場、出演者、スタッフの努力、そして来場者の理解と協力があってこそのことだ。そんな歌舞伎座が取り組む独自の新型コロナウイルス対策(以下、歌舞伎座モデル)をSPICEがレポートする。第二弾となる今回は、歌舞伎俳優の松本幸四郎にインタビューを行った。

幸四郎は『八月花形歌舞伎』の『与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし) 源氏店 』(以下、切られ与三 )で5か月ぶりに生の舞台に立ち、現在は『九月大歌舞伎』の『色彩間苅豆(いろもようちょっとかりまめ) かさね』(以下、かさね)に出演している。

「8月に勤めた与三郎は、蝙蝠安に無理やり連れられ、しぶしぶ(舞台上の)源氏店へやってきます。9月の与右衛門は、かさねからやっと逃げ出したと思ったら花道から本舞台に引き戻されて本当にイヤ!……という役です。僕は舞台に立ててこんなにうれしいのに……2か月続けて、舞台にいたくない気持ちが大きい役なんです!(苦笑)」

冗談を交えつつ舞台再開のよろこびを語る一方で、「8月は本当に長い1か月だった」ともふり返る。歌舞伎座の舞台裏では、どのような感染症対策が行われているのか。歌舞伎俳優として、幸四郎がどのような思いを抱いているのか。話を聞いた。

松本幸四郎

松本幸四郎

■ 歌舞伎座の感染症拡大防止対策 「歌舞伎座モデル」
歌舞伎座は、劇場における一般的な対策(客席数の制限、場内の換気、マスク着用の徹底、エントランスでの手指消毒や検温、密を作らないための整列退場など)に加え、「四部制」を生かした独自の取り組みを行っている。
従来の歌舞伎の興行は昼夜二部制(夏や年末は、例外的に三部制)だ。それを四部制にし、各部の上演時間を60分前後とした。滞在時間の短縮は、クラスター発生のリスク低減につながる。一部終わるごとに観客を総入れ替え(次の部を観劇する場合も一度退場)し、館内を消毒する。同時に、劇場にかかわる人を、オモテ(客席・ロビーなど)とウラ(舞台・楽屋まわり)に分け、お互いの行き来をなくしている。
さらに一座は、俳優、音楽関係者、大道具、小道具、衣裳、床山、照明、頭取、狂言作者、検温・消毒係などのスタッフで構成される4つのチームに分けられ、各部ごとに、前後の部とすれ違うことのないスケジュールで歌舞伎座に出入りする。これにより、どこかの部で感染者が出ても、他の部の人の安全をまもり、他の部の上演を続けることができる。
『歌舞伎座のコロナ対策取材レポート『八月花形歌舞伎』四部制で守る3つのもの』(2020年8月21日掲載)
(https://spice.eplus.jp/articles/274190)

■興行を守るための四部制

ーー稽古の時から、四部に分かれていたそうですね。

今までは、まず「顔寄せ」で、一座(その月の全演目の出演者・関係者)が全員集まるものでした。でも8月、9月は、稽古に入る前に、全員がPCR検査を受け、結果が陰性だと確認した後に、部ごとの、感染症対策の説明会がありました。劇場に入るときは、楽屋口で手指の消毒と検温をして、各自の平熱が分かるように検温結果を毎日記録してもらっています。着到板の釘(ピンのようなもの)は頭取さんが指します。神棚の下に清め塩があったのですが、いまは一時的におかれていません。​

ーー顔寄せやお清めの塩のような慣習よりも、今は安全を優先されているのですね。

床山や衣裳の方は楽屋でもマスクで、僕も本番は、楽屋から居どころ(スタンバイの位置)まで、与三郎や与右衛門の拵えの上からマスクをしていました。楽屋は個室ですし、役者同士の挨拶も禁止されていますから、共演者に会うのは舞台上だけなんです。役者って、その日の芝居が終わった後に顔を合わせて「ここはああだね」と話しあうところまでが仕事だと思うのですが、今はそれができない。仕方がないので先月は電話で話しました(笑)。​

ーー苦肉の策とはいえ、短い稽古と電話の打ち合わせで成立することに、歌舞伎の強さを感じます。関係者からは、「8月は薄氷をふむ思いだった」との声もありました。

8月は本当に長い1か月でした。コロナかどうか以前に、発熱者が出たら、個人名を伏せて、情報が共有されます。気は重くなりますが、憶測で話が回るより絶対に良いですよね。松竹は、必要な時にはPCR検査を受けられる体制を整えてくれています。説明会で「体調が悪い時は必ず言ってください」、「躊躇することなく休んでください」と強く言われたことは、心強かったです。8月には、僕も臨時のPCR検査を受けました。発熱者がでたから、と。

ーーイレギュラーな環境が、お芝居の時の心境に影響することはありますか?

それはありません。舞台本番は、以前と変わらず芝居に集中できます。このような時期に、いつもどおりやらせていただけている。役者として最高の場をいただいたと思っています。

■『切られ与三』お富の手をとりかけて

『与話情浮名横櫛 源氏店』右から、切られ与三郎=松本幸四郎、お富=中村児太郎 (C)松竹

『与話情浮名横櫛 源氏店』右から、切られ与三郎=松本幸四郎、お富=中村児太郎 (C)松竹

ーー8月に舞台が再開した時は、どんなお気持ちでしたか?

これから毎月12か月、歌舞伎座は開く。8月はその1か月目だと解釈しました。続く9月につなげなくては、という思いでした。​

ーー与三郎役についてお聞かせください。

(歌舞伎座モデルでは)前後の部の方と出入りが重ならないように、楽屋に入れる時間が決められています。これが結構慌ただしくて。先月つとめた与三郎は、全身を白く塗り、その上から全身に傷を描かないといけません。描いた傷が乾くまでに15分ほどかかります。はやく乾かさなくてはとパンツ一丁でこうしていたら(幸四郎、上半身や腕をはげしく振る)、汗をかいて、かえって乾きが遅れたり(一同、笑)。これが伝統芸能か……と言われそうな格好での試行錯誤でしたが、いまは楽屋に誰かがくることもありませんからね。​

ーーコロナの影響がそんなところにまで(笑)。劇中では、お富(中村児太郎)が藤八(片岡亀蔵)に化粧をしてあげるシーンや、最後の与三郎とお富の振りにアレンジがみられました。

最近の演出では、与三郎とお富の誤解が解けて、2人が組んで終わることが多いです。8月は多左衛門(市川中車)が幕を切って芝居を終えると決めていたのですが、 初日の終演後、中車さんから「やっぱり最後に与三郎が出た方がいいよ!」と。松竹のほうでも検討いただき、与三郎とお富の気持ちが通じあう幕切れに変更しました。感染症対策で抱き合うことはできませんから、そこをどうするか。

ーーふたりは一度寄り添いかけ、ハッとして体をはなし、手拭いでつながる演出でした。ハッピーエンドな上に、時代を反映した趣向で客席も盛り上がりました。

感染症対策としては、与三郎がお富の手を「とらない」だけでも良かったんです。でも、もとのお芝居を知るお客さんが振りをカットしたのを観たら、きっと淋しく感じると思いました。ふざけていると感じられた方もいたかもしれませんが、工夫して残すことで、ナルホドとか、ホっとしていただきたかった。​

『与話情浮名横櫛 源氏店』切られ与三郎=松本幸四郎 (C)松竹

『与話情浮名横櫛 源氏店』切られ与三郎=松本幸四郎 (C)松竹

■『かさね』安全に勤め、安心して観てもらう

ーー今月の第二部『かさね』は、幸四郎さんが与右衛門、猿之助さんがかさねを勤めています。昨年の襲名披露の巡業公演「松竹大歌舞伎 東コース」以来の共演です。変更点はありましたか?

与右衛門とかさねが、まともに面と向かわないよう、顔の向きをお互いに少し変えています。鎌を咥える振りも、巡業の時と変わりました。巡業の時のやり方は、与右衛門が花道で鎌を咥えての見得、幕切れで、かさねが同じ鎌を咥えての見得で決まる。でもこの時期に、ふたりが同じものを咥えるのはまずいだろうと。

ーー結果として、かさねが鎌を咥えていましたね。

流派によっては、与右衛門が咥えない振りもあるんです。振りの意味を考えても、与右衛門が鎌を、口ではなくて手に持って腕を前に突き出し、誰もいないか見込む振りは理屈的に通ると思いました。1人しか咥えられないなら、かさねにとって唯一の見得、紅葉の木に登ったところで、ぐわっと鎌を咥えていてほしい。それ以上に与右衛門が咥えるべき理由は、見つかりませんでした。

ーー鎌を2つ用意し、こっそり交換してはダメですか?

それも考えたのですが、あからさまに取り換えていては芝居としてダメ。お客様に気づかれないよう取り換えたら、僕らが安全でも、お客様が「同じのを咥えていいの?」と不安を抱くかもしれない。それもダメですよね。安全、安心という意味で、今回の形になりました。​

『かさね』与右衛門=松本幸四郎(令和2年9月歌舞伎座)

『かさね』与右衛門=松本幸四郎(令和2年9月歌舞伎座)

昨年の巡業では鎌を咥えた見得だった(『かさね』与右衛門=松本幸四郎)

昨年の巡業では鎌を咥えた見得だった(『かさね』与右衛門=松本幸四郎)

■慣れることはありません

ーー再開から間もなく2か月ですが、少し慣れましたか? 慣れない部分はありますか?

これが最善の方法だと割り切っています。僕は用がなくても楽屋をウロウロしていた方なのですが、いまはウロウロしても誰にも会いません。一座が会わないのは、やはり寂しいです。四部が顔もあわせられなくても、一緒に何かをしたいと思い、8月公演では俳優協会のYouTubeチャンネル「歌舞伎ましょう」で動画を公開したりもして。

ーー8月にWEBサイト『歌舞伎美人』でサイン入りの壁紙が配布されたのも、幸四郎さんのアイデアだったそうですね。

お客様へのサービス以前に、一座としてのつながりを、僕自身が感じたかった。集合写真を撮れないなら、せめて寄せ書きはどうか。印刷して配るとモノや人の接触が増えてしまうというなら、大きなパネルにして飾れないか。それだと人が集まり密な状態を作りかねないならネットで配りましょう、と。

出演者サイン入りの壁紙画像 (左から)中村七之助、片岡愛之助、松本幸四郎、市川猿之助、中村勘九郎

出演者サイン入りの壁紙画像 (左から)中村七之助、片岡愛之助、松本幸四郎、市川猿之助、中村勘九郎

ーー次に歌舞伎座に出演される時までに、変わっていてほしいことはありますか?

誰ひとり欠けず、みんなで再開したいです。9月はイヤホンガイドが再開しました。筋書も大向うもほしい。世の中がもとに戻るとは思っていませんから、もと通りを目指すつもりはない。本質的には大向うは声が聞こえればよくて、筋書も手渡しで売る必要はないんじゃないか。やり方を変えて届けることができないかとか……考えてしまいます。

ーー約5か月、舞台が開かない期間があったからこそ、考えたこと、気づいたことはありますか?

戦争でも震災でも時代が変わっても、400年以上生き残ってきた歌舞伎に、ここでピリオドを打つわけにはいかない。それは切実に考えました。​

舞台が開かないと、歌舞伎俳優は何もできないのか。そうじゃない。他でも芝居はできる。歌舞伎にはその力があると思い「図夢歌舞伎『忠臣蔵』」も行いました。いまでも舞台だけじゃないとは思います。でも「やっぱり舞台だけだよ」とも思うんです。​

そこで気づいたのは、“掲げてしまうこと”の大事さ。かっこよく言うなら「夢をもつ」ということでしょうか。「いつになれば芝居ができるかな」では、多分いつまでもできませんでした。「いま劇場で芝居をやろうよ」と掲げたから、「どうすればできるか」につながった。どうしたらいいかは、そこから知恵を絞れば良いんだって。

『かさね』与右衛門=松本幸四郎(令和2年9月歌舞伎座)

『かさね』与右衛門=松本幸四郎(令和2年9月歌舞伎座)

■大向うが聞こえた

ーー最後のお伺いです。今年5月、別のインタビュー(※)で「舞台がない今、ファンである私たちにできることがあるか」とお訊きしたところ、幸四郎さんは「ありません」とお答えになりました。※『歌舞伎家話』でのインタビュー(https://spice.eplus.jp/articles/269903)

そうでしたね。

ーー今なら、できることがあるのでしょうか。

舞台が再開した8月1日、花道へ出てきたときに、花外(花道よりも外側の客席)の男性が膝の上に「高麗屋」と書かれた紙をもっているのを見つけました。大向うのかわりに、できることを考えてきてくれたんですよね。感動しました。

ーーすてきなエピソードです。今後は歌舞伎座でも、アイドルのライブを参考にしたウチワやサインボードで……。

絶対にやめてください! 周りのお客様の観劇の妨げになりますから!(笑) その分、大きな拍手で応援してください! あの時の男性は、他のお客様にも気づかれないくらい控え目で。本当にうれしかった。大向う、聞こえたよ……と思いました。​

松本幸四郎

松本幸四郎

幸四郎は、9月26日(土)まで歌舞伎座『九月大歌舞伎』に、その後は国立劇場『令和2年度 文化庁芸術祭主催 10月 歌舞伎公演』に出演する。歌舞伎座では、10月2日(金)より『十月大歌舞伎』がはじまり、松本白鸚、片岡仁左衛門、坂東玉三郎など“大歌舞伎”と冠するにふさわしいキャスティングの演目が並ぶ。歌舞伎座は10月も、客席数を50%以下に抑えての興行となるという。観劇の際は、歌舞伎座の興行を支える一人という意識で足を運びたい。