秋も深まる2020年11月12日(木)、東京の浜離宮朝日ホールで『髙木竜馬 ピアノ・リサイタル アニバーサリーイヤー・コンポーザー・シリーズ』が開催された。今年8月から9月にかけて開催されたリサイタルツアー『生誕250年 髙木竜馬で聴く ベートーヴェン 4大ソナタ』に続き、「記念すべき年を迎えた作曲家による一夜限りの特別プログラム」という、実に意欲的な内容だ。髙木にとって、今回の公演が初のホールリサイタルとなった。

曲目は、髙木が2018年に挑んだ第16回 エドヴァルド・グリーグ国際ピアノコンクールの優勝、並びに、聴衆賞受賞を記念してグリーグの小作品から数曲。そして、今年、それぞれに記念年を迎える三人の作曲家、ベートーヴェン(生誕250年)、ショパン(生誕210年)、チャイコフスキー(生誕180年)にちなんだ作品から、という多彩なラインナップで構成されていた。


舞台に颯爽と現れる髙木。ピアノに向かい、しばし、集中のために時を刻む。一曲目は、ベートーヴェンのソナタ 第17番「テンペスト」。幻想的なアルペッジョ (分散和音)の響きで始まる冒頭。瞑想的で独特の時間軸を持つアルペッジョは、最初から聴き手に疑問を呈するかのようだ。

一連の豊かな響きの導入を経て、不穏な空気を感じさせる次なる主題へと突き進む。冒頭の問いの呈示に対して応答するかのような語調の強さを感じさせる印象的な主題。髙木は焦燥感に満ちたパッセージをいっそう駆り立てるかのように絶妙なテンポ感で煽り、「テンペスト」 と名付けられた作品の世界観へと一気に客席を誘う。



再び、突如として現れるオペラの徐唱を思わせる挿入句。その後も、この作品の持つ型破りで独創的なスタイルの楽句の連続や、性急な強弱の変化を正確にコントロールしつつ、つねに不安定で曖昧な要素が醸しだす浮遊感を、さらに独自の強い色彩を伴う言葉で描きだしていた。

この作品が作曲された1802年は、ベートーヴェンが、かの有名な 「ハイリゲンシュタットの遺書」 をしたためた年に重なる。髙木も先だってのインタビューで詳しく語っているが、この遺書には、ベートーヴェンが難聴という致命的な障害を果敢に受け入れることで、死を恐れるよりも、自らの新たな創作に向かい、自らの芸術のために力強く生き続けていこうとする強い意志が読み取れる。心情を吐露するという行為そのものがベートーヴェンに精神的な清算(カタルシス) をもたらし、死に向かいゆく遺書というよりも、むしろ、新たな生への誓いとなったのだ。

さらに興味深いのは、ベートーヴェンという芸術家が持つ文学的な才能が、遺書の文面に大いに発揮されており、鮮やかにリンクするかのように、この時期のソナタ作品には、ドラマティックで文学的な構成の妙味や斬新さが散りばめられている。


髙木はこの文学的要素を多いに含んだ テンペスト という、新しい創作のかたちを、自らの言葉でかみ砕き、作曲家の魂を紡ぐかのように、強い意志の力で一つのストーリーに構築し、さらに、緻密に一つひとつの音へと昇華させていた。

一変して、田園風で素朴なメロディで始まる二楽章。愛らしく、牧歌的な雰囲気の中にも、ベートーヴェンの孤高の精神、内省的で深淵な思考が、ここでも髙木という演奏者の強い意志と言葉によって紡がれていた。

二楽章から三楽章へは、ほぼアタッカ (続けて演奏されること) のように突入。堰を切るかのように流れゆく第一主題は、その後の展開を予兆させるかのように、聴き手に何らかの思いを強く呈示するかのようだ。

そして、ダイナミクス(強弱)の振れ幅の巧みさ。それは、計算されたというよりも、むしろ、心の中から自然に湧き出るかのように、幾重にも重なり合う作曲家の複雑な心の襞 (ひだ) を立体的に描きだしていた。一曲を通して、ベートーヴェン自身の心境の変化や息づかいそのものが、明確に聴こえてくるような精緻な演奏だった。



続いて、同じくベートーヴェンのソナタ 第23番「熱情」。この作品もまた、「ハイリゲンシュタットの遺書」 に続く、一連の年の流れの中に位置づけられる作品だ。髙木自身もプログラムで触れているが、冒頭の第一主題と、それに続く 「運命の動機」 と呼ばれる不気味な動機の存在が、一つの巨大なアーチを結び、寸分の隙も無く、全楽章にわたって宿命的なテーマの様に一つの作品を支配する。

冒頭から最初の数小節目までは、どこに進もうとしているのか、しばし、疑心暗鬼の様子。しかし、進みゆくに連れ、髙木の持つ強烈な言葉の力は、その問いへの解決の糸口を徐々に導き出してゆく。髙木のドラマ運びには、そんなストーリーテラーのような巧みさが感じられるのだ。まさに、一つひとつの楽句の間に心情を表すト書きが与えられているかのように。実際、髙木は、恩師とのレッスンにおいて、楽節、楽句の一つひとつに、言葉や色彩による動機付けというのを緻密に行ってゆくのだという。


第二楽章から終楽章への移行は、ハッとさせられるほどスリリングだ。第二楽章も、緩徐楽章らしさを丁寧に歌い上げつつも、その後の展開を予兆するかのように、理知的で、傍観者的な視点が一種の不気味さを暗示していた。

そして、完結のドラマが生まれでるフィナーレ (三楽章)。前半、すべてを見越しているかのような落ち着きに満ちていた。しかし、次第に頂点に向かいゆくエネルギーは、言葉というものの存在を超え、さらなる新たな境地を目指し、昇華されるベートーヴェンの秘めたる志を暗示するかのように、野心と希望に満ちたものだった。最後は腕を大きく振り上げて、「弾き切った!」 と言わんばかりのポーズで締めくくる。


後半、第二部は、髙木がライフワークとしたいというグリーグのサロン的作品集から4曲が演奏された。グリーグは、20代から、40年近い歳月にわたり、全10巻66曲からなる「叙情小曲集」を作曲している。この日は、老境に向かいゆくグリーグ自身の人生への追憶の念が感じられる晩年の作品、第10集の2曲から先に演奏された。

過去を振り返り、自らの人生を語りだすかのような詩的なフレーズで始まる第1番「その昔」中間部では、追憶の中にある在りし日の生き生きとした喜びが、ノルウェーの民族的な舞踊のリズムとともに描きだされる。やがて夢は潰え、再び、哀愁に満ちた老境の想いへと戻りゆく。髙木は、思慕と現実が行き交う二つの世界をコントラスト豊かに描きだしていた。


同じく、晩年の作品 第10集から、 第2番「夏の夕べ」。暮れることのない北欧の夏の夜。茫漠と広がる淡色の空に密やかに煌めく星々。髙木は、感傷的になることなく、美しい自然の姿を淡々と見つめるかのように描きだしていた。それは、大いなる自然の持つ永遠の力に魅了された一人の詩情に満ちた傍観者の姿だった。

三曲目は、66曲の作品集の中でも最も知られた「トロルハウゲンの婚礼の日」(第8集 第6番)。髙木によると、この作品は、グリーグ夫妻の銀婚式の華やかで、和気あいあいとした様子が再現されているという。

軽やかなマーチのリズムのテーマ。続いて現れる16分音符のリズムを刻む細やかなパッセージも流れるように。そして、抒情的で、感傷的な中間部へ。仲睦まじい夫妻が青春の日々を愛おしく振り返る様子。そのみずみずしい情景の描写の細やかさと優しさに、髙木がいかにグリーグという作曲家を敬愛しているかが強く感じられた。


最後に 第5集から「ノットゥルノ」。第5集はグリーグが50歳になる前の作品で、芸術的にも頂点の時期にあったとされる。その中から “夜想曲” と題された一曲。円熟期の作品の持つ艶やかさや官能的な音の印象が魅力的だ。

北欧の透明感あふれる情景を思い起こさせる髙木の演奏。そんな抑制の利いた響きが、むしろ、内に秘める情熱を感じさせる。ドビュッシーの「月の光」を想わせる中間部では、はやる心を決して高ぶらせることなく、ノルウェーの大地にこだまするかのように、静謐で研ぎ澄まされた音が美しい。


続いて、今年、生誕180年を迎えるチャイコフスキーの作品から「主題と変奏曲 作品19-6」。コラール風の16小節の主題と12の変奏、そして、最後のコーダ (終結の作品) からなる作品だ。

冒頭の主題。流麗な音で、この作品の持つ世界観を提示する。しかし、次第に変奏が進むにつれ、チャイコフスキーらしいピアニスティックな技巧を優雅な詩情の中に巧みに表現してゆく。チャイコフスキーらしい多彩で、華麗な様式が目くるめく現れるこの作品においても、髙木は、それぞれの変奏にしっかりとした性格を持たせ、一つひとつの中にある個性を引きだしていた。細部にわたる装飾句までもが作曲家が意図したそのものであるかのように鮮やかによみがえる。

コーダ (終結の一曲) のフィナーレの華麗な弾き納め。その熱を帯びた雰囲気に包まれたまま、最後の一曲、 ショパンの「スケルツォ 第2番」へ。前曲のチャイコフスキーとは、また一味違う、洒脱さとエレガントさが香り立つ。しかし、それは決して華奢なスタイルではなく、真っ向から立ち向かう力強さを兼ね備えているところが小気味よい。特に中間部の速いアルペッジョの連続では、軽やかな音の煌めきが一気に高揚感へと誘う。



長大なフレーズのパースペクティブ (見通し) に対する精緻な計算。そんな、理知的さと緊張感みなぎるエネルギーを内に秘めながらも、時折、クールに、しかし、流れに身を任せるように大胆にテンポ揺らす。その、冷静さと激情の乖離が心憎い。決して、過剰にならない品のある歌い方もまた髙木らしいスタイルだ。

思わず、 「ブラボー」 と叫びたくなる情熱的なフィナーレに、客席からも大きな拍手が贈られた。全プログラムの終了後、マイクを持って客席に語りかける髙木。

「今日は、イープラスとエージェント契約後の初めてのコンサート。いわば、デビューリサイタルです。皆さんに、たくさんの暖かい拍手を頂き、感無量です。

コロナが初めて蔓延した頃、私はウィーンで経験したことのない状況におかれていました。次々と演奏会がキャンセルされ、ぽっかり空いた時間で自分を見つめ直すという機会に恵まれました。それは、私自身の音楽を見つめ直す機会でもありました。そして、いかに、私自身が音楽に育てられ、助けられてきたかを。また、お客様から多くのエネルギーを頂いていたかを感じることができました。


そんなことを日々考えている中で、音楽が人の心に寄り添える特別なものだと感じることもできました。そして、次第に、私自身の中でも、日本を世界最大のクラシック大国にしたい、という大きな夢を抱くようになりました。

しかし、それは一人の力では実現するものではありません。今後もイープラスさんと手を携え、ともに大きな力を生みだしていけたらと思っています。そういう意味で、本日は夢に向かって一歩を踏み出す記念すべき日でもあります」と、感謝の気持ちとともに力強い決意を述べた。

続いて、「残すところ二か月となった激動の2020年に捧げる意味で、ショパンの 英雄ポロネーズ を演奏します」  

髙木自身が語るように、2020年という一年が、少しでも良いかたちで終えられるよう、希望を感じさせる力強い演奏に客席も大いに沸いた。

何度も何度も続くカーテンコール。知らぬ間に、客席の多くがスタンディングオベーションで舞台上の髙木に熱いエールを贈っていた。どこからか、禁止されていたブラボーも飛び出す熱狂ぶり (!)。そんなあふれんばかりの客席の声に堂々と応えていた髙木の自信に満ち溢れた勇姿が何よりも印象的だった。

【おまけ】翌13日が28歳の誕生日だった髙木。終演後にはスタッフからケーキのサプライズが!

【おまけ】翌13日が28歳の誕生日だった髙木。終演後にはスタッフからケーキのサプライズが!

【おまけ】思いがけないお祝いに満面の笑みを見せていた

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取材・文:朝岡久美子