今年2020年8月末に初開催され、絶賛を博した『大井健 Presents ワインとピアノ 極上のマリアージュ』。――ワインと食、そして、大井が奏でるピアノ音楽を通して、空間に集うすべての人々が楽しめるひととき―― そんなスペシャルな企画の第二弾 ≪Signs of Autumn≫ が、11月23日(月・祝)、東京・渋谷のeplus LIVING ROOM CAFE&DINING で昼夜二回にわたって開催された。今回は、大井自身がこよなく愛するという珠玉のナンバーがラインナップされたソワレの模様をお伝えする。

今年8月末の初開催を皮切りに、さらなる進化を遂げている『大井健 Presents ワインとピアノ 極上のマリアージュ』。第二弾となる今回は、異なるプログラムで、一日にマチネ (昼公演) とソワレ (夜公演) の両公演が開催されるという贅沢なかたちが実現。マチネの模様は、前回に引き続きStreaming+でもライブ配信され、全国の大井ファンを熱狂させた。

当日の模様をご紹介する前に、公演数日前のインタビューで大井が語ってくれた曲目ラインナップについての思いをご紹介しよう。

「マチネは、とことんロマンティックに浸ってほしい、という想いもあって『〜夢の中で〜』というコンセプトでセレクトしました。クラシックの曲ばかりですが、ラウンジでワインを楽しみながらも、すっと心に入ってくるような作品を集めています。

ソワレは、クラシックを離れて、ひたすら美しい旋律に浸って欲しいと思っています。私の敬愛するジャズピアニストのビル・エバンスの名曲で始まり、もう一人の私のヒーロー、キース・ジャレットの「ダニーボーイ」で締めくくります。そんな一つのフレームの中に私自身が大好きな曲を散りばめてみました。個人的な思いが詰まったプログラムですが、私が大切にしているプライベートな世界観を、客席の皆さんと共有できたら嬉しく思っています」

と、ピアニスト大井健を知らない人でも、ドキドキするようなメッセージで期待感を抱かせてくれていたのだ。

ではライブ演奏会当日の模様を――。

暖かく、穏やかな秋の祝日。18時30分、大井はステージに登場すると、まずはウェルカムの即興演奏を披露。冒頭から心に沁みわたるしっとりとしたバラード調の一曲で客席を魅了する。空間をあたたかく包み込むような優しいメロディと重低音のアルペッジョ (分散和音) の響きに、早くも客席はうっとり。

演奏を終えると、しっとりとした世界からは打って変わり、明るい笑顔でマイクを握る大井。

「マチネはストリーミング配信もあって、少し真面目な雰囲気が漂っていましたが、ソワレのひとときは、美味しいワインをたくさん飲んで、リラックスしてください」 と客席のゲストに心遣いを見せる。


今回の公演も、メルシャンの豊富なワインリストから、曲目のイメージに合わせて大井自身がセレクトした選りすぐりの銘柄が、スパークリング、赤、白と用意された。それら全種類を味わえるよう、スペシャル テイスティングセットも新たに登場。さらに嬉しいことに、今回はボージョレ・ヌーヴォー解禁直後とあって、新酒を粋に楽しむ至福も加わった。大井もゲストたちのワインの進み具合が気になる様子で、「すでに全種類味わった方いますか?」などと、しきりに客席に問いかけていた。

さて、次なる曲は、大井が心から敬愛しているというジャズピアニスト ビル・エバンスの名曲「ワルツ・フォー・デビー」。心地よい柔らかな調べが、一曲目に続いて、客席をまたも夢心地に。抑え目の美しい音の余韻が空間に響きわたる。



続いて、ディズニーの名曲二曲をメドレーで演奏。まずは、『白雪姫』から、誰もが一度は耳にしたことがあるに違いないあの名曲「いつか王子様が」演奏された。ピアニッシモの高音の煌めきがミュージカルナンバーらしい華やかさを告げるイントロダクション。そして、耳に親しんだあの美しいメロディは、今にも大井の口から歌詞がこぼれだしそうなほど、歌心にあふれていた。

続けて、『アラジン』から「ホール・ニュー・ワールド」。事前のインタビューで、「ラフマニノフの作品を感じさせるようなダイナミックな編曲なので、ピアニスティックな一面も聴いて欲しい」 と語っていた大井。さまざまな技巧を随所に際立たせながらも、厚みのあるハーモニーを優美に、しかし、ダイナミックに歌いあげる。時折、官能的な響きをさりげなく聴かせるところも、また心憎い。

作品のスケールの大きさのみならず、登場人物の心情や表情までも細やかに描きだし、ミュージカルナンバーながら、曲の骨格をしっかりと構築していたところも大井らしい。最後は鍵盤を愛おしむかのように、優しく、滑らかなアルペッジョで弾き納め、会場を魅了した。

ここで、大井自ら、来年2021年2月14日(日)のバレンタインデーに同企画の第三弾開催が決定したことを告知。「ステキなゲストが来るとか、来ないとか…」 と、会場のファンにさらなる期待感を抱かせる。

突然の嬉しいニュースに客席がフッと沸き上がる。その軽やかな高揚感に包まれたまま、マチネでも大好評を博したというバロックの名曲ラモーの「The Arts and Hours (芸術と時間)」を演奏。当初、プログラムには予定されていなかったが、バロック音楽をこよなく愛するという大井からの思わぬプレゼントだ。

空間にそこはかとなく漂うメヌエットの典雅なリズムや香り高さ、そして、終結部のリタルダンド(次第に速度を落としてゆく表現方法)が醸しだす、たおやかな表情。まるで、大井の身体からにじみ出るかのような流麗な音と自然な息づかいにハッと息を呑む。時折、右手に現れるバロック音楽特有の装飾音の挿入の仕方の完璧さやスタイルの優雅さが何とも印象的だ。「フランスのバロック音楽専門のマイナーレーベルもすべて聴き尽くしている」 という大井ならではの、並々ならぬバロック愛を感じさせる演奏だった。

ここでしばしのワインタイム。ちなみに、演奏前にゲストに供され、極上のひとときに花を添えた食も、解禁されたばかりのボージョレ・ヌーヴォーを楽しむために特別にコンセプトされた秋の味覚をふんだんに活かしたメニューだ。

ワインタイム後、突然、客席後方から大井登場。ここで、もう一曲、マチネの曲目から予定外のプレゼント演奏。

ラヴェルの「シャブリエ風に」。コルセットを身に付けた女性たちのたおやかなつぶやきが聴こえてくるかのようなサロン風の小品を、高貴に、少し感傷的に奏でる。

ラヴェルを弾き終えた後、次なる作品「ビーマイラブ」をセレクトした経緯を語るべく、大学を卒業してから20代に送った青春の日々のエピソードを語りだす大井。

高校時代の校長先生宅で下宿生活を送ることになったこと、早朝から数々のアルバイトを経験したプチ苦労話など、大井の知られざるエピソードに客席も興味津々。


男声オペラ・ユニット「ザ・レジェンド」との運命的な出会いがあった音楽教室でのアルバイトの話題で興味深いエピソードも完結。専属伴奏者として、彼らと長らく共演したことが、その後の大井の人生を大きく変えてくれたことへの感謝の気持ちを込めて、レジェンド時代の思い出の二曲を披露した。

一曲目の「ビーマイラブ」は、レジェンドのリーダーで、大井が尊敬するテノールの柿迫 秀氏の愛唱歌だ。大井にとっては何よりも想い出深い曲だという。

恋人への想いが切々と伝わってくる朗々たるメロディ。痛いほどの心情を語る歌詞が、そのまま大井の奏でるメロディとなって、客席の一人ひとりの心に沁みわたる。最後は、ミュージカル映画のナンバーらしく、明るく希望を感じさせるエンディングで快く弾き納め。


レジェンド思い出の二曲目は、合唱曲としても知られる「落葉松」。男性的なイメージのあるこの作品を、やさしく呟くように大井流にソロピアノで演奏。メロウなピアニッシモの優しさが際立ち、極上の大人のバラードに仕上がっていた。演奏前に語られた大井のエピソードも相まって、客席のファンの心も、いよいよ一つに。

次に演奏されたのはマーラーの名曲、交響曲 第5番の緩徐楽章「アダージェット」からソロ・ピアノ・バージョン。今年、惜しまれながらも勇退を宣言した連弾ピアノデュオ「鍵盤男子」のパートーナーで、盟友の中村匡宏氏に捧げる一曲だ。この作品も何度も一緒に連弾してきたという。



しっとりとした詩情を漂わせながらも、マーラーの作品らしい“幽玄さ”を、自然な感情の高まりから生まれる豊かなダイナミクス (強弱の幅) で巧みに表現。息の長いフレーズを愛おしむかのように奏でながらも、決して感情に溺れずに、内に秘めた情感の激しさを抑えた演奏は、悲愴感すら感じさせるほどに美しかった。

最高潮に高まりを見せる頂点は、原曲のオーケストラ・バージョンでは、弦楽器が最大限の緊張感をもって弦を震わせ、その激しさを表現するが、大井はピアノで、いや、むしろ、自身の感情の赴きで空間を震撼させる。得も言われぬ高い密度の空気感が客席全体を包み込んでいた。

トークと数々の小品の演奏で綴られた極上の一夜も、ついにラストナンバーへ。

「今日は感染者数が高まる中、来場をためらった方も、周囲の人々に内緒で来場した方々もいらっしゃると思います。次回、2月14日の第三回目の集いに希望を込めつつ、私のもう一人のヒーロー、キース・ジャレットの「ダニーボーイ」でこの演奏会を締めくくりたいと思います」 と語り、最後の一曲へ。


キース・ジャレット本人がむせび泣くように歌うが姿が、眼の前に感じられるような臨場感あふれる演奏。言葉では表しきれないほどの切ない情感に応えるように、客席の思いもさらに高まる。

「また会うその日まで――」 という別れの思い、そして、再会の希望が歌詞の中に描きだされた「ダニーボーイ」という特別なメッセージを持つラストナンバーで一夜のプログラムは終わりを告げる。敬愛するすべての人々に捧げる数々の作品を弾き終えた大井の万感の思いが、このプログラム最後の一曲を通して感じられるかのようだった。

一度、袖に戻った後、再びステージに登場する大井。客席からの惜しみない拍手に丁寧に応える姿は、落ち着きに満ちていた。


「なんか、泣けてきますね。今後、再びロックダウンのような事態になってしまうと、僕たち演奏家は大変なのですが、仮にそうなったとしても、オンラインコンサートなど、様々なかたちを通して、皆さんに演奏をお届けしていきます。それでは、最後に「ジュピター」でお別れしたいと思います」 と、アンコールの一曲を披露。

再び、再会への希望を込めた、深い祈りのような演奏。会場全体が我を忘れたかのように心を奪われていた。大井のどこまでもロマンティストな一面が感じられる詩情と、煌めくような高音の響きの余韻を残したまま、大井は再び舞台袖に。

暫くして、会場の拍手に応えてステージに現れると、「では、もう一曲だけ。ドビュッシーの「亜麻色の髪の乙女」を演奏します。どうもありがとうございます」

ドビュッシーの描きだす古典的な美しさが、大井の端正な姿と音楽性を最大限に引き出していた。最後は、音を通して、「本当にありがとう!」 と言う言葉を発信しているかのようだった。


一つひとつの作品にストーリーあり、多彩なエピソードありと、大井自身が喜びを共にしてきた数々の作品との旅路を通し、ロマンティックで心温まる一夜となった『大井健 Presents ワインとピアノ 極上のマリアージュ』。今後の進化にますます期待が高まるばかりだ。

まずは、2021年3月14日(日)の第三弾に向けてSave the dateをお忘れなきよう。

※2月14日(日)のバレンタイン公演は、緊急事態宣言が発出されている状況を踏まえ、残念ながら中止とし、3月14(日)ホワイトデー公演として実施することといたしました。
安心してご来場いただくため、感染症予防策に取り組んで参ります。

取材・文=朝岡久美子