落語家の柳家権太楼が『大江戸寄席と花街のおどりーその十ー​』に出演する。2021年3月28日(日)に明治座で開催される、江戸の町人文化の中で花開いた寄席芸と、花柳界に伝わる芸能を一度に楽しめる和のエンターテインメント公演だ。

第一部『大江戸寄席』では権太楼による落語の他、鏡味味千代による太神楽、和太鼓集団「鼓童」の元メンバーの坂本雅幸による和太鼓が来場者を楽しませる。第二部は『花街のおどり』と題し、赤坂・浅草・神楽坂・新橋・向島・芳町の都内6つの花街の芸者衆が踊りと演奏を、さらに幇間(ほうかん。たいこ持ち)芸が披露される。

2011年にはじまり今回で10回目。4度目の出演となる権太楼に本公演の魅力や、権太楼の落語のオリジナル性の生まれ方について話を聞いた。

■江戸情緒を現代の東京に

──『大江戸寄席と花街のおどり』の魅力をお聞かせください。

芸者衆の総踊りや和太鼓など、平成、昭和よりさらにプレイバックして、江戸の華やかな気分を楽しみませんか? という公演です。江戸の方が、東京らしい文化がある。とくに見ていただきたいのは第二部です。

──『花街のおどり』ですね。

都内6つの花街の芸者衆が出演します。かつて花街は、現在の銀座以上に盛り上がっていました。そのような花街のお座敷の芸事です。町ごとに気質の違いがありますから、明治座の舞台に一挙に集まった時には、「あちらがその手を出すなら、うちはこういう形をとるよ」といった見栄やハリもみられるでしょう。艶やかで華やか。見ているだけで楽しくなります。そこに私は落語でちょっと加わらせていただきます。

そうそう、幇間の櫻川米七さんも出演します。もとは私の落語の後輩なんです。落語家として柳家小さんに入門して4年いてから太鼓持ちになった。太鼓持ちをしくじって落語家になった奴は他にもいますが、落語家から太鼓持ちになったのはあいつだけじゃないかな(笑)。


■守って守って守るうちに

──会場は明治座です。寄席とは異なる雰囲気の会場となりますが、会場により権太楼師匠の落語がアドリブで変わることもありますか?

私自身は変わりませんし、落語を変えるつもりもありません。普段からアドリブもしないんです。皆さんの前でやるのは、すべて稽古でやったこと。私自身の落語に関してはいつも通りです。

──では権太楼師匠の古典落語にみられるオリジナルの演出は、稽古の中で作られたものなのですね。

私は先人から受け継いだものを、そのままやっています。変えようと思ってやっていません。教わったとおりのつもり。

──教わったとおりのつもり……。

そう、つもり。私の心の中では(笑)。教わったことを教わった通りに稽古する。百遍もやっていると、教わった通りの中に権太楼さんらしいフラ(その人特有の面白味、おかしみ)が出てくるんです。変えるつもりはなくても権太楼流だと思われるのはそこでしょうね。

たとえば『疝気の虫』という噺があります。虫が出てきます。稽古を重ねるうちに、虫が「助けて下さい!」と自然に声を出すことがある。それだって私は自分のオリジナルだとは思っていません。

──伝承芸でありながら色々な味付けがあるので、どういう基準でアレンジしているのか不思議でした。でも、はじめから変えるつもりで新しいネタに着手する方もいらっしゃいますよね?

色々な方がいますが「アレンジするぞ」と手を加えると、どうしても、どこかいやらしいものになる。柳家には、芸において大事にしている「守・破・離(しゅ・は・り)」という言葉があります。守って守って守るうちにどこかで破れる。わざと破るのは「破る」ではなく「壊す」です。壊してはいけません。破れた後に自然と離れる。離れたら、私はもう一度心の中で「守」に戻りたいと思っています。


■ああ、虫が言わせているな

── ネタとご自身の相性は考慮しますか? 師匠の虫は、とにかくとてもかわいいです。

かわいいでしょう? いたずらっ子だしね(笑)どのネタを選ぶかは落語家さんによるのでしょうが、私の場合、まず「やりたい」と思うネタをやります。

ネタの1つ1つを山に例えるなら、登りたい山もあれば登りたくない山もある。この山に登りたいと思ったら、プロとして登る以上、どの山をどのルートで踏破するか。夏に行くのか冬に行くのか。酸素を持っていくのかいかないのか。このルートは他の誰かがやっているのか。プロの登山家のように考えます。

いざ「このネタをこのルートでいくぞ、これならいけるぞ」と確信できたからといって、人様から見ると、大抵それはできていません。結局日々の稽古で台詞を肚に入れて、自ずと出てくるところまで稽古する。『疝気の虫』でいえば、台詞はとっくに入っていましたが、疝気の虫の了見をつかみとるまでがむずかしかった。「疝気の虫、お前はどういう子なの?」ってずいぶんと稽古しました。

──そこまで稽古できるのも、純粋に好きでやりたいネタだったからこそですね。

もとは古今亭志ん朝師匠のお父さん、古今亭志ん生師匠の有名な噺です。志ん朝さんご自身は、おとっつぁんの『疝気の虫』をみて「とてもできない。むずかしい」とはおっしゃっていた。お顔とフラがちがうのもありますが、それほど古今亭にとって大事な噺ということ。私は初音家左橋さん(当時、金原亭小駒)という古今亭の若い方に教えてもらいました。

その後、志ん朝師匠に「やっていいですか?」とお伺いをたてました。すると「ごん(権太楼)がどうやるのか、俺に見せてくれ。うちのお家芸だから」と。私は「すみません1年ください」と言いました。稽古をしている間に、志ん朝師匠はご病気になられ亡くなってしまいました。あの時は「なんで見てくれなかったの?」っていいたくなっちゃった。


──教わったとおりの中にも出てきてしまった、権太楼師匠オリジナルの虫の言葉を聞いてほしかったですね。

私のオリジナルがあるとしたら、本郷の前田さんが、先生に具合を聞かれるところ。「先生ですか?! たすけてください!」という旦那の声が疝気の虫の声色になる。それを聞いた先生が「ああ、虫が言わせていますね」と診断する。あえて言うなら、そこかな。

■ピカソだってそうだったんじゃない?

──持ちネタの数だけ、1つ1つの山頂を目指していくのでしょうか。

その気持ちがなければプロではありません。でも山頂に辿りついたことはあるか問われたら、実はない。プロの落語家で、頂にいって満足して「俺の落語ができた!」と思う人はまずいないでしょう。

──「守破離」の「守」に戻るのですね。

「守」に戻りたい。けれど戻れない。でも戻りたい。戻らなきゃいけない。理屈っぽくなりますが、それが心に決めている理論です。究極的にはピカソもそうだったんじゃない?

──ピカソは、子どもくらいの年齢でラファエロのようにデッサンできたけれど、子どものように描くのには一生涯かかったという言葉を残しています。

そう。ピカソは基本に戻ろうとしていた。子どものように、は精神的なこと。実際は年齢でできたりできなかったりするものではありません。若くしてできる方はできる。年を経て、その時の味が出ることもある。落語の世界では「70過ぎてからこの人良くなったな!」と思う人もいます。稽古するしかないんです。

──3月28日の明治座公演に向けて、芸者さんたちも稽古をされていることでしょうね。

お座敷の数も減っているご時世に、主催のアーツカウンシル東京さんが、伝統芸に晴れ舞台を用意してくれました。皆さんも稽古に励んでおられるでしょう。いいものがご覧いただけますよ。 芸者さんの総踊りなんか、それはそれはもう!

ですから今回は「権太楼の落語を笑いにきて!」ではありません。「観にきて! そして楽しもう?」なんです。私はいつも通り落語をやり、あとは芸者さんの踊りを観させていただく。それが楽しみ。明治座で一緒に楽しみましょう。でもね、明治座さんで『疝気の虫』はやらないよ? そういう噺ではないからね!


取材・文=塚田史香 撮影=JOKEI