東京二期会が“二期会創立70周年記念公演”と銘打って、22年ぶりに上演のリヒャルト・ワーグナー《タンホイザー》が、2021年2月17日、東京文化会館 大ホールで開幕した。

《タンホイザー》はもっとも人気のあるドイツ・オペラの一つである。「巡礼の合唱」「大行進曲」「ヴェーヌス讃歌」「夕星の歌」など、耳馴染みの良い名曲が目白押しだ。東京二期会はもともとドイツ・オペラを得意にしている団体で、近年も《トリスタンとイゾルデ》《ローエングリン》などワーグナー作品の目覚ましい公演を重ねており、今回は満を持しての上演となる。

主人公は中世の吟遊詩人である騎士タンホイザー。ヴェーヌス(ヴィーナス)が支配する禁断の愛の世界に耽溺していたタンホイザーは、やがて現世に戻ることを強く願う。しかし異界から戻った彼は、領主の姪である純潔なエリーザベトと互いに惹かれ合いながらも、歌合戦の場で官能の愛を讃え人々から激しく糾弾される。タンホイザーは贖罪のためにローマに巡礼に旅立つ。以下は、東京文化会館でおこなわれた17・20日組キャストのゲネプロレポートだ。ちなみに《タンホイザー》18・21日組のゲネプロレポートも、続けてアップするので、そちらも併せてぜひご一読いただきたい。

東京二期会『タンホイザー』(撮影:長澤直子)

東京二期会『タンホイザー』(撮影:長澤直子)

まず、コロナ禍が収まっていない東京において、ワーグナーのような楽器編成が大きなオペラを上演するには多くの困難が伴うことは予想できる。オーケストラ・ピットの両脇部分の舞台の高さにハープ、打楽器、トランペットを配していたのもその工夫と思われる。予定されていた指揮者アクセル・コーバーが来日不可能となり、12月に来日していた読売日本交響楽団の常任指揮者セバスティアン・ヴァイグレが代わりにタクトを取ることになった。これが結果としては大変に良い効果をもたらしたといえよう。ヴァイグレと読売日本交響楽団はこれまでも東京二期会のR・シュトラウス《ばらの騎士》《サロメ》で名演を残しているが、今回は初ワーグナー。何よりワーグナー・サウンドと呼びたくなる深い艶のある音色に魅せられた。バイロイト音楽祭でも指揮をしているヴァイグレはワーグナーが各モチーフに持たせた意味を知悉しており、オーケストラは迫力と情熱に満ちた音楽を奏でる。歌とのバランスも良く、木管楽器やヴァイオリンのソロパートなどでも思い切って歌わせる。全曲の構成も見事であった。

ちなみに今回の上演はワーグナーが後年大きく手を入れたパリ版と呼ばれる版に準拠しており、序曲の後に華やかなバレエ音楽〈バッカナール〉が挿入され第一幕に続く。加えて第二幕では、ドレスデン版(と呼ばれる初演版)から歌合戦でのヴァルター、ビーテロルフの歌を入れた、最も上演が多い形になっている。演出は名匠キース・ウォーナー。“トーキョー・リング”として知られる新国立劇場の《ニーベルングの指環》、バイロイト音楽祭の《ローエングリン》、そして近年の英国ロイヤル・オペラの《ニーベルングの指環》など、ワーグナー作品においてもその度ごとに違う切り口を見せる演出家である。今回の《タンホイザー》はフランス国立ラン歌劇場との提携公演。演出補のドロテア・キルシュバウムも来日がかなわなかったようだが、リモートでの演出は日本側の演出チームの奮闘もあってか演出意図が明確に伝わる舞台に仕上がっていた。

東京二期会『タンホイザー』(撮影:長澤直子)

東京二期会『タンホイザー』(撮影:長澤直子)

ウォーナーの発信する情報はかなり多い。ここではその一部を紹介しよう。幕が開くとそこは娼館を思わせる室内。薄物を着た美女たちが赤い寝椅子の上でさまざまなポーズをとっている。この部屋の上方には左右にバルコニーが巡らせてあり、紳士たちが娼婦らを見物している。舞台奥には大きな額縁があり、フランスの画家ブグローが描いた「ニュンペーとサテュロス」という絵が飾られている。やがてこの絵画から抜け出してきたニンフやサテュロスたちが踊りを繰り広げる。

東京二期会『タンホイザー』(撮影:長澤直子)

東京二期会『タンホイザー』(撮影:長澤直子)

ヴェーヌスはラファエロ前派の絵画から抜け出してきたような姿。そして気がつくと一人の老人に連れられた子供がバルコニーの上に登場しており、この子供はヴェーヌスの息子なのだろうか、彼女に命じられて紙に一心不乱に何かを書きつけるもそれを破かれて走り去ってしまう。

東京二期会『タンホイザー』(撮影:長澤直子)

東京二期会『タンホイザー』(撮影:長澤直子)

現世に戻ったタンホイザーが目にする巡礼たちは、揃いのコートに白い十字架のマークをつけている。彼らは出兵するところなのだ。そこに現れる領主と吟遊詩人たちは狩の装束。

東京二期会『タンホイザー』(撮影:長澤直子)

東京二期会『タンホイザー』(撮影:長澤直子)

第二幕では舞台奥の大きな額縁が舞台となり赤い緞帳がかけられ、そこで吟遊詩人たちが歌を披露する。集まった貴族たちは揃いの軍服を着て赤いベレー帽をかぶっている。淑女たちはエリーザベトと同じスタイルの白のロングドレス。

東京二期会『タンホイザー』(撮影:長澤直子)

東京二期会『タンホイザー』(撮影:長澤直子)

そして(登場しないはずの)この幕にもヴェーヌスがあの子供を伴って現れる。

東京二期会『タンホイザー』(撮影:長澤直子)

東京二期会『タンホイザー』(撮影:長澤直子)

第三幕は舞台が廃墟のようになり、巡礼たちは敗残兵の姿で戻ってくる。

東京二期会『タンホイザー』(撮影:長澤直子)

東京二期会『タンホイザー』(撮影:長澤直子)

第三幕は内面のドラマに焦点が当てられ、そこではかなり衝撃的な展開が待っているが、それはぜひ実際に公演をご覧いただきたい。全ての幕に共通しているのは、舞台の中央上部にある大きな枠組みだけの円錐形の物体だ。これがさまざまな役割を果たす。ウォーナーの演出の読み解き方はそれぞれだと思うが、云えることは、照明を含めた演出上の仕掛けは音楽とよくリンクしており、しかも多層的な解釈が可能だということだ。

東京二期会『タンホイザー』(撮影:長澤直子)

東京二期会『タンホイザー』(撮影:長澤直子)

最後に肝心の歌手陣だが、見事な歌を聴かせてくれた。17・20日組のキャストでは難役タンホイザーに、2012年の《パルジファル》でも主演した片寄純也が出演。片寄は日本を代表するワーグナー歌手で、強靭で圧倒的に美しい声を持つ。全ての幕において瞠目する歌唱で、第一幕の終盤で聖母マリアを呼ぶ声、第二幕の激情に駆られた歌、第三幕の絶望の表現などは深く印象に残った。

東京二期会『タンホイザー』(撮影:長澤直子)

東京二期会『タンホイザー』(撮影:長澤直子)

エリーザベトの田崎尚美は現在、日本を代表するドラマチック・ソプラノのひとり。よく澄んだ豊かな声の持ち主で、音楽的にも磐石だ。第三幕のアリアではエリーザベトの悲しみが胸に迫る表現が素晴らしい。

東京二期会『タンホイザー』(撮影:長澤直子)

東京二期会『タンホイザー』(撮影:長澤直子)

エリーザベトを愛していながら彼女とタンホイザーを見守るヴォルフラム役を歌うのは大沼徹。柔らかいバリトンの美声と的確な演技で役柄を造形した。第三幕の「夕星の歌」ではゆったりとしたテンポで歌い、この上もなく美しい旋律の裏にある深い苦悩をにじませた。

東京二期会『タンホイザー』(撮影:長澤直子)

東京二期会『タンホイザー』(撮影:長澤直子)

ヴェーヌスの板波利加は高音まで豊かに響く声で、愛の女神の包容と支配の力を示した。

東京二期会『タンホイザー』(撮影:長澤直子)

東京二期会『タンホイザー』(撮影:長澤直子)

ヘルマンの狩野賢一は慈悲深い領主を演じ、ヴァルターの大川信之はリリックなテノールの声を生かした歌唱、ビーテロルフの友清崇は野性味のある歌。ハインリヒの菅野敦、ラインマルの河野鉄平も見事なアンサンブル。

東京二期会『タンホイザー』(撮影:長澤直子)

東京二期会『タンホイザー』(撮影:長澤直子)

牧童の吉⽥桃⼦*は透明感のある声でイングリッシュ・ホルンのソロとのかけあいが美しかった。(*吉田桃子の「吉」の字は、正しくは土+口と書くJIS漢字コード規格外文字)

東京二期会『タンホイザー』(撮影:長澤直子)

東京二期会『タンホイザー』(撮影:長澤直子)

《タンホイザー》において〈巡礼たちの歌〉、また第二幕の歌合戦のシーンで重要な役割を果たすのが合唱である。このプロダクションでは合唱指揮に、新国立劇場で長年活躍しているワーグナーのエキスパートでもある三澤洋史を迎えた。序曲の冒頭部分に使われている、このオペラの最重要モチーフの一つである〈巡礼たちの歌〉は、全曲の中で形を変えて現れ続ける。その合唱に加えて、第二幕では壮麗な大行進の場面の「歌の殿堂をたたえよう」、そしてタンホイザーが禁断の世界ヴェーヌスベルクに行っていたことが発覚してからの白熱の合唱など、ワーグナーが書いた類稀な音楽を二期会合唱団はあますところなく歌い切った。公演の本番でも合唱が大きな聴きどころになるのは間違いないだろう。

東京二期会『タンホイザー』(撮影:長澤直子)

東京二期会『タンホイザー』(撮影:長澤直子)

取材・文=井内美香  撮影=長澤直子