1624年2月15日、初世(猿若)勘三郎の猿若座(のちの中村座)が江戸ではじめて幕府公認の芝居小屋として櫓をあげ、歌舞伎の興行をはじめた。これを記念する『江戸歌舞伎発祥之地』の碑が、銀座から中央通りを京橋方面へ進み、首都高速道路の高架をくぐってすぐ左手の場所にある。歌舞伎俳優の中村勘九郎と中村七之助がこの地を訪れ、取材会を行った。そして3月4日(木)から歌舞伎座で始まる『三月大歌舞伎』『猿若江戸の初櫓(さるわかえどのはつやぐら)』への思いや、現在出演中の『二月大歌舞伎』について語った。

■江戸幕府公認の芝居小屋「猿若座」から397年

江戸歌舞伎発祥のエピソードを描いた『猿若江戸の初櫓』 。その初演は1987年1月歌舞伎座の「猿若祭」、十七世勘三郎中心の一座で、猿若を十八世勘三郎(当時、勘九郎)が演じた。勘九郎(当時、勘太郎)と七之助が初舞台を踏んだ 興行の序幕を飾った舞踊劇だ。「父の襲名披露など、区切り区切りで踊らせていただいてきた演目」だと勘九郎は説明する。

「江戸歌舞伎が始まった時、その後397年近く続くものになるとは思っていなかったでしょうね。先人や歌舞伎を愛する方々の熱い思いがつまって、現在に至ります。『猿若江戸の初櫓』ではそのパワーをお見せしたいです。先ごろ新型コロナワクチンが承認されるニュースがありました。コロナ禍における再出発の意味も込めて、めでたく舞いたいです」

『猿若江戸の初櫓』猿若=中村勘九郎(平成29年2月歌舞伎座) /(C)松竹

『猿若江戸の初櫓』猿若=中村勘九郎(平成29年2月歌舞伎座) /(C)松竹

勘九郎が猿若を、七之助が出雲の阿国を勤める。猿若とは、女性が主役だった初期の歌舞伎の頃から、男性により演じられた道化役のことで、初世(猿若)勘三郎は猿若芸を得意としていたと伝わっている。

七之助は、阿国について次のようにコメントをした。

「阿国は、歌舞伎を始めた人として歴史に記されています。歌舞伎の歴史の中で、一番知られている人物とも言えるかもしれません。『猿若江戸の初櫓』の阿国は、華やかでありつつ厳かにも踊る、緩急のある役です。振付は面白く、色もきれいです。大変な時期ではありますが、華やかに皆様に観ていただけたらと思います」

『猿若江戸の初櫓』出雲の阿国=中村七之助(平成29年2月歌舞伎座) /(C)松竹

『猿若江戸の初櫓』出雲の阿国=中村七之助(平成29年2月歌舞伎座) /(C)松竹

■中村勘三郎という名前に宿る魂を感じる

一番上には、中村屋の定紋「角切銀杏」が、その下には替紋の「丸に舞鶴」と初世勘三郎が朝廷から賜った羽織に由来する「丸に三つ柏」の紋が交互にあしらわれている。 /撮影=塚田史香

一番上には、中村屋の定紋「角切銀杏」が、その下には替紋の「丸に舞鶴」と初世勘三郎が朝廷から賜った羽織に由来する「丸に三つ柏」の紋が交互にあしらわれている。 /撮影=塚田史香

記念碑を訪れた勘九郎は、父の十八世勘三郎に「この辺りに中村座があったんだよ」と連れられてきたことを回想した。七之助は、「生きていれば、父がここに立っていたでしょう。いまは兄弟2人ですが、今月の歌舞伎座で勘太郎と長三郎も立派に勤めあげています。中村屋を背負っていかなくてはいけないプレッシャーと、これからの楽しみを半分半分に感じました」と語った。

猿若座が建てられた場所は、江戸時代も現在も大都会だ。勘九郎は「『猿若江戸の初櫓』にもありますが」と断りを入れて続ける。

「初世勘三郎は、はじめ江戸の中橋(日本橋と京橋の中間にかかっていた橋)に芝居小屋を建てたそうです。けれども江戸城から近く、芝居の太鼓を登城の太鼓と間違え人がいるからと、芝居小屋を移動することになった。日本橋は東海道の出発地点で、江戸城からもほど近い。江戸の中心地に芝居小屋をという思い付きに、初代のプロデュース能力を感じます。役者としてだけなく、プロデューサーとしての手腕にも優れた方だったのでしょうね」

中村勘九郎

中村勘九郎

中村勘三郎という名跡は、長らく空席となっていた。その名を復活させたのが、彼らの祖父である十七世勘三郎だった。

「祖父が“中村勘三郎”という名前を見つけ出し、(1950年に)十七代目を襲名し、父も十八代目として名乗りました。そして祖父も父もプロデュース能力や、周りを巻き込み何かを始めることに長けておりました。初世との直接の血の繋がりはありませんが、“中村勘三郎”という名前に宿った魂を感じます。そういえば江戸歌舞伎400年の年が、父の十三回忌にあたるんです。そんなところまでプロデュースするなんて父らしいです(笑)。その頃、『猿若祭』ができたらなという夢もあります」

七之助もまた「プロデュース能力」と「人を巻き込む力」について言及する。

「父は20代から有言実行で色々なことを叶えた、すさまじい行動力の人でした。同時に人との繋がりが、成功に繋がっていたのだとも思います。色々な人に嘘ではない愛を届けていました。そこから後々の楽しい企画や、人間としての成長につながるのかなと。父の背中を見て学んでいきたいです」

中村七之助

中村七之助

七之助自身、テレビドラマの出演が繋がりを生み、2020年5月、源孝志の脚本・演出による『怪談 牡丹燈籠』が『赤坂大歌舞伎』で実現間近に控えていた。公演は中止となったが「いつか必ず」と明るい表情を見せた。

勘九郎はコロナ禍の影響により、「お客様を驚かそうと準備していたものが次々と中止や延期となりましたが、ふんばりどころです。明るい未来を願っています。父は『常にアンテナを張っておけよ。それが今を生きる歌舞伎役者の芝居につながるから』と言っていました。それを肝に銘じ、やっていかなくては」と力強く語る。

■『二月大歌舞伎』出演中の勘太郎と長三郎

現在、歌舞伎座『二月大歌舞伎』の第三部に、勘九郎と息子の勘太郎、長三郎、そして七之助が出演している。勘九郎は、劇場による感染予防対策や、来場者の理解と協力に感謝を述べた上で、「子供たちは、毎日学校に通い早退もせず、芝居に出ています。学業と両立させているところは褒めてあげたい。祖父と父もきっと、よくやっていると言ってくれているでしょう。最後まで気持ちを引き締めてまいります」と言葉に力を込める。

長男の勘太郎が出演するのは『連獅子』。本興行では最年少にして、仔獅子の精を勤めている。体力を要する演目であり、舞台だけでも重責のはずだが、勘太郎は感染防止対策への意識も強いという。

七之助は「勘太郎は、その歳でそんなことまで……というところまで考えて生きています。自分もその気持ちを忘れてはいけませんね」と感心する。勘九郎も、「勘太郎は、もし自分が新型コロナにかかってしまったら、私や長三郎も濃厚接触者として舞台に立てなくなる。小学4年生の彼が、舞台に穴をあけてはいけないという責任感から、小まめに対策し、外食はしませんし、買ってきたものも自分で拭いたりしています」と明かした。

中村七之助

中村七之助

長三郎は『袖萩祭文』で、目のみえない袖萩(七之助)に寄り添い、助ける娘のお君を勤めている。長三郎は舞台上だけでなく、揚幕の中でも七之助を手伝っているのだという。

「僕の白粉を片付けてくれたり、全部手伝ってくれる。こういうところから芝居は始まっているのだろうと思います。小学校1年生で、生きているだけで精一杯という年頃に、時代物で1時間20分出ずっぱり。それを毎日見事にやっているのは偉いですね」

さらに勘九郎は「長三郎は『袖萩祭文』を、義太夫も台詞も最初から最後まですべて覚えてしまいました。楽しいのでしょうね、車での移動中にもずっとやっています」と明かし、「子供の記憶力はうらやましいです!」と笑った。

中村勘九郎

中村勘九郎

勘太郎と長三郎に共通することとして、勘九郎は「稽古期間にしっかり稽古し、初日には皆様にお見せできるレベルに高めていけたと思います。初日を迎えてからは、客席の使用が半数とはいえ900人のお客様に毎日見られることで、舞台度胸がついてきました」と評価する。記者から、初日の鳴りやまない拍手は届いていたか問われると、勘九郎は「もちろん。愛をいただきました」と笑顔をみせ、七之助も深く頷いていた。

■『三月大歌舞伎』は4日から

『三月大歌舞伎』は、3月4日(木)から29日(月)の開催。勘九郎と七之助が出演する『猿若江戸の初櫓』は、第一部にて、尾上松緑と片岡愛之助による『戻駕色相肩』とともに上演される。なお第二部は、片岡仁左衛門の熊谷直実による『熊谷陣屋』と尾上菊五郎の片岡直次郎による『雪暮夜入谷畦道 直侍』、さらに第三部は、中村吉右衛門と松本幸四郎の『楼門五三桐』と、坂東玉三郎による舞踊(Aプロ『隅田川』、Bプロ『雪』『鐘ケ岬』)という充実の並びだ。

春間近の歌舞伎座で、江戸歌舞伎のはじまりをモチーフとした明るく華やかな舞台を楽しんでほしい。

「江戸歌舞伎発祥之地」記念碑の前で (左から)中村七之助、中村勘九郎

「江戸歌舞伎発祥之地」記念碑の前で (左から)中村七之助、中村勘九郎

※取材会は2月中旬に行われました。

取材・文=塚田史香