2019年のデビューアルバム リリース、また、昨年2020年のコロナ禍での自粛生活など、さまざまな経験を経て、さらなる活躍をみせるピアニストの紀平凱成。

2021年4月2日(金)、紀平は20歳の誕生日を迎えた。喜びあふれる二十歳(はたち)のバースデー。​同日、東京・渋谷のeplus LIVING ROOM CAFE & DININGにおいて、『KYLE's 20th Birthday Concert』と題されたライブ・コンサートが開催された。紀平にとって、デビュー会場となった思い出の舞台での凱旋公演。紀平をあたたかく見守ってきた数多くの聴衆に迎えられ、会場にはエキサイティングな高揚感とともに、終始、和やかな雰囲気が漂っていた。昼夜二回にわたって行われたライブ・コンサートの夜公演の模様をお伝えしよう。


白いスニーカーに黒のスタイリッシュなロングのジャケットコートで颯爽と登場した紀平凱成。客席に笑顔で手を振ると、いつものように手を大きく振り上げ、太陽を仰ぐように精神統一。最初の演奏曲目は、紀平が最も尊敬しているというロシアの作曲家カプースチンの「夜明け」。ブルース風の都会的な曲を、紀平は身体全身を揺らし、洒脱なリズムをダイナミックに感じながら奏でる。ブルーやレッド系のスポットライトが、ジャズセッションの舞台のように品よく雰囲気を盛り上げる。


一見、ラウンジミュージックのようにも聞こえてくるが、そこは自らも技巧派のピアニストとして知られるカプースチンの作品。軽やかでアクロバティック風な右手のパッセージの美しい響きに、早くも紀平の持ち味全開。対して、左手が紡ぎだすバスパートの安定感と多彩な表情、そして、メロディラインとの絶妙なバランス感覚が秀逸だ。第一曲目から、紀平は自らの世界観を描きだす。

二曲目は同じく、カプースチンの作品から「24の前奏曲」より第24番。ブギウギ調の曲を冒頭からアップビートのテンポで聴かせ、息もつかせぬ華麗なテクニックの応酬に、会場も次第に熱気を帯びてくる。

一曲が終わるごとに客席に御礼の気持ちを込めるかのように手を振るのがカイル流。ここで、一旦、照明が明るくなり、しばしのインターミッション。会場には、紀平自らの声で収録されたバースデーメッセージが流れる。


「今日、20歳の誕生日を迎えました。これからも、少しずつ成長できればと思っています。一曲目の 夜明け は、明るい未来がもうすぐ、そこにあるという想いで演奏しました」

次の作品は、「Over the Rainbow」をカイル・アレンジでおくる「虹」。やさしい気持ちや愛情が込められた大人っぽいバラード調の曲を、少しだけ感傷的に。次第に、愁いやメランコリックな感情を振り払うかのような明るい希望の光が空間を満たす。紀平らしい、もう一つの世界観が、虹の鮮やかな情景とともに余すところなく描きだされていた。

続けて、おなじみのオリジナル曲「Taking off Loneliness」(寂しさや孤独を振り払って)。紀平自身、この作品について、「みんなの孤独や寂しさを取りされるといいな」と語っている。右手のシンプルなメロディが描きだす澄み切った心の静けさ。あたたかな音が会場を包み込む。曲が進むごとに、高揚感も高まり、前向きな心の持ちようを暗示する小気味よいリズムに、会場のゲストも一体となっている様子が伝わってきた。


続いて、もう一曲のオリジナル作品。紀平が最も大切にしている曲という「Winds Send Love」だ。冒頭の清らかなメロディが、紀平の心の中の想いを表す言葉のように聴き手に語りかける。続いて、一転、急き立てるような激情的なパート。激しい起伏の中に、何かを揺り動かす大いなる風の力を暗示しているかのようだ。

さらにダイナミックに曲は展開されてゆく。ここでは、作曲者自身の心の中にあるさまざまな感情の襞や揺れが風のかたちとなって表現されているのかもしれない。右手のアルペッジョが紡ぎだすものは、そんな内面の動きや機微なのだろうか。再現部では、さまざまな情景の中に描きだされた風がもたらしたものの後に広がる、晴れやかで穏やかな情景が思い起こされる。フィナーレのみずみずしいアルペッジョがよりいっそう輝きを添えていた。



ここで、再びインターミッション。ナレーションで、幼い頃からの音楽とのかかわりについて、紀平自身の言葉で語られた。幼少期から、様々なジャンルの音楽に興味を持ち、7歳の時には、特にガーシュウィンの音楽に魅了され、「パリのアメリカ人」の一節を、授業中にも、食事の時にも歌い続け、周囲を困惑させていたそうだ。ガーシュウィンの世界にのめり込むと、何もかも忘れて没頭していたという。

続いて、そんな “音楽歴” を持つカイル流アレンジによる「ガーシュウィン・メドレー」。誰もが知る4作品がメドレー風に演奏された。まずは、おなじみの「ラプソディー・イン・ブルー」。イントロダクションの装飾音の挿入の仕方や、テンポ(速度)の揺らせ方の絶妙なセンスに思わず感心。この曲を完全に手中に収めているという自信にあふれていた。続いて、「My One and Only」 や「I got Rythm」、そして、最後に紀平が愛してやまない 「パリのアメリカ人」と各作品の聴きどころが紡がれてゆく。それぞれに違った個性を持つ各作品のメロディラインを華麗なピアニズムで一体感を持たせ、コケティッシュな表現や、ジャズ、ブルースなどの様々な語法や色彩をスタイリッシュに、流れるように描きだす。まさにカイル流アレンジの真骨頂。ガーシュウィンの世界観を踏襲しながらも、自らのスタイルを自由に楽しむ姿が印象的だ。

メドレーの最後に挿入された「パリのアメリカ人」では、テンポも自由自在。小気味よいリズムに踊りだしたくなるほどだった。ちなみに、大好きな「パリのアメリカ人」をもっと長く挿入したバージョンもあるそうなので、またの演奏の機会が待ち遠しい。

ここで、再び紀平のオリジナル作品が三曲続けて演奏された。まずは、「Songs Over Words」(言葉を超えた歌)。紀平は、自粛中に仲間や友人たちとしゃべりたくて、いつもLineで語っていたという。この作品には、その際に感じた「でも、音楽なら、言葉なしで、もっと多くのことが語れる」という想いが込められているという。そのメッセージ通り、開放感と優しさに満ちあふれたメロディからは、「ピアノを通して多くの人々と語り合いたい」という紀平の心の言葉が聞こえてくるかのようだ。

続いて、「No Tears Forever」。紀平は、幼い頃から感覚過敏があり、テレビから流れるニュースなどにも極力触れずにきたというが、コロナ禍において、社会的な情報にも積極的に触れるようになったという。この作品には、紀平自身が、さまざまな情報や環境に触れた際に感じた喜怒哀楽が描きだされている。

少しだけセンチメンタルに始まる冒頭。その後に続く明るく希望に満ちた中間部では、悲しい事柄や現実を心の奥底にかみしめながらも、「もう、涙なんか流さない」という、懸命に前へ前へと進もうとする紀平の強い思いが感じられた。終結部に向かっては、心安らぐ美しいソプラノのメロディが奏でられ、「悲しみだけではないよ」という明日へのメッセージが込められているかのようだ。


オリジナル作品の三曲目は、カイル・アレンジ 「想像」。ジョンレノンの「イマジン」からインスピレーションを受け、カイル流にアレンジされた一曲だ。飾り気のない率直な気持ちや思いが素直に描きだされた美しい作品。途中で、パッヘルベルの カノン にリンクさせたりと、お茶目でユニークな紀平のエスプリも、いかんなく発揮されていた。

続いては、クラシック作品の名曲中の名曲、ショパンの「ノクターン第二番 変ホ長調」。紀平自身もこの曲を聴くと、心が落ち着くという。冒頭の主題では、何とも洒脱なフレージングで、“名手” の風格すら漂わせる。優美で、表情豊かな色彩感にあふれ、フィナーレの幻想的な下降音型の美しい響きに、会場全体がうっとりとしていた。


プログラム最後を飾るのは、やはりオリジナル作品「Fields」。20歳になった等身大の紀平の姿を思う存分に感じさせる元気いっぱいの曲は、「心地よい風が吹き上げる広い草原にみんなで出かけよう」という想いが込められているという。中間部では、ジャズのインプロヴィゼーションを想わせる華麗なパッセージや、艶のある色彩感に満ちた和声やメロディもしっかり聴かせる。最後は、冒頭のパートが再現され、さらに力強く思いを込める。心が奏でる音楽の勢いは止まらない。高ぶる気持ちを抑えるかのような、あえて静かなフィナーレ。紀平自身も、あふれる余韻を名残惜しみつつ、しかし、思いを振り払うかのようにかのように、演奏後、サッと舞台袖へと向かう。


新たな気持ちで再びステージへ。アンコールは、シューマン=リスト「献呈」。原曲はリート(歌曲)だが、中間部の、よりいっそう恋人への内に秘めた思いが高まる部分では、喜びにあふれた心の “歌” が会場の空間に響き渡っていた。フィナーレの力強い和声に、すべての想いを注ぐ。しかし、傍観するかのような冷静な表現が、むしろ、紀平の強い思いと成熟した音楽性を感じさせた。

全曲目の演奏を終え、最後に自らの言葉で、客席に向かって「ありがとうございました」と感謝の気持ちを伝える紀平。約60分ライブでは、驚くほどに密度の濃いカイル・ワールドが繰り広げられた。コンサート終了後の会場には、熱気とともに、紀平の成長ぶりに心から惜しみない拍手を贈るゲストたちの暖かで和やかな感情が満ちていた。

今夏にフルアルバムのリリースが決まり、秋からは全国ツアー開催も予定されているという。今から、さらなる紀平の進化した姿に出合える日が待ち遠しい。


取材・文=朝岡久美子 撮影=富永泰弘