坂東玉三郎が、十八世中村勘三郎と歌舞伎座で共演した『鰯賣戀曳網(いわしうりこいのひきあみ。以下、鰯賣)』が、2021年6月4日より、シネマ歌舞伎として東劇・新宿ピカデリーほか全国の映画館で公開される。上映されるのは、2009(平成21)年1月、歌舞伎座さよなら公演の最初の月に収録されたものだ。勘三郎による鰯賣の猿源氏(さるげんじ)と、玉三郎による傾城蛍火(ほたるび)の、あたたかな笑いに溢れた恋の物語。玉三郎が本作への思いを語った。

坂東玉三郎

坂東玉三郎

 

■三島由紀夫がのこした、幸せな歌舞伎

『鰯賣』は、三島由紀夫が劇作家として、六世中村歌右衛門にあてて書いた5作の歌舞伎のうちの1作だ。1954(昭和29)年に、十七世中村勘三郎の猿源氏と、歌右衛門の傾城蛍火で初演された。蛍火は、元は丹鶴城の姫でありながら、京の都で評判の傾城となる。そんな蛍火に、猿源氏が一目惚れする。

「蛍火は、遊女でありながら品が良い。姫であり傾城であり、鰯賣の男に惚れて身を崩しながらも、幸せになります。初演の時は気づきませんでしたが、どこか『桜姫東文章(さくらひめあずまぶんしょう)​』の桜姫のようでもあります。桜姫もあの物語の中で、ハッピーエンドといえばハッピーエンドに終わりますよね?(笑)。 三島先生にその意識はなかったかもしれませんが、鶴屋南北の世界を、近代の人が洗い上げたような歌舞伎です」

三島は『椿説弓張月(ちんせつ ゆみはりづき)』を、当時19歳だった玉三郎に書いたこともある。玉三郎は、歌舞伎以外の三島の作品にも出演してきた。

「三島先生に、幸せな作品は多くありませんね。『サド侯爵夫人』は、3時間くらい喋りつづけて、最後に否定されます。『班女』(『近代能楽集』より)も、探して探して探し続けた人をやっと見つけたところで“あなたは違う”と否定で終わります。ところが『鰯賣』は、はじめから終わりまで幸せな芝居です。笑いをとるための芝居ではなく、可笑しみのある喜劇。文学としても戯曲としても、日本には本当に幸せでお客様を笑わせる喜劇が非常に少ないのです。三島先生の数ある作品の中でも、『鰯賣』は偶然生まれたものかもしれません」

坂東玉三郎

坂東玉三郎

 

■玉三郎と勘三郎、あらためて2人のために

玉三郎が初役で蛍火つとめたのは、1989(平成元)年11月。

「初役の時に、勘三郎さん、藤間のご宗家(演出・振付の藤間勘十郎)とで、あらためて2人のために設えた『鰯賣』にしたという感覚があります。新しく作ったというよりは、設えた。十七代目の猿源氏は、鰯賣らしく白塗りにしすぎない顔で演じていたようですが、十八代目は、いっそ白塗りにし、おとぎ話の世界に寄せた気がします。古典の演目ではない分、自由さがありました」

それ以降、2人の当たり役の1つとなり、2009(平成21年)までに8回上演された。

「芝居について、相談はあまりしませんでした。勘三郎さんに限ったことではなく、たとえば仁左衛門さんとの時も同じです。相手に合わせ、向こうも私にあわせて。この時は『屋台(セット)が上がっていく時に、ぴょんと飛び上がっていい?』と言われ『どうぞ』と。そのくらいだったように思います」

そして最後に本作で共演した公演を振り返った。

「神話的に語ることはしたくありませんが、最後に花道で観音様をいただくところを、勘三郎さんは『もっと丁寧にいただいて、お礼を言って帰りたいんだよね』と言っていたことが印象に残っています。お客様へのお礼の気持ちもあって、と」

十七代目勘三郎につづき十八代目勘三郎もまた、当たり役とした『鰯賣』の猿源氏。

「2代にわたり、同じ芝居を当たり役にできるのは珍しいですね。お客様に喜んでいただけて、劇場に足をお運びいただけて、17代目のひな型と思わせることなく、18代目が自分の役として幕を開けて閉められる。荒事のような“型もの”ではなく、このような自分からしか出てこない感情の機微や情緒で演じる役を、2代で当たり役にするのはめったにないことです」

十八世中村勘三郎

十八世中村勘三郎

 

■阿吽の呼吸が生む空気感

玉三郎と勘三郎の共演は『鰯賣』以外にも、シネマ歌舞伎で7月には『籠釣瓶花街酔醒(かごつるべさとのえいざめ)』、12月には『刺青奇偶 (いれずみちょうはん)』等を映画館で観ることができる。

「シネマ歌舞伎は、あまり賛成できるものではありませんでした。ですが今となっては、撮っておいて良かったと思います。こんなに早く(勘三郎が)いなくなるとは思いませんでしたね」

さらに舞台に立つ側の目線でも、シネマ歌舞伎の魅力を語った。

「勘三郎さんと私は、子どもの頃から“哲明(のりあき、勘三郎の本名)ちゃんと兄さん”という間柄です。その上で、共演しながら“ここはもう少しちゃんとしたら?”と思ったこともあったのですが、シネマ歌舞伎を見て“ちゃんとやっていたんだ!”と分かったりもしました(笑)。芝居の時は、どうしてもどこか冷静に、この芝居でどのくらいもつか、お客様をおいてきていないか、などに意識が向いたり技術的なことを考えたりもします。また、同じ舞台に出ていても、私は彼をみているわけではありませんし、勘三郎さんも私を見ているわけではありません。シネマ歌舞伎でじっくり観られたのはいいことですね。シネマ歌舞伎で観て、涙が出た作品もあります。『刺青奇偶』は、勘三郎さん独特の情緒が出ていますね。あの情緒は、なかなか巡り合えるものではありません」

映画館では、5.1chサラウンドによる臨場感で、歌舞伎座の1等席以上の距離感で芝居を鑑賞できる。しかし映像を通して伝わる空気感というのは、近年のデジタル技術だけに支えられるものではないようだ。

「例えば杉村春子さんの『女の一生』を白黒の映像で拝見しました。4K、8Kの技術はなくとも、当時の映像から北村和夫さんとの空気感が伝わってきます。それは俳優としての生活感であったり、阿吽の呼吸から生まれるのではないでしょうか。たとえば仁左衛門さんや勘三郎さんとは、私的にはどちらとも3回程度しか食事にいっていない間柄ですが、それでも分かり合えるくらい、小さな頃より修業時代を一緒に過ごしました。お互いを俳優として好きで、尊敬できる者同士が舞台に立ち、阿吽の呼吸があって、言葉にしなくてもできるものが空気感ではないでしょうか」

坂東玉三郎

坂東玉三郎

 

■歌舞伎を楽しめるかどうかは、飛躍を楽しめるかどうか

『鰯賣』は、終始明るい笑いに溢れている。しかし勘三郎と玉三郎では、笑いのタイプが違うようにも思われる。記者からの質問に、楽しそうに答えた。

「違いましたね、勘三郎さんは笑いをとりにいって、いきっぱなしの人。だから私はひいていました(笑)。けれども平成中村座やコクーン歌舞伎を観て個人的に感じたのは、勘三郎さんは基本が全然違うということです。周りの人がそこまでしたら冷めてしまいそうなところまでいっても、勘三郎さんは​役が崩れることはありませんでした。舞台上での行儀作法を、お父様やお母様からきちんと習ったのでしょう。作法がないように見え、あった人だったと思っています」

本作は、歌舞伎に関する知識がゼロでも楽しめる作品だ。演じた玉三郎自身も、このお芝居がある期間は、楽しい気分で過ごせたのではないだろうか。

「上演時間が1時間で、あっという間ですけれどね(笑)。(公演期間中の)気持ちに影響が出るかどうかで言えば、暗い役の時は暗くなります。三島先生の『黒蜥蜴』や『サド侯爵夫人』はひきずります。その点、4月と6月に歌舞伎座でやらせていただく『桜姫東文章』は全然引きずりません。その違いは、作者の人生観でしょうね。たとえば『ふるあめりかに袖はぬらさじ』も引きずりません。作者の有吉佐和子先生は、人間をとても皮肉に見ていながら、人間を愛していました。そういった作者の魂にふれるように思います。解放される作品と解放されない作品がある、とも言えるかもしれません。その意味でも『鰯賣』は解放のみです! 三島先生にしてはとても珍しい、幸せな作品です。歌舞伎をまだあまり観たことのない方でも、勘三郎さんってどんな役者さんだったのかな? という目線で楽しんでいただけると思います」

最後に、歌舞伎を見始めたばかりの方に向けて、歌舞伎を楽しむためのアドバイスをもらった。

「私は小さな頃、歌舞伎俳優になりたいと感覚から入り、分からないところは感覚で飛ばしながらやっていました。学術的に、何かを分かろうとして歌舞伎俳優になったわけではありません。勉強しなくては……と思うようになったのは、大人になり、記者の皆さんに色々ご質問いただくようになったからです(笑)。歌舞伎には、支離滅裂なところがあります。『桜姫』も『四谷怪談』も、話の展開が飛躍していますよね。けれどもそれは、歌舞伎に限ったことではありません。演劇は、基本的に飛躍するものだと思うんです。シェイクスピアの『マクベス』だって、3人の魔女が予言するからと従いますか? 『ハムレット』だって亡霊の言葉を信じてそんな行動に出ますか?(笑)。劇場に入り演劇を楽しめるかは、その飛躍を楽しめるかどうかだと思います」

シネマ歌舞伎『鰯賣戀曳網』は、6月4日(金)より東劇・新宿ピカデリーほか全国にて公開。本編の前には、シネマ歌舞伎だけの坂東玉三郎特別映像が収録されている。


取材・文=塚田史香