新国立劇場の新制作オペラ《カルメン》が、2021年7月3日に、新国立劇場オペラパレスで開幕した。

ビゼーの《カルメン》は世界の歌劇場で上演が欠かせない人気演目だ。新国立劇場でもこれまで2007年に制作された鵜山仁演出の、伝統美を誇るプロダクションが繰り返し上演されてきた。

今回の新制作を演出するのは、2年前に巨大セットの《トゥーランドット》が大きな話題となったスペイン(バルセロナ)出身のアレックス・オリエ。《トゥーランドット》の時と同じく、芸術監督の大野和士が指揮でタッグを組む。ここでは、初日公演に先立っておこなわれたゲネプロ(総稽古)の様子をお伝えしよう。

新国立劇場《カルメン》 ©長澤直子

新国立劇場《カルメン》 ©長澤直子

《カルメン》は極めて現代的なテーマを扱ったオペラである。よくあるギリシャ神話の神々の世界や、王侯貴族が登場する歴史的なストーリーとは違い、19世紀フランスの作家ゾラに代表される自然主義文学の流れを汲んだ、市井の、もしくは底辺の暮らしを舞台にした物語である。そこに登場するのは私たちと似たような問題を持って生きる人々なのだ。

オリエはカルメンを現代のショービジネスに生きる歌手にした。イギリス出身のヴォーカリストで、ドラッグなどが原因で若くして命を落としたエイミー・ワインハウスをモデルにし、「力、喜び、勇気、反骨心、自由の象徴」としてのカルメンを描こうとする。

新国立劇場《カルメン》 ©長澤直子

新国立劇場《カルメン》 ©長澤直子

具体的な設定としては、カルメンは(一応、スペインの)ヴォーカリスト。日本でコンサートをおこなっているが、舞台裏ではカルメンに近い何人かのメンバーが麻薬の取引などで危ない橋を渡っている。ドン・ホセは大規模コンサートの警備をする警察官を束ねるキャリア。そしてカルメンたちの滞在中に開催されている〈スペイン週間〉で闘牛のガラ公演があり、闘牛士エスカミーリョはそこに招かれて来日している。カルメンの性格や物語が、ビジュアルを借りたワインハウスに重なるわけではないし、日本という設定も固定のものではなく、重要なのはカルメンが、さまざまな男女の愛と欲が渦巻くショービジネスの世界に生きる女性だ、ということだ。

まず私たちが目にするのは、舞台前面いっぱいに広がる鉄パイプの構造物だ。そこは大規模コンサート会場の舞台裏である。前奏曲が演奏されている間に、カルメンがタバコを吸おうとしてドン・ホセに火を借りる場面が演じられる。二人はコンサートが始まる前にこうして出会っているのだ。鉄パイプが上がると、舞台の上では、警官たち、(別演目に出演するため、もしくは見学のために集まっているらしい)子どもたち、通りかかるスターにサインをねだる娘たち、などが行き来する。やがてライヴが始まり、皆はカルメンの出番を待ち構えている。歓声に迎えられて登場する彼女が舞台奥のスクリーンに大写しになる。セクシーなハバネラを歌うカルメン。ファンたちはスマホで彼女を撮影しながら音楽に陶酔する。やがてカルメンは彼女のトレードマークである赤い大きな薔薇をホセに投げる……。

新国立劇場《カルメン》 ©長澤直子

新国立劇場《カルメン》 ©長澤直子

新国立劇場《カルメン》 ©長澤直子

新国立劇場《カルメン》 ©長澤直子

こうして語られる現代のカルメンの物語は、細かいところでは台本に沿わない部分があるかもしれないが、男たちを惹きつけるカルメンの魅力、純朴なホセと彼の故郷からやってきたミカエラ、興行の世界の怪しい人々など、確かに、ビゼーの《カルメン》の世界に描かれている要素を反映している。アルフォンス・フローレスによる舞台の高さをいっぱいに使った美術はリアルで精密、マルコ・フィリベックの第一幕のステージの照明を含んだライティングも洗練されており、終幕のがらんとした舞台への明かりも印象的だ。リュック・カステーイスの衣裳はカラフルでキマっている。

新国立劇場《カルメン》 ©長澤直子

新国立劇場《カルメン》 ©長澤直子

新国立劇場《カルメン》 ©長澤直子

新国立劇場《カルメン》 ©長澤直子

これまでも《カルメン》の現代的な演出は数多くあったはずだが、オリエの演出は、場所を日本にしたこと、多くの人々が関心を持つショービジネスの裏側に設定したことから、登場人物と観客の距離はかなり近いものとなっている。またカルメンのキャラクター造形が、魔性の女というよりは、受け身でいることを拒む女になっており、《トゥーランドット》でトゥーランドット姫の立場に立って結末を考えたオリエが、ここでもカルメンの視点で演出をおこなっていることが分かる。

今回、カルメン役を演じるのはフランス人のメゾ・ソプラノ歌手、ステファニー・ドゥスラックだ。若い頃はウィリアム・クリスティ指揮のバロック・オペラで活躍し、近年はカルメン役を多く歌い高い評価を受けている。ドゥスラックはポップな衣裳が映える長身に、全ての音域でむらのない声は媚をほとんど含まず、歌も理知的な印象を与える。言葉を巧みに使った音楽造形が素晴らしく、オペラ全体を牽引する魅力があった。ドン・ホセの村上敏明は初日に向けての調整か、持ち前のパワフルで暖かみのある声をかなりセーブしての歌唱だったが、素朴で純情なホセの性格はよく出ていた。エスカミーリョはやはりフランス出身のアレクサンドル・ドゥハメル。体格が良く柔らかい響きのバリトン。砂川涼子は澄んだ美声とひたむきな演技でミカエラ役を歌い、技巧的に難しい第三幕のアリアも完成度の高い歌唱であった。

新国立劇場《カルメン》 ©長澤直子

新国立劇場《カルメン》 ©長澤直子

新国立劇場《カルメン》 ©長澤直子

新国立劇場《カルメン》 ©長澤直子

新国立劇場《カルメン》 ©長澤直子

新国立劇場《カルメン》 ©長澤直子

新国立劇場《カルメン》 ©長澤直子

新国立劇場《カルメン》 ©長澤直子

警察の上司スニガを歌う妻屋秀和は、今シーズン新国立劇場でチャイコフスキー《イオランタ》ルネ王や《ドン・カルロ》フィリッポ二世など重要な役での名演が続いたが、出番が少ない役でも歌と演技に揺るぎがない。ちょっとナルシストでひょうきんなキャラクターが面白く子供たちとの絡みも良かった。モラレスの吉川健一もスニガとのバランスが巧み。コミカルな面で重要な役割を果たすカルメンの仲間たちは豪華な顔ぶれで、町英和のダンカイロはスーツ姿が決まった色男、糸賀修平のレメンダードはアンサンブルを支える引き締まった声と演技、森谷真理のフラスキータは艶のある声で高音もびんびん響いてくる。金子美香のメルセデスは活力に満ちた演唱。二人ともあだっぽいけれどガーリーな衣裳が似合っていた。

新国立劇場《カルメン》 ©長澤直子

新国立劇場《カルメン》 ©長澤直子

新国立劇場《カルメン》 ©長澤直子

新国立劇場《カルメン》 ©長澤直子

東京フィルハーモニー交響楽団を指揮する大野は、前奏曲から小気味良いテンポでスタート。音色や強弱に大きなアクセントをつけてドラマを彩るが、全体は歌心を大事にした流れの良い音楽作りだ。第三幕にいたる間奏曲のフルートの名旋律や、この幕でのミカエラのアリアの前にあるクラリネットの一節など、浮き上がってくる木管楽器の響きも魅力的。

冨平恭平指揮の新国立劇場合唱団とびわ湖ホール声楽アンサンブルは、この時期でもあり歌う位置などで少し苦労がありそうだったが、歌、演技ともに的確。TOKYO FM少年合唱団はよく揃った可愛らしい歌を披露した。

新国立劇場《カルメン》 ©長澤直子

新国立劇場《カルメン》 ©長澤直子

新国立劇場《カルメン》 ©長澤直子

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©長澤直子

©長澤直子

取材・文=井内美香  写真撮影=長澤直子