2021年7月28日に東京の浜離宮朝日ホールで開催された 反田恭平プロデュース「ジャパン・ナショナル・オーケストラ(JNO)」による『コンチェルトシリーズVol.1 岡本誠司(vn)/八木瑛子(fl)&荒木奏美(ob)』。予定されていた公演は完売で、翌日に追加公演が決定したほどの盛況ぶりだった。今回はプロデューサーであり、指揮者も務める反田恭平が、ショパン国際コンクール予備予選出場のためポーランドからの帰国直後の自宅待機による不在の中でのキックオフとなった。

当夜の主役、「ジャパン・ナショナル・オーケストラ(以下JNO)」は、今年5月末に日本初の ‟株式会社” というステイタスを持つ楽団として正式に一歩を踏み出した。メンバーは代表取締役社長の反田恭平以下、総勢18名のプロの演奏家たちによって形成されている。会社設立と同時に、本拠地となる奈良では初の公式演奏会を開催しているが、東京では今回が第一回目の公演となる。

“コンチェルトシリーズ第一弾” と銘打たれた今回の東京演奏会のプログラムは、モーツァルトの「ヴァイオリン協奏曲第一番」、クロンマーの「フルートとオーボエのためのコンチェルティーノ」、そして、シューベルトの「交響曲第5番」というラインナップ。指揮者、プロデューサーでもある反田恭平が不在の中、コンチェルトのソリストを務めるヴァイオリンの岡本誠司がリーダー的存在となってメンバーを束ねる。

一曲目のモーツァルトの「ヴァイオリン協奏曲」では、中央に立つソリストの岡本を囲む形で弦楽5部を配置。JNOの前身である「MLM ナショナル管弦楽団」の頃からのお馴染みのスタイルである、半月形の中央にコントラバス、そして、第一・第二ヴァイオリンは対抗配置ながら、今回はチェロ3人を左手第一ヴァイオリンのすぐ横に配置し、ヴィオラを右手第二ヴァイオリンの横に配置するユニークな並び。後部に構えたフルート、オーボエ、ホルンの管楽器陣、そして、弦楽セクションもチェロ、コントラバスを除いて全員立奏だ。

モーツァルトの「ヴァイオリン協奏曲 第一番 変ロ長調 K.207」は、作曲者17歳(あるいは、19歳)の作品だが、すでにモーツァルとらしさの魅力が凝縮されている。同作曲家のヴァイオリン協奏曲は圧倒的に第3〜5番の演奏頻度が高いが、シリーズ第一回目の演奏会ということで、「第一番」をセレクトしたというのもあるようだ。

第一楽章:アレグロ・モデラート。冒頭から若々しさと喜びがあふれる。ソリストの岡本は右、左、そして、後ろに立つ奏者たちを意識しながら、全方向に問いかけるように身体を大きく揺らし、全身でテンポ感や細やかな感情表現を舞台の空間に浸透させてゆく。事前にJNOから配信された楽曲解説(動画)での岡本の話によると、変ロ長調という調性は開放弦の音が少ない分、指の動きが忙しく、第一番作品と言えども、なかなか弾き応えがあるという。冒頭から、速いソロパッセージを弾きながらオーケストラ全体をまとめていくことは、経験豊富な岡本でもかなりの重責だろう。しかし、岡本はあふれる熱量で17名のメンバーたちに全身で問いかけ、舞台を覆う熱い波動の中にしっかりとした核を生み出していた。メンバーたちの奏でる音楽も岡本を中心に軽やかに流れる。

何と言っても、聴きどころは最後部に現れるカデンツァだ。岡本独自のオリジナルバージョンと思われるが、快活ながら、緻密に構成されており、華麗な技巧もさりげなく聴かせ、明るい華やかさが舞台によりいっそうの花を添えていた。

第二楽章:アダージョ。岡本が奏でる天上の響きが美しい。岡本の持ち味である流麗なフレージングに込められた一つひとつの言葉が手を取るように感じられ、細やかな息づかいに聴き手も引き込まれてゆく。フレージングといいアーティキュレーションといい、浜離宮朝日ホールの程よい空間だと、一つ一つの言葉が浮かび上がってくるようだ。

第三楽章:プレスト。モーツァルトのオペラ作品を思わせるような快活で、喜劇的性格を持ったメロディが提示される。続いて、アルペッジョやトリオーレ(三連符)が連続したヴァイオリン・ソロの華麗なパッセージが息をもつかさぬ速さで繰り広げられ、モーツァルト十代の作品にして実に野心的なものを感じさせる。さらに続くカデンツァでは、岡本は再びスリリングなほどのテクニックを大胆に聴かせてくれた。最後はソリストを囲んで一つになり、明るい余韻を残して締めくくった。満面の笑みを湛えるメンバーたちの姿が快く、見ていても嬉しくなるほどだった。


二作品目は、ハンガリー出身の作曲家クロンマー(1759-1831) 「フルートとオーボエのためのコンチェルティーノ ハ長調Op.65」。フルートとオーボエがダブルでソリストを務めるというドッペル・コンチェルト風の作品で、ソリストはJNOメンバーでもあるオーボエの荒木奏美とフルートの八木瑛子が務めた。荒木は東京交響楽団の首席奏者、そして、八木も日本のオーケストラで経験を積んだ後、現在、ザルツブルクと日本を往復しながらソロ活動などを展開する実力派だ。

クロンマーは、日本ではマイナーな作曲だが、多くの管楽器の作品を残しており、弦楽四重奏用の曲もかなりの数を書いているそうだ。現にこのコンチェルティーノも、動画での荒木自身の楽曲解説によると、オリジナルの弦楽四重奏版を自らアレンジして協奏曲形式に広げたという。

第一楽章:アレグロ。冒頭、ロッシーニかモーツァルトのオペラ作品が始まるかのようなストーリー性、キャラクター性にあふれた主題で始まる。フルートとオーボエがデュオで弦楽器群をリードしてゆくというスタイルは実に斬新で、興味深い。異なる音色を持つソロ楽器二人が追いかけっこするようにメロディを奏でる様は、オーケストラをバックにそれぞれが特徴ある声音でナレーションを展開しているようだ。八木のフルートも荒木のオーボエも、雄弁に台詞を語り、自らが紡ぎだす言葉を一つひとつ丁寧に美しく発音してゆく。特に両者のスタッカートの快活さには、こちらもウキウキしてくるくらいの喜びが感じられた。

第二楽章:アダージョ。冒頭、厳かで美しいアンサンブルに続き、フルートのソロが印象的にメロディを提示。ソプラノが歌うオペラアリアのようだ。そこにオーボエがメゾソプラノ歌手のような豊かな音色でオブリガード的に加わる。美しい女声のデュエットが空間を魅了する。その間、バッソコンティーヌオ(通奏低音)のように、絶え間なくハーモニーを支える弦楽セクションの温かく深みのある音も美しい。古典派のアンサンブルの真の美しさとは、こういうものなのだと感じさせられた。

第三楽章:メヌエット/アレグレット。オーボエのファンファーレのような合図を皮切りに、一斉に息を合わせて始まる。メヌエット的なたおやかさに満ちたアレグレットの小刻みなテンポとリズム感が心地よい。音楽をリードするオーボエの荒木は、温かい音色ながらも骨太で男性的な力強さに満ち、表情も実に多彩だ。フルートはこの楽章では比較的控えめな役割だが、八木の奏でる音と音楽はつねにチャーミングで存在感を放っていた。

第四楽章:フィナーレ/アレグロ。前楽章に対して、フルートの八木がコロラトゥーラの歌い手のようにひときわ高い音域で花火のようなパッセージを繰り広げる。次第にオーボエも加わって、二つのソロ楽器が競い合うように華やかで速いパッセージを聴かせてゆく。弦楽器やホルン二人の存在も負けてはいない。最後はトゥッティ(全員)で息もぴったり、軽快なハーモニーで堂々としたランディングだ。メンバー一同が、この作品のユニークで斬新な音楽を心から楽しんでいる様子が伝わり、それにふさわしい喜びに満ちたフィナーレだった。聴き手側としては、何と言っても、このような知られざる美しい作品を紹介してくれたことに感謝したい。


休憩を挟んで、後半は18人のフルメンバーで奏でる シューベルト「交響曲第5番 変ロ長調 D.485」。もともと同作品は、フルート1、オーボエ2、ファゴット2、ホルン2、弦5部という小編成になっており、JNOという少数精鋭オーケストラが今宵、この作品に挑むのは意義深い。しかも、指揮者なしのシンフォニーへの挑戦。それだけでも期待値が高まる。(ちなみに、当夜のJNOの楽器編成は、弦楽セクション3-2-2-3-1/フルート1/オーボエ2/ファゴット2/ホルン2)

厳かに、優美に始まる冒頭。シューベルトの品格ある端正な美しさが冴える。少人数の室内楽的なオケの魅力が感じられる瞬間だ。次第に一同、ダイナミクスをあげ、18人の音がバランスよく融合し、マックスに達する。古典的なスタイルと世界観を保ちつつも、ロマン派的な情感を多分に感じさせ、この作品が二つの時代の様式の過渡期にあることを暗示してくれる。

その後に続く流麗な旋律と色彩豊かな音色は、むしろロマン派的な自由闊達さにあふれていた。展開部では、斬新ともいえる転調の激しさを一同、明確な言葉で劇的に表現してみせる。再現部はよりいっそうロマンティックなたおやかさに満ちており、メリハリと抑制の効いた音作りとともに成熟したオーケストラの実力を大いに感じさせてくれた。フィナーレもまた、あふれる情感からほとばしるダイナミクスの振れ幅の大きさが印象的だった。

第二楽章:アンダンテ・コン・モート。メンバーを束ねる岡本が大きく合図をしなくとも、彼が一息吸えば、他のメンバーも一様に息をぴったり合わせ入ってくる。主題のたおやかさと美しさ。それは温かさと親密さを内包する愛情に満ちており、むしろ18人という室内楽的な編成の妙によって、シューベルトが求めたそれに近いものにより肉薄できていたのではないだろうか。対抗配置の第一・第二ヴァイオリンの対話も実に雄弁で、それぞれに醸しだす音色と語法の違いが力強く表現されていた。

第三楽章:メヌエット/アレグレット。冒頭、今まで控えめだったホルン、オーボエ、そしてファゴットの管楽器セクションが存在感を示し、ここまで室内楽的な繊細な美しさを呈していた音楽にさらなる立体感と色彩が加わる。管楽器群が立体的に聞こえ出すと、弦楽パートはさらに歌が豊かになる。アンサンブルの豊穣さはますます佳境に。メンバー全員の集中力もさらに高まり一つの核へと収斂してくる。

第四楽章:フィナーレ/アレグレット。この楽章の出だしは、いかにも指揮者なしでは難しそうだが、完壁に流れるように始まる。弦楽群の縦のラインの一体感がよりいっそう強まり、すごい熱量が会場の空間を席巻する。まさにこの実力派オーケストラの本領発揮というところだろうか。弦の縦の線が完璧に一体化してくると、アゴーギクも自由自在、古典的な抑制の中でさらにのびやかに、よりいっそう生命感にあふれる。しかし、そんな熱量に流されることなく、感情を露わにしないところが実にカッコいい。最後まで情感を内に抑え、表情を崩すことなく、端正に弾き上げるところが、精鋭集団のこのオーケストラならではの風格と真の実力の表れだ。そして、何と言っても、指揮者不在の中で、音楽への情熱を共にするメンバー一人ひとりから自然に湧き上がるものが一体化し、自然な形で幾重ものベクトルが一つに合わさる瞬間に立ち会えたのは、客席の聴衆にとっても最高の喜びだろう。

アンコールは、モーツァルト「交響曲第40番」から最終楽章。一楽章抜粋だけのアンコールピースながら、展開部で聴かせた集中力漲る劇的な表現に、どんな曲でも瞬時に作品の深淵へとジャストミートできるポテンシャルを持っていることを示してくれた。

第一回目の古典派作品プロによるJNOの東京キックオフ演奏会。今後は、メンバー一人ひとりの紹介を兼ねた “ソロリサイタルシリーズ” も連続して企画されているようだが、JNOオーケストラとしても、反田が加わっての今後の展開が楽しみでならない。

取材・文:朝岡久美子