ウィリアム・シェイクスピアの“ローマ劇”のひとつ、『ジュリアス・シーザー』がオール女性キャストでお目見えする。これが今年シェイクスピア作品2本目となる森新太郎が演出を手がけ、主人公のブルータスに吉田羊、アントニーに松井玲奈、キャシアスに松本紀保、シーザーにシルビア・グラブというキャスティングが実現。森と、シェイクスピア作品初出演にして初主演を務める吉田が、作品への意気込みを語り合った。

ーー女性だけでこの作品を上演するという試みが実現します。

森:かねがねシェイクスピア作品は虚構性が立った方がおもしろいと思っていまして。そもそも野外のグローブ座で上演されていて、日差しのもと、夜を表現しなくてはいけなかったわけですし、女性の役も少年俳優が演じていた。これはお芝居ですよということが明確にされているからこそ、お客さんは、想像力をフル稼働させて自分の中でフィクションを構築していくというおもしろさ、日常の約束事や規範から自由になれる、そういう喜びがあったと思うんです。そう考えていくと、シェイクスピア作品の中でもとりわけ登場人物が男ばかりというこの『ジュリアス・シーザー』という政治劇は、女性だけで演じることが一番の強い虚構性になるんじゃないかなと思ったのが、オール・フィメールの企画を提案した最初の理由です。

ーー吉田さんは今回、シェイクスピア作品の初主演を男性役で務められます。

吉田:シェイクスピア自体、苦手意識が強くて避けてきて、一生縁がないんだろうなと思っていたんです。観客として観に行ったとき、シェイクスピア作品は、俳優の鍛錬と演出家の想像力を観るものだと思っていて。とにかく演じる側は肉体的にも精神的にも大変そうだなという思いが強かったので、それが自分にできるだろうかというところでずっと、無理だなと思って生きてきました(笑)。でも、来年芸歴25周年、節目となるこのタイミングで、古典劇、しかも、自分が敬遠していたシェイクスピアが向こうからやってきてくれたのは、もう一度原点に帰りなさいという演劇の神様からのメッセージかなと思って、挑戦することにしました。男性が多く登場するこの戯曲を女性だけで演じるという試みにもひかれましたが、大変な挑戦だと思うんです。有名な物語で、観客の固定観念を取り払うのは簡単ではないし、私自身、「俺」という一人称でしゃべることに最初は違和感があったんです。でも、上演にあたって、森さんによって、女性と男性のそれぞれの役割を固定するようなセリフがカットされているんです。それによって、人間同士の会話として響くようになっていますので、お客様の違和感を逆手にとって、性別を超えた、「人間という生き物の物語」として見せることが今回の上演の狙いなのかなという風に思っています。まだ稽古前で、どのような構想を森さんがお持ちなのかまったくわからない状態で、大変わくわくしています。

ーーその構想をお聞かせください。

森:例えば衣裳についてですが、戦場であれば鎧であったり、男性のフォーマル的なものを着せるというのがよくあるパターンだと思うんですが、シェイクスピアの作品に関しては、言葉を鎧にした方がいいんじゃないかなという考えが僕の中にあって。攻めるのも言葉なら守るのも言葉なので、言葉以外のものはなるべく削ぎ取っていきたいなというのがあるんです。今イメージしているのは、コンテンポラリー・ダンスの衣裳のように非常に簡素なものです。普通、男装っていうと、女性が胸を潰したりということもよくありますが、それもやる必要がない気がしていて。今回、女性は女性の持っている身体のままで、男性の役を演じてほしいなと思っています。

吉田:(拍手)私ももともと布か何かを巻いたような抽象的な衣裳がいいなと思っていたんです。というのは、やっぱり、人間の認識って、視覚から入る情報が大部分で、それで決まってしまうので、男装した時点でまずみんな“男”って思っちゃうじゃないですか。でも、演じている中身は女性なので、それが邪魔になると思うんです。

森:おお。そう言ってもらえるとは思わなかった。この衣裳プランは僕にとって初めての試みなので、いささか緊張もしています。

森新太郎

森新太郎

ーーブルータスについてはいかがですか。

吉田:ブルータスって、私利私欲一切なしのミスター正義漢なんですよね。でも、彼の本当の魅力は、その強さではなくて、むしろ人間的な弱さにあるのではないかなと私は思っています。友人にそそのかされて、くすぶっていた正義の炎を燃え立たせるわけですが、その一大決心をするまでに、彼は自問自答、逡巡を繰り返して自らを鼓舞しまくるんです。傍目に見れば煮え切らなくて優柔不断で、ちっとも男らしくないし、けれどそのカッコ悪さこそが彼の人間臭さであって、観ている者が、決心しろブルータスと応援したくなる魅力なのかなと思っています。また彼はその優しさゆえに自分で自分の首をしめているところがある。だからこそ物語が展開していきますが、彼のそうした、憎しみだけではなく、愛情を併せ持っているという人間性がゆえに、観客がこの物語を受け入れることができるのではないかなと。政治劇ではありますが、できるだけ、それに至るまでの感情へのアプローチ、どういう思いの流れで彼が事を成したのかという人間的な部分にフォーカスして演じていきたいなと思っています。

ーー森さんが考えるこの作品の魅力は?

森:『ジュリアス・シーザー』って、昔から、主役は誰かということがよく論じられてきた作品なんです。タイトルは『ジュリアス・シーザー』だけど、シーザーは中盤で殺されていなくなってしまうし、じゃあブルータスかというと、ブルータスもそれほどまん真ん中にいないような。一種、群像劇みたいなところがある。つきつめて考えていくと、影の主役は民衆のような気がしていて。物語の序盤、姿こそ見えなくても、シーザーに王冠をかぶせろという民衆のお祭り騒ぎによって、ブルータスとキャシアスの人生は狂わされていくわけですよね。ブルータスが恐れているのも、シーザーの圧政というよりも、どちらかというと、シーザーにひきつけられていく民衆の熱狂の方なんじゃないかと。それで、このままじゃいかんとクーデターを起こし、一度は演説で彼らの説得に成功するんだけど、やっぱりそれもひっくり返されて、あげく暴動にまで発展して。ブルータスはじめ政治家たちが、民衆の熱狂の間をただ右往左往しているだけの存在に思えてなりません。移り気で、無責任で、時に狂ったように暴力的になる民衆、それはそっくりそのまま私たちの姿ですよね。そのことが、今、この作品をやりたいと思った大きな動機のひとつではあります。あと「今回のオール・フィメール、どう思う?」と周りの女性たちに聞くと、皆さん「おもしろそう!」と本当に目を輝かせて言ってくれるんです。よかったなと思うと同時に、こんなに女性をウキウキさせるっていうことはやっぱり、その背景にあるのは、日本の現状、女性が政治から遠ざけられているということの反映なんじゃないかなとも痛切に感じていて。最新のジェンダーギャップ指数とかでも、日本って相変わらずものすごく下の順位で、政治参画の項目なんてほとんどビリに近いですよね。でも、まったくもって改善されない。例えば2020年までに自民党は女性の議員を30%まで増やすとか言ってたんですけど全然果たされなくて、蓋を開けてみると、閣僚も20人中女性が2人しかいなかったりして。この不平等な状況が、『ジュリアス・シーザー』という政治劇を女性だけでやることへの女性たちのワクワクにもつながっているような気がしていて。普段そうした抑圧を感じているからこそ、オール・フィメールのような倒錯性に惹かれるのかもしれないなと。そんな上演意義みたいなものを僕の中では感じています。

ーーブルータスを吉田羊さんでと思われたのは?

森:最初に直感でひらめいて。ひらめいたとはいえ、よくよく考えたら、羊さんのこと詳しく知らないじゃないかと。で、出演のオファーをする前に羊さんのこと勉強しようと思って、いろいろ作品を観させていただいたのですが、そもそもこの人はすごく熱い人なのではないかなと感じたんですよね。抑えた芝居が効いているのは、内面に激しいものを持っているからだと気が付いて。こんなに激しいものを持っている人はシェイクスピア劇に出てもらわないといけない、むしろ出ていないことがおかしいなと。今日も取材の前に羊さんと話していたのですが、シェイクスピアのセリフって思ったことなんでも吐き出しちゃうじゃないですか。羊さんは、思ったことを胸の内に隠す、抑えた芝居が上手い俳優さんだと思いますけど、今回は別のフィールドに引っ張り出したいなと考えています。こんなに思いのありったけを叫ぶ吉田羊は観たことがないと、お客さんに驚いてもらいたいですね。さらに羊さんの場合、叫んでも叫んでも吐き出しきれない、ブルータスの心の奥底までを作ってくれるんじゃないかなと、そんな予感がしています。かつてなく孤独なブルータスが出現するんじゃないでしょうか。ただ、本当に、正直言って、最初はオファーを受けてもらえるとはとても思っていませんでした。だから、羊さんがやると決まったときは、のけぞりました。

吉田:(笑)。

森:今日、初めて羊さんと会って話したんです。それで、ああ、これは受けてくださるよなと腑に落ちました(笑)。羊さんってやっぱり、舞台出身の方なんですよね。何かちょっと、ワクワクするところが僕と似ているなと思って。やっぱり羊さんで大正解でした。これが、舞台が初めてとか、あまり経験のない人だったら、オール・フィメールでやるシェイクスピアのおもしろさって、もしかしたらここまでわかってもらえなかったかもしれない。さっき、衣裳の話で盛り上がっている羊さんを見て、あらためて羊さんでよかった、楽しみ方をわかっていらっしゃるなという気がしました。

(左から)吉田羊、森新太郎

(左から)吉田羊、森新太郎

吉田:とにかく一生懸命やりますとしか言えないですけれど。今回、実際に台本を読ませていただいたときに、本を開いて、そのセリフの多さに、一回閉じましたからね(笑)。これはやばいぞと思いましたから。でも、シェイクスピア作品は、俳優が一度は挑戦すべきものだという風に思っていて。胆力が試される上に鍛錬も求められ、それに応える役者の熱量が劇場中を支配する。だから観ている方も、これ以上ないくらいの満足感を味わえる、つまり、需要と供給が完全に一致している作品だと思うんです。そこに挑戦できる俳優かどうかというのは、ある意味、作品に選ばれないと挑戦させてもらえない、そういう感覚があったので、これを機会に挑戦してぜひ自分を更新していきたいなという思いがあります。それと、どうしても難解というイメージばかりが強かった作品だったんですが、いざ向き合ってみると、むしろその逆だということがわかってきて。難解なのは、聞き慣れない言葉が多いせいであって、内容は実はすごく親切なんですよね。というのも、登場人物は、さっき森さんもおっしゃったように、みんな心の内を全部口に出してくれるので。愛する仲間を正義のために殺さねばならぬのだと心に決めるとか、あの手この手で言葉を尽くして、ふんだんに比喩を使って、葛藤やら苦悩やら喜びやらを全部教えてくれるわけです。観客は事の顛末をじっと見守っていればいいわけで。それと、笑いのない戯曲だとされていますが、読んでみると、意外といくつか、くすりとできる箇所があったんです。しかも、そのくすりとできることで、そのシーンのそのキャラクターがなおより一層際立ってくるというのがたくさんあったので、そういうユーモアの部分をしっかりと表現をして、私がくすりとできた部分は、お客さんにも確実にくすりとしていただけるような作品を目指したいなと思います。例えば、AがBに対して質問をする。Bはよく聞いておらず見当違いの答えを返す。Aは正しい答えを聞きたくてもう一度同じ質問をする、というシーンがあるんですね。Bが話を聞いていないのは、焦りのあまり、いっぱいいっぱいだからなんですけど、二回尋ねることで、Bの「テンパる」キャラクターが見えてくるんです。そういうちょっとしたシーンから逆算して、キャラクターを色付けしていくのも面白いなと思いました。そうですよね、森さん?

森:まさにその通りです。

吉田:そういう、細かい積み重ねをきちんと演じることで、それぞれのキャラクターがちゃんと立った物語になるんじゃないかなと思います。

ーー森さんの演出舞台はご覧になっていますか。

吉田:『奇跡の人』(2019)を観ましたが、本当にしっかりとお芝居の演出をされることはもちろんですし、舞台空間の使い方もすごくお上手で、足し算も引き算もできる演出家さんだなと。今回、人間の普遍的な業や情といったものを見せる舞台にしたいですし、衣裳も敢えて抽象的、ジェンダーレスにしたいなと思っているので、森さんがどういう風にこの作品をステージングしていくのか、とても楽しみにしています。百本ノックの演出家さんだとうかがっていて、それを言った人たちは私を脅かそうと思って言ったんでしょうが、いかんせん、シェイクスピア初挑戦ですので、むしろ私にとってはとてもありがたくて。本当に言葉と身体が連動するくらいにノックを受けて立ちたいと思っております。まずは体調を整えて稽古に臨むことを目標に頑張りたいと思います。

ーーキャストの方々についてはいかがですか。

森:すごくないですか、このキャスティング? って、僕自身驚いてしまっているんです。本当に一人ひとり、力のある俳優さんが揃っていて。キャスティングはいつも相当こだわるんですけれど、今回は特に、オール・フィメールということで、個性ある俳優さんばかり選んで。まず、暗殺者グループに三田和代さんがいることが夢のようです。陰謀をめぐらす三田さんを想像するだけでほくそ笑んじゃう。アントニーに松井玲奈さんというのもとてもフレッシュで。ブルータスからすれば少し理解しがたいトリッキーな人物を、松井さんなら怖いくらいに自然体で演じきってくれそうな気がして。キャシアスの松本紀保さんとは前にご一緒したことがあって、あの方のパッションはよく知っておりますので。そりゃあすごいですからね(笑)。ブルータスとキャシアスによる夫婦喧嘩みたいな諍いの場で、果たしてどんな絶叫が飛び交うのか、楽しみで仕方ありません。タイトルロールのシルビア・グラブさんは、以前『メアリ・スチュアート』でご一緒したときはエリザベス女王を演じてもらいましたが、シルビアさんの世界の覇者シリーズみたいになっていて、今回はジュリアス・シーザー役、次はチンギス・ハーン役しかないと僕は思っています(笑)。ブルータスって、シーザーの権力を誰よりも憎んでいるんですが、ひとりの人間としては誰よりも愛しているんですね。この二人の関係ってとても複雑で、最後の最後までブルータスがシーザーの呪縛から逃れられないから、芝居のタイトルが『ジュリアス・シーザー』なのかもしれません。女性ならではの精神の結びつきを見つけられるんじゃないかなって、僕は密かに期待していて。

吉田:共演経験のあるシルビアさんが宿敵シーザーというのはものすごい安心感です。彼女自身はクレバーで優しくて、愛の塊のような人なんですけれど、そんな彼女が、権力の座を前に揺れ動く、実は臆病だったり純粋だったりするシーザーをどう演じるのか、すごく楽しみですし、彼女への私の信頼が、ブルータスとシーザーのそれにリンクして、友情の先にある正義の暗殺という構図が見せられたらいいなと思います。松本さんと松井さんとは初めての共演ですが、数々の大舞台を経験されてきたお二方ですので、この作品を盤石にする絶対的存在だろうなと思っています。松本さんとはぜひ堅い友情を育み、松井さんとはブルータスとアントニーとして陰影の濃いコントラストを一緒に作れたらいいなと思います。他の共演者の皆様もバラエティに富んだ方々で、それぞれの個性を存分に活かした、明確なキャラクター作りが見られたらいいなと思っています。個人的には、映画『ソロモンの偽証』でそのお芝居に度肝を抜かれた藤野涼子さんとの夫婦芝居がとても楽しみです。

吉田羊

吉田羊

森:藤野さんはブルータスの妻ポーシャのほかに、シーザーの養子で後にローマの初代皇帝になるオクテイヴィアスの役も演じてもらいます。新世代と呼ばれるにふさわしい、力強くもさわやかな風を吹き込んでもらいたいですね。

ーー今回カットされたのはどんな部分ですか。

森:大きくカットしたのは最後の戦場のシーンですね。『ジュリアス・シーザー』って終盤にかなり長く戦場の描写があるんですが、そこはほぼほぼ全カットしています。言葉の刃で十分やり合っているので、チャンバラ的なところは今回の舞台にはあまり必要ないというのが僕の考えです。

ーー初めてのシェイクスピア作品の言葉の魅力についてはいかがですか。

吉田:時代劇なのでどうしても言い回しは硬いですし、言い慣れない言葉も多いですが、実際に耳に馴染んでみると、意外と、こういう言い回しじゃないと気持ち悪くなってくるところもあって。見た目との調和という意味でも、むしろ昔言葉の方が、今回の作品のテーマが見えやすくなるのではないかなと思います。セリフを覚えるにあたり、何度も台本を読みますが、最初は言いにくい、耳慣れない言葉で、全然入ってこないんですよね。でも、読み進めていくと、やっぱり、シェイクスピアの紡いだ言葉が血肉となって、私を少しずつブルータスにしていってくれるという感覚があって。これはやっぱり現代劇では感じられない、初めての経験でした。

ーー今回、森さんがチョイスされたのは福田恆存さんの訳です。

森:いろいろ読み比べてみて、史劇ということもありますが、福田さんの訳の文体が僕には一番しっくりきたんです。『ジュリアス・シーザー』って確か、散文と韻文で言ったら韻文が95%っていう、まあまあ特殊な戯曲なんですよ。つまり、割と凝った言い回しというか、格調高いセリフのオンパレードなんです。それを劇作家でもあった福田さんは、ものの見事に日本語として表現し直している。例えばアントニーのセリフに、「兄弟(けいてい)、牆(かき)にせめぎ、骨肉、相食むすさまじい内乱の嵐が」とあるんですが、今、ほとんどの人がこれを聞いても意味がわからないと思うんですよ(笑)。でも、意味がわからなくても、セリフの持っている強弱のリズムが場に高揚感をもたらしますし、この言葉を操れる人の知性や品格がおのずと伝わるようになっていて。

吉田:不思議なもので、覚え始めは、その難しい言葉が一切覚えられなかったのに、いざ覚えてみると、難しい箇所の方が楽に出てくるんですよね。不思議と、韻文のリズム、音楽みたいなものになってくる。むしろ、その音楽が身についてしまえば、その旋律じゃないと気持ち悪くなるところはあります。

森:俳優にとってはすごく助けになるはずなんですよ。福田さんが俳優の呼吸までちゃんと計算して訳されているので、セリフを言っているうちに自然と内側からエネルギーが湧き上がってくるように書かれているんです。

吉田:最初は接続詞に違和感があったんです。なぜここで「なぜなら」なのか、でも言い慣れていくと、だからこれなのかと。その接続詞さえ出れば、その後にやってくる言葉も自然とついてくる。覚えるコツをだいぶつかんできました。

ーー今回、新しくなったPARCO劇場での公演となります。

吉田:10年前に『国民の映画』の初演で初めて立たせていただいたとき、「これが夢にまで見たPARCO劇場の景色か」と感動したことを、昨日のことのように思い出します。公演中には東日本大震災がありましたが、こうした有事にこそエンターテインメントの灯を消してはならないという三谷(幸喜)さんの熱い思いで、次の日の昼公演から幕を開けて。余震で揺れる中、照明が天井でキー、キーと音を立てるのを聞きながらやっていた。作品のテーマがまさに、戦時下のエンターテインメントの在り方について問うものだったので、今だからこそやらなきゃいけない作品だよねと、みんなで一致団結した記憶があります。『国民の映画』の再演から今年で7年ですが、私を取り巻く環境も変わりましたし、劇場も新しくなって、「ただいま」というよりも「もう一度、はじめまして」という感じですね。今でもPARCO劇場への憧れは変わらず私の中にあって。その憧れを情熱に変えて頑張りたいと思います。どうしても、選ばれた人しか立てない劇場だというイメージが、小劇場に出ていた時代からずっとあって。PARCO劇場と本多劇場とシアターコクーン、この3つは、小劇場俳優にとっては夢の舞台でした。

森:とてもよくわかります。羊さんと僕って世代が一緒なんですよ。昔のPARCO劇場もこじんまりしていて僕は大好きで、客席の勾配もあって全体を俯瞰して観られるし、いい劇場だなと。でも、僕は長いこと呼ばれなかったので、本当に渋谷には縁がないなと思って悶々と暮らしていたんですが(笑)。シアターコクーンも一回だけしか経験ありませんし。やっと去年『佐渡島他吉の生涯』でパルコさんから呼ばれたと思ったらそれもコロナで中止になって、つくづく渋谷には嫌われているなと(笑)。今度こそ、PARCO劇場でちゃんとやりたいですね。

吉田:成功させましょう!

(左から)吉田羊、森新太郎

(左から)吉田羊、森新太郎

 

■吉田羊

ヘアメイク:paku☆chan(Three PEACE)
スタイリスト:井阪恵

衣装クレジット:
シャツ 27,500円(アンドエルシー/クレヨン TEL 03-3709-1811)、ピアス 134,200円(カスカ/カスカ 表参道本店TEL 03-5778-9168)、ネックレス 44,000円(リューク/リューク info@rieuk.com)

取材・文=藤本真由(舞台評論家)  撮影=池上夢貢