戦後日本を象徴する伝説的なキャバレー「ハリウッド」の創業者で知られる福富太郎。「キャバレー王」の異名をとった彼のもうひとつの顔が、絵画のコレクターである。11月20日(土)より2022年1月16日(日)まで、大阪・あべのハルカス美術館でひらかれる『コレクター福富太郎の眼』では、そんな昭和の名実業家が収集した作品を約80点展示する。そして、生前の福富と交流があったのが、テレビプロデューサーとして数々のヒット番組を手がけ、情報番組などでは舌鋒鋭いコメンテーターとしても知られるテリー伊藤だ。今回はテリーに福富のエピソードやコレクションのことだけではなく、それにちなんだ芸能界の裏話についても訊いた。

●「福富太郎さんはまるでウォルト・ディズニーのようだった」

――テリー伊藤さんは、生前の福富太郎さんと親交があって今回、オピニオンをつとめることになったとか。

福富太郎さんとはもともと、そこまで親交が深かったわけではなかったんです。テレビで豪快に人生相談をしている福富太郎さんとは全然違い、すごく繊細な雰囲気だったんです。だけど打ち解けた理由がふたつあって、ひとつは僕が大学卒業時、仲間とハリウッドへ遊びに行ったことを伝えたら「おお、そうなのか。どうだった?」と喜んでくださって。

――もうひとつは?

新橋のキャバレー、処女林(しょじょりん)の話題で盛り上がったことですね。福富さんに「子どもの頃、処女林に刺激を受けていたんですよね」と尋ねたら、「そうなんだよ」と。「新橋の駅前で処女林を見て「いつか行ってやろう」と思っていたんだ」とおっしゃっていました。福富さんがキャバレー王になるきっかけが、あの店にあったそうなんです。

――処女林が共通の話題になったわけですね。

処女林の話をきっかけに「ハリウッドというマンモスキャバレーをどうやって作っていったんですか」と、いろいろ聞いていきました。当時は家賃もすごく高かったはずなのに、ビルをぶち抜いて作った。当時のハリウッドというキャバレーはまさに夢の世界。まるでアメリカのラスベガスのような華やかさがあったんです。そういう夢を見せてくれた人というのは、当時は福富太郎さんと力道山ですね。おふたりとも僕のなかではウォルト・ディズニーみたいなイメージ。ディズニーは多くの人に楽しんでもらうために、遊園地だけではなく映画まで作ったじゃないですか。アメリカらしいやり方ですけど、日本は当時、音楽とダンスと女性がエンタテインメントの象徴でした。みんなあの場所に憧れていた。労働者は「いつかはハリウッドへ」が合言葉だった。下町の太陽でしたね。

●「福富さん、力道山、森繁久彌さんは頑張れば楽しいことがあるというものを具現化した」

『コレクター福富太郎の眼』

『コレクター福富太郎の眼』

――福富さんはビジネスマンとしても非常に優秀だったと言われています。

現在では時代の寵児はIT系。Amazon、ZOZOTOWN、あとホリエモンとか。みんな、時代が変化するなかで「世の中は今、何を望んでいるのか」をキャッチする能力に長けている。福富さんもまさにそうだったと思います。トレンドを見て「今の日本の生活水準ならこういうものが良いんじゃないか」と、どんどん提案を出していった。結局実現できなかったけど、ゴルフ場やヨットハーバーを作ろうしていらっしゃった。俳優の森繁久彌​さんはどちらも作られましたよね。福富さん、力道山、森繁さん、あと堤義明さん(西武鉄道グループ)などは、日本人の多くがまだまだ豊かじゃない時代に「頑張って働けばこんなに楽しいことがあるんだよ」というものを具現化していたんですよね。

――時代を見極める力があった、と。

福富さんの場合、自分が好きだったものの軸が乱れなかった。今ならネットで商品の評価も書いてあって、いろいろ調べたうえで買いますよね。でも福富さんは「自分が好きなもの」を軸に、あくまで自分の力で全部判断していった。集めていた絵画も周りから何か言われて買ったりするのではなかった。だから、こんなことを言うのはアレだけど、大した作品じゃないものもいっぱい持っていたんじゃないかな(笑)。

――ハハハ(笑)。

コレクターとして手本になるかと言われたら、ならないはずなんです。ただ、集めている作品の軸がぶれていない。その特徴のひとつが、笑顔を見せている人物の作品がほとんどないこと。切ないものばかり。鏑木清方の「妖魚」なんて、川から出てきて男を引っ張りこもうとしているみたいじゃないですか。近づくと長い髪の毛に巻き込まれて連れ込まれるイメージがする。「この屏風をよく買ったな」と驚きました。しかし、これを見ていると、妖魚の背景には彼女の生い立ちを感じることができる。「なぜ池から出てきて男をさらおうとしたのか、そこには辛さや復讐があったんじゃないか」と。福富さんはキャバレーで多くの女性と接していますし、そこにはワケありな人もたくさんいた。お店の女性たちにシンパシーを持っていて、だからそういう作品が好きになっていった気がします。「この作品は自分が持っていなきゃダメだ、守っていこう」と。

●デヴィ夫人、マツコデラックス、横山やすし…厄介な人ほどトップスターになれる世界

『コレクター福富太郎の眼』

『コレクター福富太郎の眼』

――福富さんはそうやって作品を見極めていましたが、テリーさんも芸能界のなかでいろんな才能を発掘してきましたよね。「この人はすごい」と思える材料はなんですか。

家の隣に引っ越してきてほしくない人ですね。だってデヴィ夫人とか、隣にいて欲しくないじゃないですか。

――そうなんですか(笑)。

デヴィ夫人が隣に住んでいたらきっと厄介ですよ。あと、マツコデラックスも厄介だと思います。でもテレビはそういう厄介な人が受ける世界。極端な話ですけど、テレビは犯罪を描いたり映し出すこともできます。そんな場所なんだから、早朝に生ゴミを出してきっちりした生活を送っている人からは、なかなかスターは現れない。これは昔から言っていることなんだけど、畳の上で死ねない人が芸能界には向いている。エガちゃん(江頭2:50)とかね。だって横山やすしなんて、もう、大変だったんだから! 一緒に10年以上も仕事をしたけど、言うことなんて一切聞かなかった。だけどそれが良かったんです。今は「隣にいそう」という等身大のタレントがヒットしているけど、トップスターにはなれないんじゃないかな。

――そういう人たちとおもしろがって仕事をしているテリーさんも、なかなか厄介な人な気がしますよ!

それがね、僕は逆なんですよ。家に帰ると借りてきた猫のように大人しい。ちゃんと早朝に生ゴミを出す人間なんです。何かあればご近所へ挨拶にもきっちり行ってね。雪が降れば最初に雪かきをしますから。

――すごくちゃんとしていますね。

というか、プライベートでちゃんとしていないと、テレビで変なことができないんだよね。お笑い芸人には大人しい人が多いけど、あれは普段からポテンシャルを溜めているんでしょうね。

――我々はテレビのなかでテリーさんが辛口なことをいったり、大暴れしたりする姿を観ていますけど、普段から溜め込んでいたものが爆発しているんですね。

そうなんですよ。僕もプロレスラーなので(笑)。あれはあくまで、リングの上の自分の姿ですから。

●「お別れ会では、みのもんたさんの言葉が良かった」

『コレクター福富太郎の眼』

『コレクター福富太郎の眼』

――福富さんは2018年5月29日(火)に亡くなり、同年12月30日(日)に店舗がすべて閉店となりました。

閉店の日は「この時間が止まれば良いのに」と何度も思いました。どんな時代でも哀愁を抱えた女性たちはたくさんいる。現在だって、華やかなアイドルグループにも哀しみを背負った人はきっといる。そういう女性たちの居場所のひとつがなくなったことは、すごく切ない。これが時代の流れなのでしょうけど。

――テリーさんは、福富さんのお別れ会で司会もつとめられたんですよね。

大変光栄でした。そういえば、みのもんたさんがお別れ会に来られていたんです。あの会には芸能人はあまりいなかったんです。みのさんは、お世話になった人の最後をちゃんと見送った。そして「良い時代をありがとう」とおっしゃっていました。良い言葉でしたね。

――テリーさんは今回の展覧会『コレクター福富太郎の眼』の見どころはどこだと感じますか。

福富さんは戦後の貧しさを強烈に知っている。何度も転職して、夜も寝ず、トイレ掃除の仕事などもしながら自分を伸ばしていった。そして日本一のキャバレー王になった。いずれは上場もしたかったと聞きます。そういう現実と、一方で絵画という別世界でも生きていた。そうすることで自分自身のバランスをとっていた気がします。今回の展覧会では、福富さんが抱いていた大きな夢や人生を感じることができるのではないでしょうか。

取材・文=田辺ユウキ 撮影=田浦ボン