“国境を越えることができるプロダクション”をポリシーに、2014年より東京から三重県津市美里町へ拠点を移し国内外で活動を続けている〈第七劇場〉。主宰で演出家の鳴海康平は、主に既成戯曲を用いて作品を創造。ストーリーや言語だけに頼らず、舞台美術や俳優の身体などが多層的に作用する「風景」によってドラマを構成している。

これまで国内外の多様な古典戯曲を取り上げてきた中、2007年の『かもめ』に始まり、2013年に『三人姉妹』、2019年には『ワーニャ伯父さん』と、ロシアの文豪アントン・チェーホフの四大戯曲も次々と上演。とりわけ数多く再演し、昨年2020年秋にも「三重県文化会館」で上演した『かもめ』は、今や〈第七劇場〉の代表作といえる作品となった。

そしていよいよこの秋〜冬にかけて、四大戯曲の最後の一作、『桜の園』を上演。10月9日(土)・10日(日)の「三重県文化会館」を皮切りに、その翌週には金沢、12月には宮崎でも公演が予定されている。今からおよそ120年前、44歳で他界したチェーホフ最晩年の作品で、その病床でも推敲が続けられたという本作。今なお世界中で愛され上演され続けているこの名作戯曲に〈第七劇場〉はどのように挑むのか、鳴海康平に話を聞いた。

〈第七劇場〉主宰で、『桜の園』の構成・演出・美術・訳を手掛ける鳴海康平  ©松原豊

〈第七劇場〉主宰で、『桜の園』の構成・演出・美術・訳を手掛ける鳴海康平  ©松原豊

【桜の園】
1904年にモスクワ芸術座で初演されたチェーホフ最後の戯曲。かつての裕福なころの浪費癖が抜けない女地主ラネーフスカヤが、久しぶりに自分の土地に帰ってくる。しかし、その土地の桜の園は借金返済のために売りに出される。農民あがりの商人がこの状況を切り抜けるための助言をするも、ラネーフスカヤたちは聞こうとはしない。桜の園の売却が決まり、ラネーフスカヤたちは屋敷を後にする中、桜を切り倒す音が響く。

── 今回の『桜の園』で四大戯曲を全て上演されることになりますが、2007年に『かもめ』を初演された当初から、全作上演するご予定だったのでしょうか?

そういうつもりじゃなかったですね。2007年に『かもめ』を初めて創って、〈第七劇場〉ではその『かもめ』が一番再演回数が多くて、海外も含めて公演地も一番多い作品なんですけど、再演を続けていく中でチェーホフの戯曲の緻密さだったり、洞察眼の鋭さだったりというものに興味を覚えて、他の3つの作品もいつか製作したいと思うようになりました。それで、2013年に『三人姉妹』をフランス人と一緒に創り、2019年に『ワーニャ伯父さん』を創り、『桜の園』もいつかやりたいなと思っていたんです。それで、今の状況の中であらためて戯曲を読み直してみて、これは今製作するとアクチュアルだな、と思い今年上演することにしました。

── 『桜の園』自体は、舞台化されるのは全く初めてということですよね。

はい、そうです。新作です。

── 今作での演出に於いてのプランや、工夫されていることなどを教えてください。

新作なので苦労しながら創っています。『桜の園』は、一番下の年代でいうと娘役のアーニャが17歳、一番上は老僕のフィールスで87歳という設定です。実はその間の年代も、つまり20代、(恐らく)30代、40代、50代もいて、とても広い年代設定がされている作品なんです。それぞれの価値観がみんな違って、それぞれにとっての「過去・現在・未来」というのも違う。その違いが、非常に細かくさりげない形で描かれているのが『桜の園』の特徴だと思っています。

昨年からの感染症の状況もあって、いろんな軸で分断が起きたり、一面的な正義による暴力であったり、弱者が虐げられたり見捨てられることが明るみに出やすくなっている状況だと感じます。『桜の園』に出てくる人物はみんな価値観は違うんですが、どうにか一緒に生きてる、という感じがあるんですよね。これはチェーホフの四大戯曲全てにおいても言えるんですが、チェーホフの戯曲には極悪人が出てこない。みんなどこかおかしいけど完全に悪人っていうのは一人もいないですよね。それは、チェーホフが人間というものを愛していた証左だと思っています。

だから『桜の園』に出てくる人達も、どこかおかしいし、人の話は聞かないし、自分勝手です。私たちとさほど変わらない人物たちばかり。どこか欠けていて、自分本位で。チェーホフが人間を見ていた目線というか、まぁダメだけど可愛らしいし、ダメな人生も肯定してあげたい、っていうチェーホフの願いや愛情のようなものが、『桜の園』には他の作品と比べてとても感じられるように描かれていると思うんです。

桜の園を売る、売らないということに関して決定権を持っている(女地主の)ラネーフスカヤは、最後まで自分で決定しないんです。その結果、人手に渡ってしまう。表面的には優柔不断さや覚悟が決められないという弱さがあるんですが、「桜の園」はラネーフスカヤの若さの象徴や、過去の栄光を象徴している。それに対して決別出来るか出来ないか、という置き換えでもあるんです。その、ラネーフスカヤが決別したくても出来なかったものが、若いアーニャや年老いたフィールスには違う景色に見えているのも面白いです。若年、中年、そして老年にとって、同じ景色が違う印象を持たれている。それを私たちの『桜の園』では空間化したいと考えています。

── 景色の見え方の違いを空間化する、というのは、具体的にはどのような演出になるのでしょう?

基本的にはストレートプレイなんですが、瞬間的に抽象化されたシーンが差し挟まれることによって、ストレートな空間と抽象化された空間が観客の中でお互いに対象化されることで表現しようとしています。比較しながら体験することによって、ストレートなシーンの印象が変わっていく。さっきの続きとして観ているのに、抽象化されたシーンを経ることで、今まで見ていたシーンが違う景色に見えてしまう。つまり、桜の園が3世代にとって違う景色に見えたように、抽象的されたシーンの体験が、それまで観ていた景色に違う印象を生む、という演出方法で製作しています。

── 稽古を進めていく中で、苦労されている点や大変だな、と思う点はどんなところでしょうか。

第一に、それぞれにとっての「桜の園」が違うことを表現するのが難しいです。チラシのあらすじにもある通り、一方ではラネーフスカヤ(女地主)やガーエフ(ラネーフスカヤの兄)という存在は、農奴解放以降も価値観や人間性が変わらないまま進んできてしまって、ある意味で取り残されて、時代の変化についていけない人物として捉えられると思うんですね。ただ、製作しながらラネーフスカヤや娘のアーニャが、情緒の変化を直視しているようにも思えてきました。

つまり、好きなものが好きじゃなくなるとか、逆に嫌いになってしまうとか、嫌いなものが好きに変わるとか、社会のシステムではなくて、自分の情緒とか自分が向き合っている対象との関係が変化するって、結構大変なことだと思うんです。それにちゃんと向き合っているのは、意外にもラネーフスカヤとアーニャの二人なんじゃないかな、と。これは俳優たちとディスカッションしながら製作している中で新たに見えてきた局面です。変われない価値観と、情緒の変化に向き合う態度。それらをどう表現するかが目下苦労している点です。

第七劇場『かもめ』 2020年「三重県文化会館」公演より  ©松原豊

第七劇場『かもめ』 2020年「三重県文化会館」公演より  ©松原豊

── キャストの方々も、役の設定年齢どおりではないにしても幅広い年代の方がいらっしゃると思いますが、今仰ったディスカッションなどを行う中で、鳴海さんとは違う世代の方から受けるインスピレーションだったり、発見などもあったりしたのでしょうか?

そうですね。今のクリエイションチームでは20代前半の俳優が一番若くて、50代の俳優が一番上なんですけど、その20代〜50代という幅の中でさえやっぱり、ギャップがあります。もちろんクリエイションに関わるアーティストなので、そのギャップを面白がりながら創るのは当然ですが、現場でテキストの解釈で議論になったときに、世代によって解釈が異なるのも面白いですね。例えば2幕で、アーニャが遠くで響いた音を聞いた後に泣きます。上演作品によって解釈が分かれるポイントですが、アーニャ以外の人物はウインチ(巻揚機)が切れた音とか、鳥の鳴く声とか、不幸の前触れとか言うわけです。ワーリャ(ラネーフスカヤの養女。24歳)は特に何も言わないんですが、アーニャに至っては何も言わない上に涙ぐむ、っていう反応を示す。それは一体何故なのか? をディスカッションしたときも世代間の違いが面白かったです。

── この『桜の園』は、44歳で亡くなったチェーホフの最晩年の作品で、奇しくも鳴海さんも近い年代でいらっしゃいますが、共感される部分も多かったりしますか?

そうなんですよ。私も今年で42になるので近いんです。チェーホフはもうすぐ死んじゃうんですよね(笑)。2019年に『ワーニャ伯父さん』を創った時も、ワーニャが47歳で、私が40歳。人生の残りが見えてくる頃、という実感があって、もう出来ないであろうこと、まだ出来るかもしれないことの選択について考えていました。つまり、選択肢が消えていくっていうことですよね。その辺が現実になってくる世代だと思うんです。チェーホフに至っては、命の終わりがもう目の前に来ているという状況での執筆であり初演だったので、それを考えると、『桜の園』で描かれている、最終的に人生を肯定しよう、というチェーホフの気持ちが他の作品より色濃く出ているように感じられます。それはやっぱり、歳を経たからこその実感だろうと。どんな人生であっても、それを肯定してあげたい。どうしようもなかったとしても、「それは君の人生であり、君しか愛してあげられないんだ」っていう目線というのは、やっぱり私も40を超えたからこそ感じられるようになりました。

── 例えば20代ぐらいの頃に演出されるよりも、今の年齢でこの作品を演出することになって良かった、という思いも?

そうですね。もっと若いころに演出していたら、たぶんもっと構造的にコンテンポラリーなものにチャレンジしたがっていたかもしれません。でも今はチェーホフの温かい目線をどうやって空間化するか。もちろん現代的な演出ではありますが、大切な示唆として、個々それぞれの人生や価値観をいかに愛すべき対象として現代的に描くか、という根幹は、若い頃では捉えきれなかったかもしれないなと思います。

── 前回、『かもめ』の公演の際にお話を伺った時に、〈第七劇場〉としてのオリジナリティーを追求していく中で、白を基調とした美術にたどり着いたというお話を伺いましたが、今回もやはり白が基調の舞台美術になるのでしょうか。

そうですね、また白ですね(笑)。今回は光も美術として使っています。原作でも「桜の園」自体が空間的に出てくることはないんです。今回の私たちの『桜の園』でも、「桜の園」という象徴を出すか出さないかは悩みましたが、今回は光で桜の園のイメージや、屋敷の部屋の壁などの別の要素を複合的に見立てています。

── 今回も公演前に、「三重県文化会館」の関連企画として、【「桜の園」を読んでみよう!】を行われていますが、こちらはどんな感じでしたか?

この状況下だったので、どれぐらい参加者が来てくださるかわからなかったですけど、13名いらっしゃってくださって、みなさんで何ページごとかに区切って輪読しながら、随時解説を入れて、上演台本をみんなで読んでいく、という企画でした。私が解説をしゃべりすぎたせいで3幕までしか終わらなくて…。4幕はご自分で、っていう形になってしまって申し訳ないかぎりでした。

── 公演をご覧になる方は、こうした企画に参加することで作品への理解度がより深まるでしょうね。

そうですね。特に私は作家ではない専業演出家なので、世界で翻訳されている上演機会が多い作品を取り上げることが多いです。なので、解釈や演出の方法によって、例えば100年以上前の戯曲をどうやって現代にアジャストしていくのかが課題の一つなんです。その戯曲という一次資料を私たちがチームで読み解きながら創っていきます。このテキストとの関係は、ある意味ごくストレートにやった時の観客とテキストとの関係に近いとも言えます。じゃあ私たちの解釈で空間化した作品を観客に提出するというのは一体どういうことなんだろう? ということの本質が、この歳になってようやく分かるというか、考えられるようになりました。

こういうことは、実は若い頃はあんまり考えなかったんですけど、この数年になって考えるようになりました。私たちがこのチームで、このテキストを空間化するにあたって、何よりも現代の社会に対してアンサーになるようなものに、きちんとスタイリングすることが私たちの仕事の一つなんだろうと。100年前、400年前、ギリシア悲劇なら約2,500年前などに書かれたテキストが今でも上演されているということは、いつの時代の人間や社会にも響く何かが隠されているんです。それは時代によって、響く場所が変わってくるかもしれないし、クリエイションチームによっても変わってくるでしょう。だから今、私たちがチェーホフの『桜の園』に見いだせる現代対するアンサーを作品化するのが私の仕事のやり方なんだろうな、と今は思いながら取り組んでいます。

── 今回でチェーホフの四大戯曲については終了となりますが、この先、取り組んでみたい作品などはありますか?

四大戯曲を全て創ったんですが、フランス人と一緒に創った『三人姉妹』を日本人でリクリエイトしないといけないな、と思っています。近い将来やります。あと、来年はギリシア悲劇の『メデイア』を製作する予定です。ギリシア悲劇は昔、『トロイアの女』と『オイディプス』を製作しましたが、もう一つレパートリーとして何か創りたいなぁと。『メデイア』という作品は、フェミニズムの文脈で語られる作品でもあって、ジェンダーや家族、男性的社会の問題に…まぁ男の私がどうやって語るのかっていう問題ももちろんあるんですけど…『メデイア』を題材にして取り組みたいと思っています。

第七劇場『桜の園』チラシ表

第七劇場『桜の園』チラシ表