ザ・ブロードウェイ・ストーリー The Broadway Story
番外編 『蜘蛛女のキス』再演記念 チタ・リヴェラ・スペシャル

文=中島薫(音楽評論家) text by Kaoru Nakajima

 

 2021年9月26日に、コロナ禍を経て2年振りに開催された第74回トニー賞授賞式。ミュージカル作品賞のプレゼンターとして登場し、盛大なスタンディング・オベーションを浴びたのがチタ・リヴェラだ。パワフルなソング&ダンスで観客を魅了してきた彼女。その充実したキャリアを代表する『蜘蛛女のキス』の翻訳上演が、11月26日に開幕する。これを記念し、ブロードウェイが誇る名パフォーマーの大特集を、御本人のインタビューを交えつつお送りしよう。

■ダンシング・イズ・アクティング

 今年は、ウィンター・ガーデン劇場で催された授賞式。チタは作品賞を発表する前のスピーチで、この劇場との縁を語った。奇しくも64年前の9月26日に、同劇場で初日を迎えた作品こそが、彼女が一躍脚光を浴びた『ウエスト・サイド・ストーリー』だったのだ。NYの移民間の軋轢を描くこの傑作で、プエルトリコ系の情熱的な女性アニータを演じたチタは、レナード・バーンスタインの大名曲〈アメリカ〉などを歌い踊り絶賛された。原案・振付・演出はジェローム・ロビンス。彼女はこの天才から、パフォーマーの基本を叩き込まれる。

「ダンスは、セリフのない芝居である事を徹底的に教わったわ。つまり、つま先立ちのように不自然に見えるダンスのステップを、観客に違和感を感じさせないよう踊るには、まずパフォーマーが演技にも秀でていなければならない。バレエ出身の私は戸惑うことが多かったし、ジェロームは聞きしに勝る厳しさだった。でも、演じるキャラクターをダンスで表現する彼の振付を身に付けたくて、全て言われるがままに踊りました。今の若いダンサーのように、『モチベーションは?』なんて訊く必要はなかったのよ(笑)」

『ウエスト・サイド・ストーリー』(1957年)を始め、チタの名唱を集めたベスト盤「チタ・リヴェラ/レジェンズ・オブ・ブロードウェイ」(輸入盤)

『ウエスト・サイド・ストーリー』(1957年)を始め、チタの名唱を集めたベスト盤「チタ・リヴェラ/レジェンズ・オブ・ブロードウェイ」(輸入盤)

 

■華やかなキャリアを彩った才人たち

 チタは、振付師に恵まれたパフォーマーだ。『ウエスト・サイド』に続く『バイ・バイ・バーディー』(1960年)では、コミカルな振付で鳴らしたガワー・チャンピオン。そしてロビンスと並び、多大なる影響を受けたのがボブ・フォッシーとの仕事だった。彼女は、『スウィート・チャリティ』のツアー公演(1967年)や『シカゴ』(初演/1975年)で主演。指先にまで神経を行き届かせた、退廃的かつエロティックなフォッシー・スタイルを完璧に体現した。映画出演は少ないチタだが、『チャリティ』の映画版(1969年)ではヒロインの同僚役で出演。〈ビッグ・スペンダー〉などのナンバーで、驚異的なダンス・テクニックを見せてくれる。

映画「スイート・チャリティ」(1969年)より〈ビッグ・スペンダー〉のシーン(右から2人目がチタ)。監督と振付は、フォッシー自ら手掛けた。

映画「スイート・チャリティ」(1969年)より〈ビッグ・スペンダー〉のシーン(右から2人目がチタ)。監督と振付は、フォッシー自ら手掛けた。

 ソングライターについても同様。バーンスタインや、『バーディー』の作曲家チャールズ・ストラウス(後に『アニー』の作曲)に加え、外せないのがジョン・カンダー(作曲)とフレッド・エブ(作詞)のコンビだ。チタ生涯の十八番となった、〈オール・ザット・ジャズ〉を生んだ『シカゴ』はもちろん、後述の『ザ・リンク』や『蜘蛛女のキス』、『ザ・ヴィジット』で、彼女のバイタリティーが息づくナンバーを書き続けた。

『チタ・リヴェラ/ザ・ダンサーズ・ライフ』(2005年)で、『シカゴ』の名曲〈ナウアデイズ〉を歌う。 Photo by Paul Kolnik

『チタ・リヴェラ/ザ・ダンサーズ・ライフ』(2005年)で、『シカゴ』の名曲〈ナウアデイズ〉を歌う。 Photo by Paul Kolnik

 

■ステージ狭しと歌い踊るライブのド迫力

 私が初めて観たチタのステージが、1985年に博品館劇場で上演された『チタ・リヴェラ・ショー』。当時ブロードウェイの大スターが、日本でショウを行う事自体稀だったが、これがまあ素晴らしかった。前年に、ライザ・ミネリと共演した『ザ・リンク』で初のトニー賞に輝いたチタは、脂の乗り切ったパフォーマンスを披露したのだ。長年鍛え上げたダイナミックな踊り、またダンサーのイメージが強い彼女は歌も抜群で、ディープ・ボイスの豊かな演唱に感嘆。加えて、愛嬌たっぷりのパーソナリティーにも魅せられた。ちなみに、共に来日したダンサーの一人は、後に『ウィキッド』(2003年)などの振付で名を成すウエイン・シレントだった。

初来日となった『チタ・リヴェラ・ショー』(1985年)より。右がウエイン・シレント (主催=博品館劇場/テレビ朝日)

初来日となった『チタ・リヴェラ・ショー』(1985年)より。右がウエイン・シレント (主催=博品館劇場/テレビ朝日)

 近年もブロードウェイでは、『ナイン』(再演/2003年)や、自伝ミュージカル『チタ・リヴェラ/ザ・ダンサーズ・ライフ』(2005年)、『エドウィン・ドルードの謎』(再演/2012年)などに出演。2015年に主演した『ザ・ヴィジット』では、若い頃に自分を捨てた恋人へ復讐を企てる富豪の未亡人を快演する。この作品は冒頭から凄かった。チタが、舞台に登場した瞬間に観客は総立ち。熱狂的な拍手喝采が延々と続き、レジェンドの真価を見せつけたのだ。

『ザ・ヴィジット』(2015年)のオリジナル・キャストCD(輸入盤)

『ザ・ヴィジット』(2015年)のオリジナル・キャストCD(輸入盤)

 一方ジャズ系ライブハウスや、ナイトクラブでのコンサートも活発に行っている。私はNYでも、彼女のショウを数回観る機会に恵まれたが、きびきびと無駄のない闊達な動きは全く衰えを知らず、更に円熟味を増した歌唱も絶品。特に〈モア・ザン・ユー・ノウ〉など古いスタンダードのバラードは、筆舌尽くし難い味わいだった。その卓越したボーカルは、2009年にリリースされたソロ・アルバム「アンド・ナウ・アイ・スウィング」で堪能できる。

チタ・ファン必携のCD「アンド・ナウ・アイ・スウィング」(輸入盤)

チタ・ファン必携のCD「アンド・ナウ・アイ・スウィング」(輸入盤)

 

■気概を持って稀有なテーマに挑む

 そしてチタを語る上で最も重要な作品が、今回翻訳上演される『蜘蛛女のキス』。南米の牢獄を舞台に、映画を愛す同性愛者モリーナと政治犯バレンティンが、反目しながらも心を通わせる物語だ。チタは、モリーナの空想に登場する蜘蛛女/女優オーロラを演じ、2度目のトニー賞を獲得した。ただ演出がハロルド・プリンス、脚本にテレンス・マクナリー、楽曲はカンダー&エブとベテランが揃ったが、成功までは紆余曲折。チタは回想する。

「最初は、1990年にNY郊外で試験的に上演されたのよ。私も観たけれど、モリーナが空想する映画のシーンと、牢獄での過酷な現実の場面がリンクしていなかった。その後、キャスティングや脚本、楽曲を大幅に改訂する事になって、オファーを受けました。まず私には、蜘蛛女の登場場面が思い浮かんだわ。バルコニー席から、フライングで空中を舞ってから舞台に降り立つ。それをやりたいと言ったら、危ないから止めてくれって(笑)」

『蜘蛛女のキス』ロンドン・キャストCD。タイトル曲を筆頭に、カラフルな佳曲揃いの名盤だ(輸入盤)

『蜘蛛女のキス』ロンドン・キャストCD。タイトル曲を筆頭に、カラフルな佳曲揃いの名盤だ(輸入盤)

 役作りには苦労した。劇中の随所に現れる銀幕の女優オーロラと、彼女が扮する死の象徴・蜘蛛女を、如何に演じるかを見出すまで時間を要したのだ。

「幸いハル(プリンス)が、辛抱強い演出家だったので助かった。私が仕事をした振付師の中には、忍耐力のない方もいらしたからね(笑)。ある時リハーサルで、モリーナ役のブレント・カーヴァーが蜘蛛女に脅える仕草や、憧れのオーロラに成り切って、しなやかに動きを真似する様子を見ていたら、逆に私がインスパイアされて、役柄が自分の物になり始めました」

 『蜘蛛女』は、1992年にカナダのトロントでプレミア上演の後、同年ロンドンのシャフツベリー劇場で開幕。翌93年には、満を持してブロードウェイのブロードハースト劇場でオープンし、続演904回のロングランを記録した。チタは最後にこう結ぶ。

「初演から30年近くを経て、日本で上演されるのは素晴らしい事ね。なぜなら、劇中で描かれる性的マイノリティーに対する偏見は、今も変わっていない。だからこそ私は、リスクを恐れずにシリアスな題材に挑戦した、ハルやカンダー&エブを心から尊敬するのよ」

来年からは、トーク・ショウやコンサートも再開する予定だ。 Photo by Laura Marie Duncan

来年からは、トーク・ショウやコンサートも再開する予定だ。 Photo by Laura Marie Duncan