再始動。昨年(2020年)、コロナ禍によって延期になった近藤芳正のsolo work『ナイフ』が2022年1月、改めて上演されることとなった。だから「ナイフ reoot(再始動)」。稽古を重ねた芝居を発表する場がふいになくなることは相当の衝撃であり、同じような経験を二度と味わいたくないと考えたと近藤は切ない胸の内を明かす。それでも『ナイフ』だけは自身がやりたいと立ち上げから携わっていた企画だから必ずやろうと奮い立った。近藤をそこまで駆り立てた『ナイフ』は重松清の小説で、息子が学校でいじめられている事実を知ったことをきっかけに父親が子供と向き合い変化していく物語。この小説の父親に自分が似ていると思った近藤はたったひとりでこの傑作小説を演じることを思いつく。父も息子も妻も……近藤がひとりで演じ分けた時、小説は思いがけない表情を見せるだろう。再始動を目前にした近藤芳正の心境はーー。

ーー2020年に上演予定だった『ナイフ』が“reboot(再始動)”としていよいよ上演となるにあたって今のお気持ちをお聞かせください。

コロナ禍によって思いがけず公演が延期になって、いろんなご縁から環境が変わりました。住まいを京都に移したり結婚をしたりして、コロナ禍になる前の状況と思いきり違う中で、どんな『ナイフ』になるか……正直、まだわからないですね。未だにほんとうにやれるの? と半信半疑なところもあるくらいで。とりあえず頑張ろうと立て直しを図っているところです。

近藤芳正

近藤芳正

ーー2020年、コロナ禍で休止や延期になった仕事は他にありますか。

舞台だと2本、決まっていた作品がなくなりました。その後、ありがたいことに出演のお話もいくつかいただいたものの、稽古したものがなくなる可能性があることが精神的にきついためコロナ禍が落ち着くまでは舞台はやらないと決めました。ただ『ナイフ』だけはやりたかった。もともと自分が持ちかけた企画でしたから。

ーー近藤さん発の企画だったのですね。

原作の重松清さんの作品が以前から大好きで、以前、重松さんが僕のことを「小説の登場人物のような人がテレビに出ていると思ってました」とおっしゃってくださったことがあって、実は「僕も重松さんの本を読んだら僕が小説の中にいると思っていました」というような会話を経て。是非とも僕が『ナイフ』をやりたいと考えるようになりました。

ーーそれがひとり芝居になったわけはなんだったのでしょうか。

たまたま□字ックの山田佳奈さんに相談したら「ひとりでもできるんじゃないですか」と言ってくれて、「え、僕が息子役も? お母さん役も?」と最初は戸惑ったものの「じゃあ、やってみようかな」と次第にその気になりはじめ、だったら山田さんに脚本、演出をお願いしようと考えました。小説を舞台の脚本にするにあたっては、山田さんに、ここは入れたい、ここは入ってなくてもいい、とかエピソード選びにはけっこううるさかったと思います。山田さんもこんなに何度も直しを受けるとは思ってなかったそうです(笑)が。その分いい脚本ができたと思っております​。

ーーひとり芝居は今までやったことはありますか。

はじめてやったのは水戸芸術館主催の『十二夜』×続・十二夜、近藤芳正ひとり芝居『わたくしは、マルヴォーリオはー』(15年)で、『十二夜』のあとにその登場人物のひとり・マルヴォーリオを主人公にしたひとり芝居に出ました。思いがけず楽しくてひとり芝居もありだなと思い、それが『ナイフ』に至るきっかけになりました。その後、コロナ禍で『ナイフ』が延期になった時は、本多劇場で20分くらいの短い一人芝居『DISTANCE』を無観客配信でやっています。

近藤芳正

近藤芳正

ーーひとり芝居の何が魅力でしょう。

自分の間でやれることですね。失敗しても全部自分で責任をとることができますし。もともと演劇をはじめたのは、ひとりが好きで、他者とのコミュニケーションが苦手な僕が演劇を通してならなんとかできると思ったからですが、いざひとり芝居をやってみると、ひとりって——いいものだなと感じるんですよ(笑)。ただ厳密にはひとりではありません。演出家や技術スタッフの眼差しや息遣いを感じながらやっています。

ーー主人公、妻、息子の3人をどう演じ分けますか。

3役をひとりで演じ分けるために身体を存分に使おうと、山田佳奈さんの推薦でフィジカルコーチとして大石めぐみさんをお呼びすることにしました。大石さんの行っているワークショップに何回か参加したら、ちょっとした仕草で演じ分けることができるようになったんです。例えば女性は細かい仕草をするとか男性は堂々としているとか、子供は情緒不安定なところがあって常に前かがみになったり座る時も無造作だったりするとか。そういうことをワークショップでやってみることで、これは絶対に面白いものになるだろうと確信を持つことができました。

ーー久しぶりに思いきり稽古場や舞台で動けるぞ! というような喜びはないですか。

以前の僕にはそういう前のめりなところがありました。そもそも僕が情熱的に「『ナイフ』をやりたい」と何度も言ったから水戸芸術館ACM劇場はそれに乗ってくれたし、さらに穂の国とよはし芸術劇場プラットも続いてくれたという感じですから。でも今は……心はフラット。むしろ冷静でいることがいい方向に作用するんじゃないかという気がしているんです。ただ、舞台を良いものにするために日々、軽く運動はしています。おかげで前より体が動く気がしますよ。

ーーどんなトレーニングをしていますか。

いろいろやっています。例えば、四股を毎日30〜50回くらい踏んでいます。つま先立ちなんかもやっていますよ。下半身が安定してないと自意識が上にいって呼吸が浅くなります。呼吸を下に下ろすためには下半身の筋力をつける必要があります。呼吸は大事で、とりわけ僕のような人前に出る仕事にも大事ですから、常に心身を安定させるように気をつけています。コロナ禍中は1日3分くらい瞑想プログラムをやったりして。それから、ちょうど京都に移住したこともあってお坊さんの修行も考えたくらいなんですよ(笑)。生活が変わったことで感情面にも変化があり、前よりも愛情や友情を育もうとすることで、前よりも関係性の芝居をする上で感情が豊かになっている気がするんです。役者として大事なことは技術よりも“心”ですから、この2年間の経験は確実に実になってなっているはずです。

近藤芳正

近藤芳正

ーーやはり、コロナ禍は心にも様々な影響がありましたか。

皆さんそうですよね。コロナの影響は大きかったですね。いい点といえば、思うようにならないことがいっぱいあることで自意識や欲望が自然と削ぎ落とされていった気がします。これが芝居のどういうふうなところに出てくるか稽古をしながら気づくんじゃないですかね。コロナ前と後で僕にどういう変化があったか冷静に見てくれるのはたぶん、山田さんと大石さん。ふたりがどういうふうに僕を動かすことになるか僕自身も楽しみです。

ーー原作の『ナイフ』に心引かれた理由を教えてください。

そんなふうに見えないかもしれませんが僕はメンタルがすごく弱いんです。でもそれを認めたくなくて、強がってしまうところがあって……。『ナイフ』の主人公も弱者にも関わらず強がっていて、そこに心引かれました。人間とは愚かなもので、客観的に見ればもっといい解決策があるように思うことでも、それに気づかずにあがきますよね。『ナイフ』ではそのあがき方——登場人物3人があがいているんですけど、ひとり芝居は決して楽なものじゃないし、3つの役を瞬時に演じ分けるに当たって、体が機敏に動くわけでもない俳優があがきながら挑んでいる。その姿を見てくれる人が生きるヒントや勇気を感じてくだされば。1日でも一瞬でもいいからふっと楽になっていただける瞬間があったら僕はこれほどの幸せはないですね。

ーー『ナイフ』は主人公がナイフを潜ませることで心の支えにしていますが、近藤さんが心の支えにしているものはありますか。

気が弱いものですから(笑)。ルーティーンというか……おまじないみたいなことはよくやります。僕に限らず自分なりのルーティーンをもっている俳優は多いですよ。

ーーコロナ禍で『12人の優しい日本人』の朗読劇を配信上演されて話題になりました。配信と実際に劇場でやる演劇との違いをどう感じていますか。

Zoomでやった『12人の優しい日本人を読む会』(『12人の優しい日本人』の台本の読み合わせ)や、本多劇場で一人芝居を無観客配信でやったんです。それぞれ楽しかったのですが、その一方で寂しさも感じて、違うな……と思ったんですよ。何かしっくり来なくて、配信は別物だと思いました。自己満足かもしれないけれど、生身のお客さんと接していることがおもしろさで、配信は配信でいいところもありますが、何か足りないお祭りをやっているような気がして。だから100人……いや、50人、30人でもいいからお客さんが目の前にいることが舞台を成立させる大事なことなのだと痛感しましたね。今はまだ半信半疑と言いながらも、水戸や豊橋、山口、兵庫、そして東京芸術劇場……それぞれの街と劇場でお客様に久しぶりに会えることは楽しみです。必死にあがいている僕を見に来てください。

近藤芳正

近藤芳正

取材・文=木俣冬  撮影=鈴木久美子