2021年12月9日(木)、東京のオペラシティ リサイタルホールで開催されたヴァイオリニスト服部百音とピアニストの亀井聖矢によるクリスマスコンサート。客席には児童や中学生の聴衆も少なからずいたが、皆、クリスマスコンサートというほのぼのしたイメージをはるかに超越した二人の若き演奏者が繰り広げる異次元の音の世界に時の経つのも忘れ、吸い込まれているようだった。トークやアンコール演奏を含め約二時間半。会場はつねに熱気と迫力にあふれていた。

12月9日(木)、当夜は服部百音&亀井聖矢によるクリスマスコンサート連続二夜の二回目公演だ。​少しブルーがかった美しいシルバーのドレスで登場した服部。そして、スーツでカッコよく決めた亀井。出だしから、ともに落ち着いた立ち振る舞いで客席に丁寧にお辞儀し、拍手に応える。服部も亀井も20歳前後の年齢で、亀井はまだ大学在学中という若さだが、一般的な同世代の若者たちよりもはるかに大人っぽくもあり、ともすると、むしろ茶目っ気たっぷりのやんちゃなティーンエイジャーの一面も持ち合わせるという、両面的な魅力を兼ね備えているのがこの二人の共通点だ。



開演前に予定されていたプログラムの並び順が大幅に前半と後半で入れ替えられていたのも実に興味深い。この二人の考え合ってのことだから大いに期待すべきところだが、演奏を聴き進めていくうちに大いに納得させられた。これに関しては、後ほど順を追って触れてみたい。

一曲目は当初、後半に予定されていたシマノフスキの「ノクターンとタランテラ」。いきなり冒頭から限りなく近代の響きに近い妖艶な旋律から始まった。ジプシー的でエキゾチックなメロディとシマノフスキ特有の浮遊するような旋律を服部はいとも軽やかに、しかし、その内に潜むデモーニッシュな表情を見事に捉える。亀井のピアノも寄り添うようにピタッとリズムを刻み、この妖艶な世界観にふさわしい完璧な色彩感を与えていた。



少し間をおいてタランテラに突入。まさに毒蜘蛛が地を這うような阿鼻叫喚のスリリングさが二人の音から、リズムから明確に感じられた。服部は持ち前の漲る集中力で圧倒的に息の長いフレージングを突き進む。それはフレージングというよりも、まるで蟻地獄から抜け出せないタランチュラのあがきを即興で描写しているように鮮烈なイメージを与えるものだ。それを支える亀井のコントロールも見事だ。一曲目から阿吽(あうん)の呼吸の凄みを聴かせてくれた二人。超絶技巧攻めと、デュオ演奏を超えた一体感が織り成す凄まじい世界観に客席も冒頭から圧倒されたようだ。

ここで服部がマイクを持って挨拶。あまりの演奏のエキサイトぶりに息があがっていた。今回のクリスマスコンサートを『Storia』と名付けた理由を自ら語る。ストーリアは、イタリア語で “ストーリー” を意味する言葉だ。

「一つ一つの作品が持つ背景やストーリーを演奏を通して描きだしていくわけですが、客席の皆さんお一人おひとりも一年の間に経験した体験やご自身のストーリーを、少しずつその世界の中に重ね合わせて振り返っていただければ嬉しく思っています。一年の笑いや喜び、そして、怒りなどのすべてを今日ここで爆発させてください!」と話し、客席から大いに笑いを誘っていた。


続いては亀井のソロピアノ演奏。ショパンの「スケルツォ第一番 ロ短調」。亀井は演奏前にこう語る。「激しさや、やるせなさ、そして怒りなどが凝縮された序奏と前半部分、その後に続く中間部の心洗われるような、和やかであたたかなクリスマスキャロルの旋律。そのコントラストを楽しんでいただけたらと思います」

若き日、ショパンが感じたロシアによる祖国侵攻への憤りや慟哭、そして、そんな現実に相対するかのようなあたたかい家庭の団らんの光景を思わせるポーランドのクリスマスキャロルの旋律を中間部に持つこの作品の魅力について触れた。


苦悩や陰鬱な想いを感じさせながらも、若々しく情感にあふれる前半部分。そこには、怒りに震える、しかし、青年ショパンの血気あふれる姿を彷彿とさせるようなみずみずしい慟哭や怒りの感情があった。一転、中間部のクリスマスキャロル「眠れ、幼子イエスよ」では、美しい旋律を朴訥に、真摯に歌い上げた。そして、前半部の回帰。冒頭の演奏よりもよりいっそう激しさを増す。そして、そのまま終結部に突入。堰を切ったように一途に突き進むことで、苦悩という感情に隙を与えることなく、内なる感情を昇華させていたように思えた。短調の終止が、より悲壮感をともなって美しい余韻を漂わせていた。

続いて、フランクの「ヴァイオリンソナタ イ長調」。「本当はここら辺でプロコフィエフのソナタあたりを弾きたいところなのですが、そこはクリスマスコンサートらしく、ほのぼのとした作品にしてみました」と服部。続いて、「デュオとしてピアノの比重がとても大きい曲ですし、一回出てきた旋律がまた別の楽章で違うかたちで現れたりという面白さもあります。ほのぼのと言っても、幸せなひと時が感じられるのは一楽章だけですね」と亀井。この大曲について、演奏前にそれぞれの視点から思うところを語っていたのが興味深かった。


一楽章。美しい主題旋律を服部のヴァイオリンが愛おしむように感情の襞を細やかに膨らませながら紡いでゆく。服部のフレージングは、一つひとつの音型から言葉が聞こえてくるようで、まるでピアノとの対話を楽しんでいるようだ。主題旋律に呼応するかのようにピアノだけで語られる第二主題。亀井の言葉もまた服部のそれに共鳴するかのように雄弁だ。



第二楽章。冒頭からピアノの激しいパッセージ。続いてヴァイオリンが同様に応答する。二人の想いはさらに激しさを増し、激高へ。しかし、その思いを断ち切るように、ためらうような静謐な旋律へと回帰するのがいかにもフランクらしい。二人は感情の深淵をえぐり出すかのように深みへと想いを手繰り寄せ、終わりなき息の長い旋律を描きだす。終着点が見えない心の迷いや茫漠感をいやというほど感じさせる息の合った迫真の演奏。ともに同じ方向に突き進む見えざる感情のほとばしりが生みだすエネルギーの振動に圧倒された。


第三楽章。ヴァイオリンが無伴奏でレチタティーヴォ的に歌い紡ぐ箇所が多い。服部は音の陰翳とダイナミクスを厳格にコントロールしつつも、自由に力強く歌い上げた。終楽章。ピアノとヴァイオリンのカノン的な掛け合いが微笑ましい。全体の楽章を今一度、俯瞰するかのようにあらゆる感情の綾がめくるめく旋律によって描かれてゆく。ヴァイオリンとピアノ、それぞれの手によってそれらが豊かに描かれ、一つの大きな弧を描くように収斂されてゆく。振れ幅の大きいダイナミクスと絶妙なテンポの揺れ、そして漲る集中力が繰り出すダイナミックな音の世界は、前半を締めくくるにふさわしい幕切れだった。


後半の第一曲目は亀井のソロによるリスト「ラ・カンパネラ」。前半の印象は、なんともやさしく、たおやかで優美なリスト。しかし、これこそが、この後に始まる嵐の前の静けさなのだろう。期待通り、展開に従って次第に感情を爆発させてゆく亀井。そのコントラストの大きさ、いや豹変ぶりの滑らかさに驚愕させられる。テンペラメントの変化のみならず、オクターブ連打の鋭さと瞬発力に、前半と同じ手によるものなのか、にわかに信じがたいくらいだ。最後は詩的に、ドラマティックに感情を伴って亀井独自の世界観を構築。密度の高い演奏を聴かせてくれた。



続いては、ストラヴィンスキーの「ディヴェルティメント」。この作品は、オーケストラ作品によるバレエ組曲からストラヴィンスキー自らの抜粋とアレンジによってヴァイオリンとピアノ用にまとめられたものだ。そもそも、原曲のバレエ組曲自体もチャイコフスキーのいくつかの歌曲やピアノ作品のメロディをもとに作曲されたもので、“ストラヴィンスキーの語法によるチャイコフスキー的作品” という実に興味深いものだ。

服部いわく「ヴァイオリンとピアノでオーケストラスコアを分担しているような作品で、バレエ作品に登場する妖精の女王や少年などの登場人物の一挙手一投足が精緻に表現描写されている優れた作品。登場人物が実際に舞台の上で踊っているところを想像して頂けたら嬉しいです」とのこと。



「美的感覚にも優れた音楽づくりが特徴的」とも語っていた服部だが、白銀の情景が感じられる悲壮感あふれるおとぎ話的な美の世界観が、冒頭から二人の紡ぐ音によって描きだされる。特に弦のあらゆる巧みな奏法によって、つぶさに登場人物のキャラクターを表現してみせる服部の表情の豊かさが見事だ。チャイコフスキーのロマンティックな要素とストラヴィンスキー丸出しの知的かつ前衛的な要素が “ごった煮” 的に描かれているこの作品を服部はいともバランスよく歌い上げる。まるで舞台の下座音楽のようにヴァイオリンが繰り出す擬態語のような音も聞こえてきて、エンタテイメント的にも楽しめる演奏だった。

亀井も物語性あふれる幻想的な世界にしっかりと入り込み、その背景を巧みに描き出していた。「リストばりの技巧も、スリリングなリズム感も、互いに息を合わせながら、かつ自由自在に奏でられるのは亀井君しかいない!」と事前のインタビューで服部が語っていたのを思い出した。まさに、亀井は、服部のその言葉通りの変幻自在で、密度の高いピアノパートを聴かせてくれた。ソロ演奏者としてヴィルトゥオーゾ的な側面が多く語られる亀井だが、いかに音楽家として、多彩なポテンシャルの持ち主であるかが感じられる演奏だった。



続いて、本来プログラムの冒頭に予定されていた「FAEソナタ」の第三楽章からブラームス作曲の「スケルツォ」が演奏された。この作品はディートリッヒ、シューマン、ブラームスが共同で作曲したソナタだが、現在はこのブラームスが作曲した第三楽章の スケルツォ のみが独立して演奏されることが多い。

「FAE」とタイトルにあるように、ファ・ラ・ミという音がキー旋律となって三人それぞれの作曲家が創作した楽章が一つに統一されている作品だが、若く野心的なブラームスはかなり変化球的にこのキー旋律を使っている。加えて、曲想も激情的で野心的。演奏者の力量とテンペラメントによってかなり味わいにも変化がみられるような興味深い作品だ。

ジプシー的で激高的な冒頭。すでにここまで様々なストーリーを体験してきた二人は、冒頭から感情的に爆発する用意は万全だ。燃え盛るような炎のような熱量で激情を湧きかえらせる。服部は意図的に上ずり気味に音程を取って前へ前へと押しまくる。ヴィルトゥオーゾなテクニックを聴かせるピアノパートにヴァイオリンが対抗する様も聴きごたえ十分だ。だからこそ、たおやかで温かみに満ちたブラームスらしい中間部のトリオでは、ヴァイオリンの安定した旋律がよりいっそう美しく説得力のあるものに聴こえていた。



確かに、この作品が持つ凝縮されたドラマを聴かせるには、予定されていたように前半第一曲目で演奏するよりも、後半の中間部に持ってくるという二人の演出的な狙いは完全に功を奏していた。二時間半に及ぶ演奏会の一つの流れを考えても、フィナーレの一歩手前にもう一つのクライマックス的要素を持ってくる策略を打ち出した服部と亀井の音楽的知性に心から拍手を贈りたいと思う。

さて、本プログラムのフィナーレを飾るのはラヴェル「ツィガーヌ」。前曲の「FAEソナタ」より「スケルツォ」ですでにブラームスらしいジプシー旋律を堪能した後でのツィガーヌは、聴き手によりいっそうの効果を生みだしてくれる。二人の演出効果は一つだけにはとどまらない。

服部の強烈なアカペラで始まるロマ(ジプシー)の弾き語り。絶妙な音程感と色彩、そして節回し、重音の巧みさなど、どの要素をとっても完璧なヴィルトゥオーゾの姿を描きだす。そこに煌めく音でジョイントする亀井。リストの世界とは一味違う瀟洒でフランス的な色彩を描きだす。グリッサンドの巧みな挿入なども亀井ならでの機動性と躍動感に満ちていた。

次第に速度も高まり、二人のテンペラメントも最高潮に。まさにとどまるところを知らない若き二人のヴィルトゥオーゾは、一心不乱に突き進む。その姿はまさに一心同体。いかに「互いが音楽的に同じ方向性を持っている」という確信と信頼関係で二人が結ばれているかが感じられるワンシーンだった。

互いが互いを知り尽くし、作品の魅力を余すところなく演出できる力を持った二人が繰り広げた完璧なるクリスマスコンサート。このデュオが今後もますます興味深い ‟しかけ” を繰り広げてくれるかが楽しみでならない。

ちなみにアンコールは、「ペトルーシュカ」からの一曲、ラフマニノフ「パガニーニの主題による狂詩曲」から第18変奏曲、「剣の舞」の三曲。最後まで疲れも見せず、和気藹々と情熱的に演奏を繰り広げる若き二人に、客席は惜しみなくスタンディングオベーションで応えていた。超絶技巧で爽やかに舞台を締めくくった二人。「剣の舞」を弾き終え、満面の笑みで互いにハイタッチでねぎらう二人の姿が清々しかった。


取材・文=朝岡久美子 撮影=荒川潤