柿喰う客の新作本公演『空鉄砲』が、​2022年1月14日(金)から、下北沢ザ・スズナリで上演される。柿喰う客は昨年(2021年)に劇団結成15周年を迎え、2022年からは劇団として新たなフェーズに入るという。柿喰う客の代表で、新作の作・演出を行う中屋敷法仁に、今回の戯曲をどのような思いで書き上げ、また、どういった作品を舞台に立ち上げて劇団の新たな一面を打ち出そうとしているのか、話を聞いた。

――まず、新作戯曲『空鉄砲』を執筆された経緯を伺えますか。

柿喰う客は今年で結成16年目に入ります。『空鉄砲』は劇団の「ニュースタンダード」に挑戦しようという気持ちで作りました。

2021年、柿喰う客はオリジナル作品の本公演はもちろんのこと、小さなお子様向けの子供演劇や演劇作品のオンライン配信など、これまでの活動の総決算のようなことをやってきました。

また柿喰う客のメンバーは、さまざまな舞台や映画、ドラマに出演するなどして活動の幅を広げています。彼らが作品を届ける射程距離と、ターゲットに届けるものが明確な作品に参加して成果をあげている一方で、僕自身も脚本家・演出家としてキャリアを積み、今後劇団はどういったものを目指していくのか、問い直す作業をしています。

つまり僕が書いたものを僕の演出で作っていくプロセスではなく、俳優たちがいて、そこに言葉があって、それを見つめる演出家の眼差しがあれば自然と作品が作れるような集団を作ろうとしていて、『空鉄砲』は、2022年以降の柿喰う客の“旗揚げ公演”になることを目指しているのだと思います。

『空鉄砲』稽古場の様子

『空鉄砲』稽古場の様子

――『空鉄砲』には、どういったスタンスで取り組んでいるのでしょうか?

そもそも柿喰う客というのは劇団名が示すように、柿喰う客という集団と代表の僕自身が“客”なんです。柿喰う客の本公演を一番に見たがっていますし、作る過程でいつもワクワクしていますし、作品を一番楽しんでいるのは多分僕たち自身です。

一方で僕たちも当然、お客様を楽しませようというショーマンシップを持ち合わせているのですが、これまで気づかず、コロナ禍でいろいろな感情にもまれたことで、「そういう意識を持っているんだ」ということにあらためて気付いた、ということがありました。

2021年にはさまざまな作品を届けて、クラウドファンディングなどもやらせていただき、お客様との距離は縮まりました。その中で、『空鉄砲』はあらためて僕たちが一番見たい僕たちを観る形にしたいと思っていて、お客様に届けるスタンスというよりは、僕たちが僕たちのことを見つめているような、よりドメスティックな作品になると思います。

『空鉄砲』稽古場の様子

『空鉄砲』稽古場の様子

■演出家が不在の稽古場

――『空鉄砲』という作品についてもう少し具体的に伺っていきたいのですが、中屋敷さんは明確にご自身の中の劇作家と演出家の人格というか、創作における役割を分けていらっしゃるように感じます。本公演についても、それぞれ別に伺っていった方がいいのではと思うのですが、いかがでしょうか?

『空鉄砲』に関しては、その必要はないかと。演出家は不在なような気がします。

――演出家が不在……、どういうことでしょうか?

これまでオリジナルの新作を書くときには、なんとなくメンバーや柿喰う客の新作を待ってくれているお客さんのために書いているという意識がどこかにあって、脚本家が脚本家のために書いていない戸惑いのようなものがずっと付き纏っていました。この15年間、僕が劇作家として書く以上はお客様に楽しんでもらえるものしか書かない、というリスクヘッジをする気持ちが、どこかにあったんですね。

ですが劇団が16年目に入って、そういった戸惑いやしがらみにとらわれず、純すいに僕が何を書くのか、僕自身が楽しんでいるふしがあります。

2021年は2.5次元の舞台の仕事ですとか、僕の演劇人としてのキャリアの中でも、より大きな場所でよりたくさんのお客様に見ていただき、演出家としても脚本家としても、非常に充実したものでした。キャリアを積んだ劇作家の僕が30代半ばに入ってどういったドラマを面白いと思っているのか、1回吐き出してみる作業をしているところです。

お客様にとって面白いものかどうか、まるでわからない点が怖いところではありますが、ただ、そういった態度で作らないと、劇団がこれから先細っていくのではないかと。新型コロナの影響で去年くらいから、長年活動を続けていた劇団がなくなってきているという実感もあり、しっかりと自分の創作に向き合っていこうと考えています。

『空鉄砲』に関しては、劇団の座付き作家として、今、自分の頭の中の劇構造を体現してくれる俳優たちがいるという確信をもって、新しい方法で作品を作ろうとしています。なので、今回は出演する俳優も少ないんです。

――玉置玲央さん、永島敬三さん、田中穂先さんですね。とくに信頼のおけるという、この3人の俳優さんに一番期待されたこととは何でしょうか?

彼らは僕の台本の読み方を僕以上にわかっている俳優たちです。

『空鉄砲』稽古場の様子

『空鉄砲』稽古場の様子

――書いた劇作家よりも、作品が見えているということですか?

劇作家の僕がなぜ台本をそのように書いたのか、自分でははっきりとわかっていません。逆に言えば、意図的に書かれたものは、テクニックとしては巧みではあるのですが、作品としてとても脆いんです。

これは俳優にとって良いことかはわかりませんが、この3名に関しては僕が書いたものをどれくらいの深さとどれくらいの重さを持っているかを僕よりも先に気づけるメンバーです。僕は今、僕自身に非常に興味があるのですが、彼らは僕よりも僕に興味を持ってくれている気がしますね。

誰に対するアイディアで書いているのか、どんな感情に突き動かされて書いているのか、そういった創作の初期衝動のようなものは、役として台本を受けとめて体現する俳優たちの方が気づくことが多いと、最近は感じています。

――中屋敷さんはご自身の創作を俯瞰して見る視点があり、それに自覚的な演劇作家という印象があったので少し意外な展開だったのですが、これまで伺った本公演の狙いと方向性についての話が腑に落ちました。

自覚的にやることは一旦置いて、今一度、どうなるのかがわからないものも書いてみたい、ということですね。

――では稽古中にキャストの皆さんから、何か気づいたことは聞けましたか?

みんな「わかった」「わかった」と言うばかりで、僕に教えてくれないですね。

――ぜひどんな内容か伺いたかったですが……(笑)

ただ、いつもの稽古なら、「ここはもうちょっとこう演じてほしい」とか、「そこのセリフはそういったニュアンスではなく、こうして欲しい」といったことを思うのですけど、今の稽古では全くそういった感情が湧かないんです。俳優さんたちがどんなパターンでセリフを読んでも、どういった演じ方をしても、それはどれも正解だと思いながら見てしまう。だから演出家が不在なんです。

――なるほど……。

劇作家が書いたことをそれぞれの俳優たちがそれぞれの解釈で演じてくれたら大丈夫、という感情になっています。なので今、ものすごく不安です。いつもは「面白いかな」「お客様は楽しんでくれるかな」といった不安があるのですが、今回の公演に関してはそういった不安が全くなくて、逆に不安がないことが不安なんです。

――複雑な感情ですね(笑) ちなみに今回のキャストは、全て男性です。これまで「女体シェイクスピアシリーズ」のように女優のみが出演する作品や、男優のみの作品も手掛けられていますが、本作の男性のみの座組みには何か意図があったのでしょうか。

僕が劇作家としてドラマを書くとき、あるいは何か自分の中で演劇的な企みが生まれるとき、高確率で初潮と妊娠と出産のようなドラマが起きている感覚があります。とくに劇団のために書く戯曲の場合は必ず初潮、妊娠、出産のどれか、あるいは全てが起きています。

つまり僕にとって、新しい作品の命が生まれること自体が最高のドラマであるし、そこに帰結する、という思いがずっとありました。でも、その3つのシーンをなくしたら僕は作品を作れなくなるかといえば、そんなことないと思っていました。今回は初潮・妊娠・出産のない状態で作ったらどうなるのかを試そうとしているので、タイトルを「空鉄砲」にしました。

また僕はフィクションを作るときに、何だかんだで自分の肉体にはないものにドラマチックさを求めているワナビーなところがあるなと思って。もう少し自分の身体や自分の感情をもとに書いて、男たちだけで作ってみようという思惑もありました。

とはいえそれをドラマにしていくのは俳優たちなので、やはりそこにはとんでもない嘘が混ざってきます。

――このタイトルは男性性を感じさせるものでありながら、「圧倒的なフィクション」を標榜している柿喰う客さんらしいものでもありますよね。

「空鉄砲」は、弾丸がこもっていない音だけの鉄砲という意味の他に、ほら話、与太話といった意味合いでも使われます。

全てが嘘っぱちで、俳優たちが作っている虚構のシーンだけど、虚構であればあるほど美しく、嘘であればあるほど鮮やかに人間の存在が立ち上げられていく、そういった僕たちが手がけてきた中身が空虚なものに、もっと誇りを持って信じてみようという思いもあります。

――劇団のあり方について見つめ直している今、稽古をしながら、何か気づきや変化はありましたか。

面白いものを作る土壌を耕していて、今後もそういったことができる集団を作ろうとしている感覚がありますね。稽古をしていて、芽のようなものが出ても、もう少し耕してからじゃないと駄目だからこの芽はつもうとか、こういう耕し方をすれば芽は出るけれど、この耕し方はいつでもできるからやめよう、といった感じです。

最近とくに演劇活動を継続することが苦しくなっている状況下で、お金や時間をあまりかけない、効率の良い作品がたくさん作られています。一方で、演劇は非効率的なものでもあるし、時間をかけなければ作れない作品もあります。僕たちは今、15年間作品を作り続けたこの特異な集団性を生かして作品づくりができる劇団を作ろうとしているのだと思います。

■ミステリーというドラマを純文学的に導いていく

――『空鉄砲』はどういった物語なのか、ネタバレにならない範囲で伺えますか?

これまでの15年間は演劇作家として、俳優たちと新しい物語を生み出していく作業に力を入れていましたが、16年目からは物語を物語らないと言いますか……、何か事件を起こしてドラマチックな展開を見せたり、俳優が何か行動を起こすような劇的なものではなく、既に劇場空間に入った瞬間にもうドラマが流れているような、そういった射程距離で作品が作れないかな、ということを考えていました。

『空鉄砲』はミステリーという形を借りて、謎めいた物語が明らかになっていく、つまびらかになっていくというベクトルで物語を進めながら、見れば見るほど内容が不可解になっていくような物語を目指しています。

――物語が明らかになっていくのかと思いきや、不可解に……? もう少し詳しく伺えますか?

つまり何か問題が解決したり、悪者がやっつけられたり、真実の愛を見つけたり、何らかの目的格がドラマにはあって、ないものが不条理劇だったりします。ところで、僕たちは今、どういったものをドラマチックと考えているのか、僕たちの考える演劇の形を見つめ直したいのだと思います。

――今回の舞台は、密室劇ですね。役にはミステリー作家の子供と役者、男娼が出てきます。

ミステリー作家の息子とミステリー作家に愛された男性と、ミステリー作家を演じる俳優という、歯がゆい構図になっています。ミステリー作家は亡くなっていて出てこないのですが、物語を紡ぐことをなりわいとする人間がいたという前提の中で、彼の人生を辿っていきます。

それぞれがそれぞれの思い入れや追憶の話をしたり、話の再現をしたり、それぞれの感情で少しずつ何か事実の上塗りのようなことをやっていく部分もありますね。

『空鉄砲』メインビジュアル

『空鉄砲』メインビジュアル

――俳優が出てくるということは、劇中劇もあるのでしょうか?

劇中劇ではなく、ドラマを演じているドラマをやっているけど、どこからどこまでがドラマで、どこからどこまでが肉感のある生の身体か、混乱しながら、誤作動を起こしながら進んでいくという構成です。

――ミステリーというと、やはり何か仕掛けを期待してしまうのですが。

火縄銃のことをずっと考えていて。火縄銃が日本に来た時代を調べてみると、世界的にも日本は最も火縄銃を持っていた国だったらしいんです。テクノロジーがあって量産化したんです。すごく面白いなと思って。量産して銃を保有していたのに、日本は鎖国をしていて世界侵略を目指していないんですよね。

どんなにギミックを作っても、弾丸がなければ意味がないと思うんです。仕掛けをたくさん用意して巧妙に仕掛けても、火種と弾丸がなければひとつも弾は飛びません。今回の『空鉄砲』はまさにそういう作品です。火縄があって弾丸があって、火種1個があれば人を殺せる物体があるのに、あえてその造形美だけを見せていく、僕たちはそういったことに美学を感じているのかもしれません。

たとえばミステリー小説読んだときに、怖くて残酷だと思いながらも、これは活字だと知っていますよね。小説の中で犯人に登場人物が殺されて、傷ついたり寂しい気持ちになりますけれど、どこかで誰も死んでいないとわかっています。

演劇は舞台上でどんなことが起きても、実際は誰も傷ついていないですし、誰も死んでないですし、誰の心も体も健康なままに終わります。当然のことですがその前提を、気付いている僕たちがその前提に甘えて、舞台上で心と体を切り刻むようなことをやっているという。

なので『空鉄砲』は、演劇の構造に気付いている人間たちの悪意のようなものが渦巻いている、フィクションに意識的で、あぐらをかいている人間たちが作っている作品という感じがしますね。

――そこに不可解性は絡んできますか。観ている人たちの中でどういった作用が起こる作品なのでしょうか?

不可解さというのは、カタルシスのことだと思います。何か事件が解決して気持ちがいいとか、傷ついた人に哀れみを持つ、といった人間の心の作用がありますよね。その作用について、この作品ではお客様に何を思って欲しいのか、その心の持っていき方のようなもので遊んでいる気がします。そういう意味では今回はミステリーと言いながら、純文学だという話に稽古場ではなっています。

――まさにフィクションの真骨頂といった印象ですが、実際に観劇して、自分の中でどのような作用が起こるのかを体験してみて初めて、中屋敷さんの言葉の意味が理解できるのかもしれません。では最後に作品を楽しみにしている方々にコメントをいただけますでしょうか。

コロナ禍になって、僕は演劇を観るお客様のあごと咀嚼力を心配しています。ゼリーやおかゆのようなわかりやすい作品がたくさんあふれていて、物語を自分で咀嚼したり、噛み砕いたり、消化したりする力が落ちているのではないかと。

作る側としても、皆さんのあごが弱いと知れば、食べていただくために食べやすいものにするんです。ただ、新作の『空鉄砲』は歯ごたえがあるので、この機会に顎を鍛えていただきたいなと思います。

噛みごたえのあるドラマを観たいと思っている方にこそ観ていただきたいし、噛めば噛むほど面白い作品に仕上がっています。そういった作品を望んでいる方の目に耐えられる作品を作っているという自負があります。ぜひ楽しんでいただけたらと思います。

取材・文=石水典子