4月9日(土)に、大阪中之島美術館にて開館記念特別展『モディリアーニ ー愛と創作に捧げた35年ー』が開幕した。アメデオ・モディリアーニは1884年にイタリアで生まれ、20世紀初頭のパリで活躍するも、わずか35年という若さで病によって夭折した画家。同展は2月にオープンした大阪中之島美術館の開館記念展の第二弾となる展覧会であり、日本国内で行われる14年ぶりのモディリアーニ回顧展だ。国内外のモディリアーニ作品約40点が集うほか、同時代に活躍したパリの芸術家たちの作品や資料、モディリアーニと日本の関係についても特集展示する。今回SPICEでは、4月8日(金)に行われた内覧会と開会式の模様、そして同展の見どころを紹介する。

大阪中之島美術館 菅谷富夫館長

大阪中之島美術館 菅谷富夫館長

内覧会に先駆けて行われた記者説明会では、大阪中之島美術館の菅谷富夫館長が挨拶。構想から約40年をかけてようやくオープンした同館。開館日の2月2日(水)から行われた『Hello! Super Collection 超コレクション展ー99のものがたりー』に次ぐ同展の計画が決まったのは4〜5年前。「美術館として最初の企画展で何をやるかという時に、それほど迷わず「やはりモディリアーニ展だろう」ということになりました」と菅谷。というのも、同館にとってモディリアーニは特別な画家。「髪をほどいた横たわる裸婦」(1917)は、同館が初めて購入した海外作品で、コレクションを代表する顔とも言える作品で、先のコレクション展でも展示されていた。菅谷館長は「(同展は)非常に想いの強い展覧会。ただ、いざ着手してみると非常に難しかった」と振り返った。

なぜならモディリアーニは贋作が多く、作品の真贋を問うのが難しい。数年前にイタリアで開催されていたモディリアーニ展では、数十点もの作品が贋作の疑いを指摘され、途中で開催が中止になってしまったことも。菅谷館長は「本物を紹介できる展覧会を開催するということで、非常に苦心してまいりました。多くの方々に助けていただいて成立した展覧会。そういう意味では自信がありますので、ぜひご覧いただけたらと思います」と締めくくった。

小川知子研究副主幹

小川知子研究副主幹

その後、同展を担当した小川知子研究副主幹が見どころを解説、プレス向けの内覧会に続いて開会式が行われ、菅谷富夫館長、読売新聞大阪本社の柴田岳代表取締役社長、大阪中之島ミュージアムの曽根宏司代表取締役がテープカットを行なった。ここからは小川副主幹の話を交えつつ、構成に沿って見どころを紹介しよう。

開会式のテープカットの様子

開会式のテープカットの様子

同展は大きく3つの章で構成されている。国内での回顧展は2008年以来14年ぶりだが、海外では頻繁に展覧会が行われているモディリアーニ。国際的には科学的な調査が行われ、最先端の研究が進む中で、同展はモディリアーニ研究においてどう貢献できるかという点も思案された。モディリアーニ研究家のケネス・ウェインと相談をしながら進めた結果、ウェインが科学的調査に関する動向を図録に執筆すると共に、小川副主幹はモディリアーニがどのようにして日本社会や美術界に影響を与えたかを考察。公式図録にはケネス・ウェインと名古屋市美術館の深谷克典参与、そして小川副主幹の論文が掲載されている。

『モディリアーニ ー愛と創作に捧げた35年ー』

『モディリアーニ ー愛と創作に捧げた35年ー』

プロローグ:20世紀初頭のパリ

ジャン・コクトー「バレエ・リュス」1911年 リトグラフ、紙 サントリーポスターコレクション(大阪中之島美術館寄託)

ジャン・コクトー「バレエ・リュス」1911年 リトグラフ、紙 サントリーポスターコレクション(大阪中之島美術館寄託)

イタリアのトスカーナ州、リヴォルノに生まれたモディリアーニがフィレンツェとヴェネチアで美術を学び、21歳でパリに降り立ったのは1906年。プロローグでは、当時のフランス社会がどのような時代だったのかを、サントリーポスターコレクション(大阪中之島美術館寄託)のポスター作品で紹介する。1900年のパリ万博を頂点に文化的に栄えていたパリは、「ベル・エポック」と呼ばれる華やかな時代で、画家をはじめ文学者、音楽家、学者ら様々な人々が盛んに交流しあい、前衛的な芸術運動が次々に誕生した。モディリアーニも芸術の都・パリに魅せられたひとりだった。

展示の様子

展示の様子

しかし、1914年から1918年にかけて第一次世界大戦が勃発。モディリアーニがいたパリは、華やかな時代と大戦の時代だった。ポスター作品には、「ベル・エポック」を思わせるものから、戦意を高揚させるものまで、多様な時勢が反映されている。モディリアーニが生きた時代の背景を理解したら、次の章へ歩を進める。

第1章:芸術家への道

アメデオ・モディリアーニ「立てる裸婦(カリアティードのための習作)」1911-12年 油彩、カンヴァス 名古屋市美術館

アメデオ・モディリアーニ「立てる裸婦(カリアティードのための習作)」1911-12年 油彩、カンヴァス 名古屋市美術館

第1章では、モディリアーニの初期の作品を展示。初期の肖像画や、彼が関心を抱いた彫刻を紹介している。画家を志しつつ、一時期は彫刻家を目指していたモディリアーニ。ピカソら当時のパリの美術家たちにも大きな影響を与えたアフリカの仮面や彫像、そして、彼が彫刻作品を作るにあたり助言をした友人の彫刻家ブランクーシの作品も展示されている。

コンスタンティン・ブランクーシ「接吻」1907-10年 石膏 石橋財団アーティゾン美術館(旧ブリヂストン美術館)

コンスタンティン・ブランクーシ「接吻」1907-10年 石膏 石橋財団アーティゾン美術館(旧ブリヂストン美術館)

モディリアーニは体力的&経済的な理由、そして絵画ほどの需要がないことから、彫刻作品を作ることを断念、絵画へと復帰する。彼が1914年頃までに制作した彫刻作品で現存するものは約30点弱だが、非常にもろい石材(ライムストーン)で作られていたため、日本への運搬が困難とのことで、写真パネルで紹介されている。古代文明の力強く素朴な造形が、モディリアーニの芸術家としての表現様式を確立させていったことが感じられる章になっている。

第2章:1910年代パリの美術

展示の様子

展示の様子

アメデオ・モディリアーニ「ピエロに扮した自画像」1915年 油彩、カルトン デンマーク国立美術館/デンマーク

アメデオ・モディリアーニ「ピエロに扮した自画像」1915年 油彩、カルトン デンマーク国立美術館/デンマーク

第2章では、キュビスムや未来派、シュルレアリスム、エコール・ド・パリといった、1910年代前後にパリで興った芸術運動に焦点を当てる。ピカソやシャガール、ルソー、キスリング、ユトリロなど、モディリアーニと同時代にパリで活躍した芸術家25名の絵画や彫刻が勢揃い。もちろんモディリアーニの絵画や素描も展示されている。「ピエロに扮した自画像」は、彼が描いた貴重な自画像のひとつだ。

アメデオ・モディリアーニ「ルネ」1917年 油彩、カンヴァス ポーラ美術館

アメデオ・モディリアーニ「ルネ」1917年 油彩、カンヴァス ポーラ美術館

キスリング「ルネ・キスリング夫人の肖像」1920年 油彩、カンヴァス 名古屋市美術館

キスリング「ルネ・キスリング夫人の肖像」1920年 油彩、カンヴァス 名古屋市美術館

芸術家たちが集っていたパリ南部の14区モンパルナスと北部18区のモンマルトルを行き来していたモディリアーニは友人が多く、仲間の肖像画のほか、ピカソやアンドレ・サルモンらと共に撮影した写真も展示され、モディリアーニの交友関係を窺い知ることができる。また、文学青年だったモディリアーニの文学者との交流についても知ることができるコーナーも設けられている。

特集:モディリアーニと日本

中原實「モジリアニの美しき家婦」1923年 油彩、カンヴァス 東京都現代美術館

中原實「モジリアニの美しき家婦」1923年 油彩、カンヴァス 東京都現代美術館

第2章に続く特集コーナーでは、生前のモディリアーニと交流があった日本人画家、藤田嗣治や、第一次世界大戦中にアメリカからパリに渡り、歯科医ながらも芸術を愛した中原實らのエピソードを絡め、日本でモディリアーニがいかに広まっていったかの研究成果を紹介している。

第3章:モディリアーニ芸術の真骨頂 肖像画とヌード

展示の様子

展示の様子

第3章は、モディリアーニの作品のみが展示された章。彼が人生の中で最も多く残した肖像画と裸婦画が23点展示されている。細長い首や体、塗りつぶされた瞳といった彼の絵画の表現が登場したのもこの頃。同じモデルを数年越しに描いた作品もあり、時代や対象によって描かれ方が違うところも楽しんでほしい。

左からアメデオ・モディリアーニ「髪をほどいた横たわる裸婦」1917年 油彩、カンヴァス 大阪中之島美術館、アメデオ・モディリアーニ「座る裸婦」1917年 油彩、カンヴァス アントワープ王立美術館

左からアメデオ・モディリアーニ「髪をほどいた横たわる裸婦」1917年 油彩、カンヴァス 大阪中之島美術館、アメデオ・モディリアーニ「座る裸婦」1917年 油彩、カンヴァス アントワープ王立美術館

中でも見どころなのは、同じモデルを描いた2点の裸婦像が同展で再会したこと。大阪中之島美術館が所蔵する「髪をほどいた横たわる裸婦」と、ベルギーのアントワープ王立美術館が所蔵する「座る裸婦」は、制作の意図が全く異なる。小川副主幹によると「「座る裸婦」は、複雑なポーズをとり、体のボリューム感が表現されている。表情の流し目も魅力が溢れる。一方で「髪をほどいた横たわる裸婦」は、いわゆる伝統的な西洋美術における、様式化された裸婦像。そこに、画面から頭や足を切った大胆な構図や、こちらをまっすぐ見つめる瞳など、モディリアーニらしい要素が詰め込まれている。もともと彫刻を彫っていたモディリアーニが、人体の量感をどのように表現したのか、2点を見比べながら鑑賞してほしい」と解説した。

アメデオ・モディリアーニ「ドリヴァル夫人の肖像」1916年頃 油彩、カンヴァス イム・オーバーシュテーク財団(バーゼル美術館に永久貸与)

アメデオ・モディリアーニ「ドリヴァル夫人の肖像」1916年頃 油彩、カンヴァス イム・オーバーシュテーク財団(バーゼル美術館に永久貸与)

同展には、日本初公開の作品も数点ある。「少年の肖像」(1918-19頃)はアメリカの個人が所蔵する作品だが、近年の科学的調査でパリのオランジュリー美術館所蔵の作品と同じキャンバスロールが使用されていることが判明した。また、スイスの財団が所蔵する「ドリヴァル夫人の肖像」(1916頃)も今回が初来日。

展示の様子

展示の様子

展示の様子

展示の様子

ほかにも個展を開いた際、人が集りすぎてしまいプチ騒動になった作品かとも言われる「横たわる裸婦(ロロット)」(1917-18)も見逃せない。南仏に疎開した際に描いた若い農夫や、有名な「おさげ髪の少女」、永遠の恋人ジャンヌを描いた作品など、壁面にずらりと並ぶ肖像画は見事の一言。

アメデオ・モディリアーニ「少女の肖像」 1915年頃 油彩、紙を貼った合板 グレタ・ガルボ・ファミリー・コレクション

アメデオ・モディリアーニ「少女の肖像」 1915年頃 油彩、紙を貼った合板 グレタ・ガルボ・ファミリー・コレクション

同展の最後を飾るのは、なんと世界初公開となる作品「少女の肖像」。スウェーデン生まれのハリウッドスターだったグレタ・ガルボ(1905-1990)が、40年近く手元に置いて愛でていたという作品。彼女の死後、真贋が不明で遺族のもとに眠っていたが、遺族のひとりで芸術ライターのグレイ・ホランが調査を開始。ここ数年で科学的調査を行い、真作と認められたことから今回展示が実現した。非常に小さい作品だが、モディリアーニの専門家が最初に作品を見た時に息を呑んだと言うほど、クオリティの高いものだ。木で彫った彫刻のような温もりを感じる、不思議な雰囲気の作品。グレタ・ガルボとの関連についてもパネルで紹介されているので、ぜひ目を通してほしい。

会場の出口には、モディリアーニ自身の言葉が遺されている。小川副主幹は「タイトルが『愛と創作に捧げた35年』。愛とは何かを、展覧会の準備をしながら考え続けておりました。結局はありきたりかもしれませんが、芸術家の誰もが到達したいと願う、芸術の女神の愛を勝ち取り、認められること。モディリアーニは自信がある中でも挫折を繰り返し、その中で一切の妥協をせず制作をし続けました。それは彼にとって必然。絶対に守り抜くべきものが愛でした。私たちは妥協や調整をしすぎていて、見失ってるものがあるかもしれません。モディリアーニ展を通して、自分の生き方、夢を守ることをもう一度振り返っていただけたらと思います」と語った。

ミュージアムショップ

ミュージアムショップ

ミュージアムショップ

ミュージアムショップ

ミュージアムショップでは図録をはじめ、様々なオリジナルグッズが販売されている。さらに2階芝生広場では、モディリアーニが生まれたイタリアがテーマのカフェが期間限定で登場。トークイベントやワークショップなども企画されているので、公式HPをぜひチェックしよう。

開館記念特別展『モディリアーニ ー愛と創作に捧げた35年ー』は、4月9日(土)から7月18日(月・祝)まで大阪中之島美術館にて開催中。

取材・文・撮影=ERI KUBOTA