“日本のお母さん”を想像したときに、市毛良枝は筆頭近くに挙げられる女優さんだろう。テレビドラマや映画と映像畑の印象が強いが、そのキャリアは、実は文学座や俳優小劇場の養成所から始まっている。久しぶり、本当に久しぶりの舞台出演の場は、岐阜県の可児市文化創造センターalaのala Collectionシリーズ第13弾となる『百日紅(さるすべり)、午後四時』(2022年9〜10月、可児・大阪・豊田・長岡・東京・能登で上演)だ。右往左往する大人たちを描いた喜劇で定評のあるラッパ屋・鈴木聡が脚本・演出を務める。穏やかな空気をまとった方かと思ったら、意外にもはっちゃけたところのある市毛。鈴木は誰もがイメージする彼女のキャラクターの斜め上をいく主人公の物語を紡ぐとか。
 

制作発表より、鈴木聡と出演者の面々

制作発表より、鈴木聡と出演者の面々

――今回のお話は、どのような経緯で動き始めたのか教えていただけますか。

市毛 あるとき衛紀生さんから直接お電話をいただいたんです。

鈴木 衛さん、今はalaのシニア・アドバイザーでしょ(2021年4月より)、連絡が来た当時は館長でいらっしゃったんです。たしか2019年の秋だったかな。

市毛 その後ですよね。ラッパ屋さんの本番か、稽古中だったかの鈴木さんとお会いしたのは。コロナが流行り始めていたので、お目にかかるのはどうしましょう、お食事はやめておきましょうみたいな時期でした。

市毛良枝

市毛良枝

――市毛さんは衛さんと交流がおありになったんですか?

市毛 いえいえ、初めてお会いしたのはalaの「恋文」という朗読のシリーズ(2018)に声をかけていただいたときなんです。一見すると怖そうな方でしょ? お会いする前にいろいろな人からどんな方か情報を得ていたんです。でもいざお会いしたら、たまたま親友のお兄さんと早稲田大学の劇団自由舞台(1947〜1969)で一緒に活動されていたこともあって、話をするうち、いきなりすごく仲良くなっちゃった。同じ時代に私も演劇界の片隅にいたんですよ。
 

■始まりは強力な個性の集まりの中に、ただの女子高校生が紛れ込んだ感じ

――僕は、市毛さんがニール・サイモンの『二番街の囚人』(1994)をやられているのを拝見したことがあります。

市毛 はい、はい(笑)。

――そのぐらいから舞台には立たれていませんよね。

市毛 そうなんです、ほとんどやってないんです。すみません。

――でも文学座がキャリアのスタートでいらっしゃる?

市毛 そうなんです、演劇界の深みに潜っていました。18から20歳までです。同期は二宮さよ子さん、三浦真弓さん、木村夏江さん、あと男性は亡くなった人が多いかなぁ。私たちは9期なんですけど、1期から5期あたりが華やかで、9期はグッと地味なんです。

――そのころは舞台俳優を目指されていたんですよね?

市毛 通行人でもいいから舞台に関わっていたいなあぐらいかな。あまり表に出たいという意識はなかったんです。でも受験したら意外にも入れて。その当時、9期までは研修期間が1年だった。そこでクビになって、いきなり挫折しちゃったわけですね。1期上に私みたいなタイプの女優さんがいるから無理かもと言われ、薄々はわかっていたけど、その通りになっちゃった。でも親の反対を押し切って文学座に入ったのだからすごすごと帰れないじゃないですか。それで俳優小劇場の養成所に入ってまた1年勉強をして、気がついたら今に至るという感じです。

鈴木 当初は映像よりも舞台でというお気持ちが強かったわけですね?

市毛 そう思っていたんですけど、背も小さいし、小さな声でしかしゃべれない、おとなしい子だったんです。

鈴木 文学座だったら発声練習をするでしょうに。

市毛 ありますけど気が弱かったですね。

鈴木 気が弱い?

市毛 気が弱かった。ほら、同期はみんな演劇やってきた人ばっかりなんです。

鈴木 そうかそうか。

市毛 早稲田大学を出てるとか、学生演劇をやっていたとか、そんな感じでした。

鈴木 1960年代後半ですと、まさにアングラが生まれたころですよね。蜷川幸雄さんの櫻社なんかがアートシアター新宿文化でやっていたころ?

鈴木聡

鈴木聡

市毛 櫻社の前身の、現代人劇場ができたころです。

鈴木 蜷川さんが活躍し始めて、清水邦夫さんと一緒に駆け登っていたころだ。

市毛 まさにその時代です。俳優小劇場のすぐそばに稽古場があって、覗きにいきましたから。

鈴木 非常に攻撃的というか大きな声を出す感じですもんね。でも新劇の人たちも当時はそういうふうな感じがありませんでした?

市毛 怖い人ばかりでした。そんなところにただの女子高校生が紛れ込んだわけですから、すごい不思議でしたね。

鈴木 文学座の先輩には新橋耐子さん、太地喜和子さんのような際立った方々がそろっていましたよね。テレビで活躍する人もほとんど新劇の映放部から来る方ばかりでした。

市毛 私も朝ドラのオーディションに行かされたりしましたよ。

鈴木 市毛さんなら朝ドラにぴったりじゃないですか!

市毛 そう言われながらかすりもしない(笑)。いつも最終選考で落ちるんです。だからオーディションは受けると落ちるものと思ってましたね。

鈴木 じゃあ挫折から始まったんですか?

市毛 女優としてやっていかれるなんて思いもしませんでした。そんな荒々しい時代でした。

鈴木 荒々しい! たしかに演劇のエネルギー、発信力があった時代です。

市毛 面白かったですね。凄かった。お酒は呑めないんですけど、新宿のゴールデン街なんかに連れて行かれるんですよ。すると酔っ払った大島(渚)組の人がゴロゴロいたりね。

鈴木 映画界の人もいっぱいいましたね。

市毛 演劇の人と映画の人がケンカ腰で激論していて怖かったですね。私はありとあらゆる人にお前なんか絶対に女優になれないって100万回くらい言われました。私も素直にそうだろうなって思ってましたから。
 

■ほっこりする笑いの印象もありますけど、毒もいっぱい調合

――鈴木さんとはラッパ屋のリーディングでご一緒されたんですよね?

市毛 それもalaのお話をいただいたので、鈴木さんにお目にかかって、じゃあ慣れておこうかということで仲間に入れてもらったんです。

鈴木 そういう順番です。2022年5月の『七人の墓友』なんですけど、

市毛 コロナでできなくなっちゃった。でも稽古場はとても楽しかったです。

市毛良枝

市毛良枝

――鈴木さんの印象ってどんな感じでした?

市毛 私ね、おそらくラッパ屋さんは拝見してないんですよ。でも絶対ほかの作品は何か見ていると思う。とはいえ鈴木聡さんは博報堂でキャッチコピーを書いていらした方というイメージがあるから、勝手に私の中でお顔とか雰囲気をつくっていたんですね。

鈴木 もっと何か業界チックな感じ? 秋元康さんみたいな?

市毛 そこまでじゃないけど業界チックな方だと思って、下北沢でお会いしたとき「あれ、違うぞ」って(笑)。だからハートフルな作風のお芝居と結びつかなかったのね。でも、いきなりテレビで演出家をされていたお父様の話から始まったので、デビュー作でお世話になった私はこれは逃れられないと運命を感じましたね。

――鈴木さん、戯曲のアイデアはどんなところから生まれたんですか? 市毛さんのイメージから?

鈴木 人生100年時代って言うじゃないですか。人生100年と聞くと長生きできていいなぁってポジティブに感じる人が多いかと思っていたら、何かの記事で読んだら、むしろ不安や戸惑いを持つ人が多いらしい。お金や健康の不安、それと、やっぱり、これから何10年も私は何をすればいいのかしらみたいな生き方に対する不安、戸惑いがあるんだと。それを読んで、これはいいテーマになると思っていたんです。そしてまさに63歳の僕が直面している問題なわけですよ。そのタイミングで市毛さんとご一緒することになって。実は僕もalaの恋文シリーズをやったんですよ、市毛さんの翌年(2019)に。実際にalaのお客様の雰囲気もわかったし、市毛さんにも人生100年時代というテーマはすごく合うなと思いましたね。

――鈴木さんは市毛さんにはどんな印象をお持ちでしたか?

鈴木 僕はドラマの熱心な視聴者じゃないけど、市毛さんと言えば、やっぱり主人公のお母さんという重要な役回りで、お説教するにしても愛情があって、主人公やその周囲の人びとを励ますといった印象がありましたね。今の日本のドラマの中では優しく叱ってくれるお母さんを感じさせる代表的な女優さんだと思います。僕自身もそういうイメージが強かったですよね。

鈴木聡

鈴木聡

――戯曲を書くときには、そのイメージを利用されたんですか?

鈴木 そうですね。お客さんはそういう目で見る。だから逆に少しはみ出したキャラクターとして、とっ散らかっちゃうとか突飛なことを言い出すとか、何か今回のお芝居ならではの市毛さんを描きたいんですよね。市毛さんが出てきたら「いい人よ、この人は間違いない人よ」とお客さんが思っているところで、危なっかしいことを言ったりした方が面白くなるなって。実際に話してみると、そういう人なんですよ。

市毛 鈴木さんは、ほっこりする笑いの印象もありますけど、毒もいっぱい調合してますよね。ただ、その毒のところに共感するし、素敵だなと思っています。

鈴木 うれしいなぁ。


――どんな筋立てになるんですか?

鈴木 市毛さんは主人公の今村一美。旦那さんが5年前に亡くなった女性です。一美は庭に百日紅が咲く夏、息子や弟姉妹を呼び出しておもてなしをするんですが、みんなどこか不審なんですよ。「ねえさんがみんなに招集をかけるなんて珍しい。何か深い理由があるんじゃないか…」。そこに知らない男の人が現れます。どうやら一美がこの男性と結婚するのかとその場がざわつく。どういうつもりなんだ。ボーイフレンド? この年になって? 優等生のねえさんらしくない。この家はどうなるんだ、みたいな生々しい話もあり喧々諤々始まるんです。するとまたそこに見知らぬ若い女性が訪ねてくる。どうやら亡くなった旦那と何か関係があるらしい……。

市毛 講談師みたいですね(笑)。今回の作品も、とてもハートフルですが、中に小さな毒があって、ちょっとした社会的な問題やその人の心の問題、そういうものをさりげなくチクっとさせる。単なる庶民の生活を描くだけではないところが素敵だなと思います。私自身すごく久しぶりの舞台ですから、それはものすごく怖いんですけど、何とかやりきれるといいなと思ってます。共演者の皆さん舞台人としては私よりベテランで腕が立つ方ばかりなので、いろいろと教えてもらって、胸を借りて頑張ろうと思います。

鈴木 そんな全然大丈夫ですよ。市毛さんが本来持っているものですから。いや本当にそう思うんですよ。

市毛 私、普段は面白いんですけど、芝居になると面白くないでしょ。

鈴木 いやいや、その面白さを引き出したいんです。あんまりそういうふうには思われてないから。そんなにドタバタやる、ギャグがあるわけじゃなく、恐らく心の持ち方、考え方がコメディなんです。そういうものが市毛さんご自身と役とがミックスされて、面白くなればいいなと思っているんです。しっかり者の感じがするじゃないですか。

市毛 しっかり者じゃないんですけどね。

鈴木 でも日本の視聴者はみんな思ってるよね。優しくて聡明な。

市毛 実はそうじゃないんです。しっかりしていると誤解されています。

鈴木 そのイメージを利用させてもらいます。

市毛 何させられるんだろう、お手柔らかにお願いします。

取材・文:いまいこういち