どれくらいの実績があれば、アスリートは現役を引退する時にニュースになるだろう。日本一か、あるいは五輪や世界選手権などの国際大会代表か。6月19日、華々しいキャリアとは無縁の体操選手が1人、ひっそりと勝負の世界に別れを告げた。

 「打ち込める何かがあるというのは幸せでした。体操人生、楽しかったです。パっとした結果があったわけではないですが、終わってみれば“ああ、良かったな”と思いました」

 白井晃二郎は、約20年に及んだ競技生活を振り返った。3学年上の兄・勝太郎(コナミスポーツ)は14年仁川アジア大会で団体総合金メダル、3学年下の弟・健三(日体大)は16年リオデジャネイロ五輪の団体総合金メダリスト。晃二郎は白井3兄弟の次男である。

 兄と弟の陰で、晃二郎は、ひねるよりひねくれた。「オレだけうまくならないし、才能がないのかな」。高校時代、母・徳美に「練習に行ってくる」と告げて家を出た後、指導者に「風邪で休みます」と電話した。日体大に入学後は、体育館の隅で練習をしているフリをして、時間をつぶすこともあった。

 当時の自分は「クソ野郎だった」と言う。変えてくれたのは、弟だった。

 晃二郎が日体大2年だった13年6月、健三は全日本種目別選手権の床運動で優勝し、世界選手権の代表を決めた。「初めて人の演技を見て感動しました。“何してるんだろう、おれ”ってすごく思いました」。以降、競技に真摯に取り組んだ。学生選手権などのメンバーに入れなくても、努力を怠らなかった。

 「クソ野郎」はもう、体育館にはいなかった。チームメートはしみじみと言った。「おまえ、変わったよな。変わって良かったよ」。それは、何よりの褒め言葉だった。

 卒業後、両親が経営する鶴見ジュニア体操クラブで指導スタッフとして働きながら、競技を続けた。午前7時半から練習し、午後はクラブで指導。帰宅が午後11時を過ぎても、翌日の練習で手を抜くことはなかった。「たいした実力もないのにやらせてもらって、ありがたい」という思いが原動力だった。

 最大の目標だった全日本種目別への出場は一度もかなわず、6月19日の国体神奈川予選が最後の大会となった。兄と同じ班での演技は「初めてかも」と言う。つり輪や鉄棒のサポートには弟がついてくれた。13位。悔いはなかった。

 後日、兄から寄せ書きが渡された。「先に引退は寂しいけど、今までの経験を生かして第2の人生ガンバ!」と兄は書き、弟は「場所は変わっても、違った立場で体操に貢献できるよう頑張って。お互い上を目指して頑張っていきましょう」とつづった。現役ラスト試合、晃二郎の知人や友人にメッセージをもらうため、勝太郎が会場で奔走していたことは後で知った。

 引退前の今年1月、晃二郎は既に保持していた1種審判員の資格更新のため、研修会に参加。リオ五輪後のルール改正に伴い、1種の中にカテゴリー1、2、3が設定され、認定試験で晃二郎は最もランクが高いカテゴリー1の資格を得た。カテゴリー1は全国で、わずか32人という難関だ。

 現役時代、何度も「やっている意味がない。もう辞めろ」と厳しい言葉をかけてきた父・勝晃は、今の晃二郎に目を細める。「やつはね、優秀なんですよ」。競技の才能は3兄弟の中で劣っていたかもしれない。だが、小学生時代の誕生日プレゼントに、採点規則をねだるほど体操が好きだった晃二郎には、兄と弟にはない才能が宿っていた。

 今年4月から中学3年生、高校1年生の指導を前任者から引き継ぎ、本格的にコーチとしての歩みもスタートした。

 「ただ点数を取るだけじゃなくて、見ていて“かっこいい”と思う体操をする選手を育てたいです」

 8月には国際審判になるための認定講習会に参加する。7月30日に24歳になる晃二郎は、今まで海外に行ったことがない。講習会へのエントリーに必要なため、初めてパスポートを作った。

 「近い目標は国際審判に受かること。何年後になるかは分からないけど、いつか五輪に審判として参加したい思いはあります。そこに教え子が出ていれば、最高ですよね」

 ジャッジとしてコーチとして、晃二郎の目の前には可能性に満ちた新世界が広がる。兄でもなく、弟でもない。そこは、白井3兄弟の次男が輝く場所。=敬称略=(杉本 亮輔)