◇大リーグ新企画「MLB BUZZ」

 大リーグの旬な話題を掘り下げる新企画「MLB BUZZ」(毎週水曜日)がスタート。第1回は30年前、日米野球界の歴史を変えた野茂英雄のメジャー挑戦を掘り起こす。95年にドジャースと契約。「野茂以前」「野茂以後」で時代は様変わりし、ド軍には現在大谷翔平投手(30)らが所属。日本で開幕戦を開催して熱狂を呼んだ。代理人の団野村氏(67)が当時を振り返り、この30年への思いを語った。 (取材・構成 鈴木 勝巳)

 「野茂さんは非国民から日本の英雄になったんです」。ドジャースとカブスの開幕戦で日本中が熱狂していた頃、団野村氏は米国にいた。大リーグキャンプ視察のためだ。

 「この30年でこれだけ野球の国際化が進んだのは本当に良かった。でも、30年後にこんなふうになるとは…。日本での大リーグ人気には驚きますね」

 野茂がトルネード旋風を巻き起こし、自身の名前と同じ「英雄」になってから30年。日米球界の景色は大きく様変わりした。「野茂以前」は村上雅則(ジャイアンツ)1人だけだった日本人大リーガーが、「野茂以後」は実に72人も誕生。歴史のif。もし野茂がいなければ、大谷ら数多くの選手は現在のように大リーグでプレーできていただろうか。

 「野茂さんと2人で、歴史の扉をこじ開けて米国に行くための方法論を見つけて、実行した。彼が僕にきっかけを与えてくれて、願いをかなえたい、道を開きたいと思った」

 94年オフ。野茂の大リーグ移籍を巡る騒動を知らない若いファンも増えた。入団1年目から4年連続最多勝の近鉄のエースは、球団との交渉で「任意引退」の扱いを引き出してド軍に移籍。「自由契約」ではないので国内他球団には移籍できないが、海外には保有権は及ばない。団野村氏は球界関係者に確認を取った上で実行したが、盲点を突くような手段に球界は「あしき前例」と強い拒否反応を示し、マスコミも同調。野茂と同氏は猛烈な批判にさらされた。大リーグ行きを後押しするような報道は皆無。一方で選手からは応援する声も聞かれた。

 「今では誰も覚えていないかもしれない。悪者扱いをされ、本当に批判を浴びた。きつい日々を10年ぐらい送った」。ただ、その強行突破が、結果として時代を動かした。「当時は移籍の方法がなく、日本からは“行けない世界”だった。何とか野茂さんの夢をかなえたい、が第一歩。今では、役に立てたのかなとの思いはある」。その後はポスティングシステム、海外FAなど日米球界で移籍への道筋が整備された。今や大リーグは「行けない世界」ではない。

 移籍当初、野茂は「活躍できるわけがない」と実力を疑問視もされた。大谷が二刀流で挑戦した時と同じで、過去に前例がなかったからだ。しかし1年目の95年に13勝を挙げて新人王。球宴でも先発した。活躍が続くごとにバッシングは一斉にやみ、報道は称賛一色に。当然、日米の野球ファンは熱狂した。

 「日本のマスコミはネガティブでしたが、野茂さんのパワーがポジティブに変えましたね。トルネードとしてばったばったと三振を取り、見る人を奮い立たせましたから」

 30年の長い月日。日米球界の距離は近くなり、今では野球少年が当たり前のように将来の大リーガーの夢を語る。NPBを経ずに米球界に挑む選手も出てきた。「大谷選手もそうですが、子供たちが野球を見て“凄いな”と思うことが一番大切なんです」。あれから30年、二刀流の大谷が同じド軍のユニホーム姿で米球界を席巻しているのは時代の必然なのかもしれない。

 ▽94年オフの野茂騒動 94年12月、野茂は近鉄との2度の契約交渉を保留。その際に任意引退に合意する覚書にサインした。球団側は身分を拘束したつもりだったが弁護士と相談した結果、任意引退扱いで海外に移籍するのを阻止するのは違法になると判断。法廷闘争では不利になることから、95年1月9日の3度目の交渉で大リーグ移籍を認めた。2月13日にドジャース入団を発表。フロリダ州ベロビーチでのキャンプ期間中に大リーグのストライキが明け、5月2日のジャイアンツ戦でデビューした。

 ◇団 野村(だん・のむら)1957年(昭32)5月17日生まれ、大阪府出身の67歳。78年にテスト生としてヤクルトにドラフト外の内野手で入団。4年間プレーし、1軍出場はなし。引退後に渡米し、93年にロサンゼルスに「ダン野村オフィス」を設立。マック鈴木や伊良部秀輝ら数多くの選手の代理人を務めた。元ヤクルト監督の野村克也氏の夫人・沙知代さんは実母。