プロ野球選手として14年のキャリアを積んだトーリ・ロブロは、現役最後の1年を日本のヤクルトスワローズで過ごした。

 1987年のドラフトでデトロイト・タイガースから指名を受け、メジャーで7球団を渡り歩いたロブロは、35歳だった2000年に若松勉監督が指揮を執っていたヤクルトと契約した。

 内野ならどこでも守れるユーティリティープレーヤーとして期待されたが、当時のヤクルトの内野は、ロベルト・ペタジーニ、土橋勝征、岩村明憲、宮本慎也と球界屈指の陣容だった。そのためロブロは29試合の出場にとどまり、66打席で放ったヒットはわずか13本。結局、1シーズンで退団となった。

 数字だけを見れば、日本でいい経験をしたとは思えない。だが、今季からMLBのアリゾナ・ダイヤモンドバックスの監督になったロブロにとって、日本で過ごした1年は、自身の野球人生において欠かすことのできない貴重な時間だった。

 その頃、ロブロはすでに監督という仕事に興味を抱いており、ヤクルトでの経験を事細かくノートに記していた。

「日本での経験は、私に新たなたくさんのことを教えてくれました。練習の仕方、ゲーム中の細かな気遣い、いろんな状況に備えることの大切さなど……起こりうる可能性があるすべてのことに対しての対処法を教えてくれました」

 そしてロブロはこう続けた。

「私は、日本野球の徹底した教え方が好きだったんです。ただ、本塁打を打てばいいということだけじゃない。守備や走塁の細かさ、そして勝つことに対してのこだわり。日本の野球は、私に新しい知識を与えてくれました」

 監督として迎えた初めての春季キャンプで、ロブロはかつて日本で練習してきたプレーを選手たちにさせた。その成果は、早くもシーズン中に発揮された。

 4月27日、本拠地でのサンディエゴ・パドレス戦。ダイヤモンドバックスが4−1とリードして迎えた5回表。一死一塁で、打席には相手投手が入った。確実に走者を進める犠打の場面だったが、バントは小フライとなってしまう。一塁手のポール・ゴールドシュミットが猛然とダッシュしてきた。そのとき、アメリカではあまり見かけないプレーが起きたのだ。

 ゴールドシュミットは捕球すると見せかけ、とっさにグラブを引っ込めた。ボールがフェアグラウンドに落ちると、ゴールドシュミットはすぐさまボールを捕り、一塁ベースカバーに入っていた二塁手にボールを投げ、まず1アウトを取った。そして、この状況にランナーは混乱したのか、慌てて二塁に向かおうとしたが、塁間の半分ぐらいのところで遊撃手にタッチされ、ダブルプレーが成立した。

 これで勢いに乗ったダイヤモンドバックスは、その後もパドレスの攻撃をしのぎ、試合をものにした。このプレーについて、ロブロは次のように説明する。

「ヤクルトで練習したプレーのうちのひとつでした。アメリカではこういったプレーについて話はするのですが、実際、練習することはほとんどありません。私が日本で学んだことは、練習はプレーのレベルを確実に引き上げるということです。だからキャンプ中、こういったプレーをただ話すだけではなく、実際に練習することにしたんです。ここでは言えませんが、ほかにもいろんなプレーを練習してきました。常識的なプレーであっても、練習するのとしないのとでは違います。実際にそういった状況に直面したときに、驚かず対処できるんです。練習することの大切さも日本で学んだことのひとつでした」

 ロブロ監督就任により細かい野球を意識したダイヤモンドバックスは、現在、ナショナルリーグ西地区の3位につけ、コロラド・ロッキーズやシカゴ・カブスらとワイルドカード争いを演じている。

 前述したパドレス戦でのプレーを決めたゴールドシュミットは、次のように語ってくれた。

「あのプレーをしたのは、リトルリーグ、マイナーリーグ、もちろんメジャーリーグでも初めてでした。プレー自体は、それほど高い技術を必要とするものではありませんが、しっかり準備をしていないとできません。私たちはあのとき、その準備ができていたんです」

 このように、準備を怠らないチームづくりを目指しているロブロ監督は、あのプレーのあと、グラウンドから戻ってくる選手たちを誇らしげにダグアウトに迎え入れたのだった。

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