昨年のリオデジャネイロオリンピックへの出場も叶わず、1988年のソウル大会を最後にオリンピック出場権を逃し続けている日本ハンドボール男子。今年2月、日本ハンドボール協会は世界が認める名将ダグル・シグルドソンを代表監督として招聘し、新たな船出を切った。

 1973年にアイスランド・レイキャヴィクで生まれたダグル監督は、現役時代に国内リーグ優勝5回のほか、アイスランド代表として欧州選手権やアテネオリンピックに出場した経歴を持つ。引退後はコーチや監督を歴任し、2015年には世界最優秀監督賞を受賞したハンドボール界屈指の名将である。2016年のリオデジャネイロオリンピックでドイツ代表を率いて銅メダルを獲得後、その去就に注目が集まっていたが、日本代表監督就任のニュースが伝わると世界中が仰天した。

 だが、彼が2020年東京オリンピックに向けての「切り札」として再建を託されたのは、指導者としての輝かしい経歴だけが理由ではない。ダグル監督は2000年から2002年まで湧永製薬(現ワクナガレオニック)に所属し、日本リーグでプレーした経験があることが決め手となったからだ。

 ダグル監督はドイツ代表の指揮を続けることよりも、日本で指導者として新たなキャリアを始めることを選んだ。日本人選手とともにプレーし、日本人の考え方や特質を理解していることは、日本代表チームを率いるうえで絶対的な強みとなることは間違いない。ダグル監督は自らの指導方針を次のように語る。

「湧永での3年間、私は日本のことを勉強し、日本人選手の考え方をある程度は理解しているつもりですが、私の母国・アイスランドと日本に共通するフィロソフィーもあると思います。たとえば、チームとして規律に正しいとか。

 今、日本代表チームに必要なのは、私が持っているフィロソフィーと日本人選手のフィロソフィーを融合させて、新しいものを創ること。そのうえで、もっとも大切なことはファイティングスピリットだと思います。私が指導するチームでは、ファイティングスピリットのない選手がコートに立つことは絶対にありえません」

 ダグル新監督が求めるチーム作りは、力のある選手を常に30人ほどキープしつつ互いに競わせ、それを首脳陣が見極めていくのが基本だと語る。

「私はオーストリア代表でも、ドイツ代表を率いたときも、そうやってきました。年齢などは一切関係ありません」

 そのうえで、日本人選手の最大の武器であるスピードを磨き、速攻や攻守の入れ替え、ボール回しなどあらゆる場面で世界に負けない速さを磨いていく。また同時に、その30人のメンバーで国際試合や海外合宿を多く積み重ね、監督が最大の短所として挙げる「経験の少なさ」を埋めていくという。

 日本代表監督として初陣となる今回の日韓戦メンバーに、ダグル監督は多彩な選手をチョイスした。ベテランは2015年11月のリオデジャネイロオリンピック・アジア予選以来の代表復帰となる36歳の宮崎大輔(大崎電気)から、若手は18歳の部井久(ベイグ)アダム勇樹(博多高)まで。そんな新監督への期待の高さの表れか、7月29日に東京・駒沢オリンピック公園体育館で行なわれた「日韓定期戦2017」はチケット完売となり、ファンが会場を埋め尽くした。

 日の丸とサポーター番号「8」のプラカードが掲げられ、サッカーやバレーボールの日本代表戦にも引けを取らぬ大声援のなか、ダグルジャパンの選手たちは試合序盤からファイティングスピリットを見せる。強敵・韓国に対して一歩も引かず、60分間絶えず集中力を切らすことなく、最後まで勝利を信じて戦い抜いた。

 宮崎は誰よりも長くコートに立ち続け、攻守にわたってチームを鼓舞。勝負どころの後半スタートには2連続得点を記録する。さらにセンターでは東江雄斗(あがりえ・ゆうと/大同特殊鋼)がしっかりとゲームメイクし、キャンプテンの信太弘樹(しだ・ひろき/大崎電気)が要所で得点すれば、それに負けじと渡部仁(トヨタ車体)も技ありのシュートを炸裂させた。

 また、守備面でも光るものがあった。チーム1の長身・玉川裕康(国士舘大)を中心とする、笠原謙哉(トヨタ車体)、成田幸平(湧永製薬)との「オーバー190cmトリオ」が敵のエースをブロック。ゴールキーパーの木村昌丈(大崎電気)もファインセーブを連発し、そのたびに拳を突き上げてコートと会場をひとつにまとめ盛り上げた。

 日本の出来栄えには、韓国も驚きを隠せなかったようだ。試合後、相手キャプテンのジョン・イギョンに「ここ5年間でもっとも疲れた試合。日本の高いディフェンスにやられた」と言わせたほどである。

 今回の日韓戦では、日本人選手が次々とビッグプレーを連発した。なかでもこの日、もっとも会場を沸かせていたのは、躍動感あふれるプレーでチーム最多8得点をマークした21歳の大学4年生、徳田新之介(筑波大)だろう。

 徳田は小学校2年のとき、母が立ち上げたクラブで姉と一緒にハンドボールを始めた。野球や相撲にも打ち込んだが、中学入学と同時にハンドボールに専念。2016年のアジア選手権で日本代表に選ばれると、今年1月のフランスで開催された世界選手権ではチーム得点王となり、一躍「2020年東京オリンピック期待の星」となる。宮崎大輔からも「後継者」と認められ、この日も試合中に何度もアドバイスを送られていた。

 試合は、一進一退のシーソーゲームとなった。1点差内の緊張した戦いが続き、残り4秒、右サイドの渡部が身体を倒しながらシュートを突き刺し28−28の同点。日本は執念でドローに持ち込んだ。

 昨年のアジア選手権で韓国に勝っているとはいえ、そのとき相手は若手中心のメンバーだった。その前の勝利となると、27年前までさかのぼらなければならず、1987年から昨年までの対戦成績は3勝36敗2分。今回は引き分けに終わったものの、2020年に向けてダグルジャパンは上々の船出を飾ったと言っていいだろう。

 試合後、宮崎は「このチームは絶対、強くなる」と力強く語る。

「今までのチームなら、大事な場面で『誰が(シュートを)撃つの?』とみんな遠慮していたけど、今日は最後の場面でもみんな『俺に(パスを)回せ!』でした。僕自身、日本代表に招集され、サイドにコンバートされてまだ3週間。これからですからね。センターの気持ちがわかっているので、サイドとして徳田選手らスピードのある選手たちをもっと活かせるようになれる。年齢に関係なく、チャンスをもらうことができ、ものすごくモチベーションが上がっています。僕の夢はずっとオリンピック出場でしたが、今はオリンピックで勝つことに変わりました」

 日本代表男子チームは8月1日から長期ヨーロッパ遠征を実施する。ダグル監督のパイプを最大限活用し、彼の母国でありハンドボール強豪国のアイスランドではクラブチームと数多く対戦する予定だ。そこでダグルジャパンは、日本人選手に決定的に不足している経験を重ねていく。