7月30日に大阪信用金庫シティスタジアム(旧・舞洲ベースボールスタジアム)で行なわれた、センバツ王者・大阪桐蔭と初の決勝進出を果たした公立校の大冠(おおかんむり)の大阪大会決勝戦。終盤まで1点を争う展開となったが、大阪桐蔭が底力を見せつけ、8回裏に5点を挙げて10対4と一気にリードを広げると、スタンドの観客から「ここまでか……」と大きなため息がもれた。しかし、大冠の選手たちには誰ひとりとして試合をあきらめる者はいなかった。

「ここから逆転するぞ。何があるかわからんのが、高校野球なんや」

 大冠の東山宏司監督の声に選手たちはもう一度、気持ちを奮い立たせた。すると、代打で起用された165センチ、53キロの背番号14・山口剛史が、大阪桐蔭のエース・徳山優磨からレフト左に弾き返す二塁打を放った。

 試合前、”徳山対策”として東山監督は「ストライクは全部振れ」と指示。打席での積極性こそ大冠の野球であり、その姿勢は最後まで貫かれた。

 この一打にスタンドのボルテージは一気に上がった。一死後、さらに3連打で2点を加え4点差。なおも一死二、三塁の場面で、実況していたラジオのアナウンサーはこう言った。

「ここでヒットが出て、ふたりの走者を置いて、もし一発が出れば同点です」

 プロ野球チームでもなければ、大阪桐蔭や履正社のようにプロ注目のスラッガーがいる強豪私学でもない。しかし、アナウンサーに「もし」を言わせてしまう打線。それがこの夏の大冠だった。

 大冠は、東山監督の母校である大阪府立島上高校の分校・島上大冠として1986年に創立(95年に大冠として独立)。野球部は1989年と1992年の夏に5回戦まで進んだが、概ね1つか2つ勝って、負ける……という戦いを繰り返し、全国的にはまったくの無名チームだった。

 おそらく全国の高校野球ファンのなかにも、「大阪桐蔭と決勝であたる大冠ってどんな学校?」と思った方は多かったのではないだろうか。

 4、5年前までは他県に練習試合に行くと、「だいかん」と読まれることが多かったという。ちなみに、大阪の高校生の間では「おおかん」の呼び名で通っている。

 名前の印象から私学と思われがちだが、前述のように大阪府高槻市大冠町にある府立校だ。「お金もできるだけかけたくない」と、ユニフォームは上から下まで白で統一。左胸に黒っぽい崩し文字で縦に「大冠」と力強く書かれている。

 この夏、左胸の文字のように力強く勝ち上がり、最後は2点差まで詰め寄るなど王者を慌てさせた。本気で狙っていた甲子園には一歩届かなかったが、創部以来最高成績となる準優勝。新たな歴史を刻んだ。

 試合後、東山監督はこう語った。

「バッティングを掲げてきたウチの野球はできました。ただ、結果として甲子園に連れて行ってやれなかった。気持ちのある子が揃ったチームで、厳しい練習にもついてきてくれた。私に力があれば、勝ち切れたかもしれなかったのに……」

 細身の体に銀縁メガネの55歳。日差しに照らされ続けてきた褐色の肌が、これまでの長い道のりを物語っている。

 大冠で指揮をとって20年を超えた。公立校で20年以上も同じ学校で指導することは珍しいが、大阪の高校では橋下徹知事の時代に、”指導教諭”というポジションが定められ、東山監督はこの昇任試験に合格。その時点で大冠での勤務が13年だったが、一旦リセットされ、あらためて採用のかたちとなったために長期の指導が実現した。それが今回の戦いにもつながったのだ。

 近年では、2014年春に大商大堺、上宮太子、PL学園といった強豪私学をすべて1点差で下し大阪3位となった。一昨年も、最後はその夏の代表校・大阪偕星学園に準決勝で敗れるもベスト4入りを果たすなど、着実に力をつけてきた。

 今年のチームは、昨年秋は5回戦、春は3回戦で敗れたが、センバツ帰りの履正社を練習試合とはいえ11対9で下すなど、力は秘めていた。この夏の戦いを振り返っても、8試合で99安打、63得点とバッティングのチームらしい戦いを見せた。はたして、近年のチームカラーとなった強打はどのようにつくられてきたのだろうか。

 これまで2002年と2014年の2回、大冠のグラウンドを訪ね、じっくりチームを取材する機会があった。最初に訪ねたとき、東山監督は投手力を含めた守りについて多くを語ったが、2度目のときは「打たないと大阪は勝ち切れない。今は練習の7割がバッティング中心」とはっきり語っていた。理由は明快だった。

「春や秋も含め、ベスト8や16に入るようになりましたが、そこから3つ、4つ勝つには、打たないとダメだとわかったからです」

 ただ練習時間は、平日は3時間半程度で、フリーバッティングは他部との兼ね合いもあり朝練でしか行なえない。そこで「スペースを見つけたらとにかく振る」(東山監督)と、工夫を重ねてきた。

 たとえば、大冠には”10種類の素振り”というメニューがある。これは10種それぞれに体重移動やインサイドアウトのスイング軌道など、目的を定めてスイングする練習だ。バットも長尺、短尺、打ち込み用の重量バット(金属)、鉄のバット、さらに不要になったバットに針金を巻きつけたものなど、何種類かのバットを使い分けながら、平日は1000本、土日は2000本の素振りを続けてきた。

 その結果、各選手のヘッドスピードは格段に上がった。東山監督は言う。

「ヘッドスピードが上がると、飛距離が出るのはもちろんだけど、ボールを待てるし、長くボールを見られるから見極めもよくなる」

 食事に対する意識改革にも取り組んだ。振って、食べて……パワフルなバッティングをつくり上げていった。

 今回のレギュラーメンバーを見ても、中学時代に硬式のチームでプレーしていたのは2人だけ。大半は中学校の野球部に所属していた軟式出身者だ。ただ、部員数は常に100人前後の大所帯。大会直前まで全員が同じメニューの練習をすることも人気の秘訣になっている。

 また、父兄向けに野球部の魅力や活動報告を兼ねた『ワインドアップ』という野球部新聞をマネージャーが作成しており、これを近隣中学校の野球部にも配布。こうした地道な活動が部員確保につながっている。

 エースの丸山惇も中学時代は一塁手兼投手の選手だった。東山監督が振り返る。

「周りの左投げの選手はあちこちに誘われて、丸山は言わば残っていた子。その丸山がこれだけ投げてくれた。ここまでの高校2年半でこの成長は本当に嬉しい」

 その丸山の成長もあって決勝の舞台まで勝ち上がったが、夏の大阪大会で公立校の決勝進出は、1998年の桜塚以来19年ぶり(この年は記念大会のため大阪から2校が出場し、桜塚は北大阪大会の決勝に進出)。また公立校の甲子園出場となれば、当時2年生の中村紀洋(元近鉄など)が投打の中心としてチームを引っ張った1990年の渋谷(しぶたに)以来となる。今回の大冠の活躍を報じるニュースには、必ず「公立の……」というひと言がついた。しかしチームに公立という意識もなければ、私立への気後れもない。

 かつて東山監督にも「打倒・私学」を強調していた時期があったが、3年前にチームを訪ねたとき、当時の主将は「このチームに”打倒・私学”という言葉はありません」ときっぱり口にしていた。

“私学コンプレックス”を消そうと、東山監督の大学(日体大)の先輩である高嶋仁監督の智弁和歌山や、同級生の岡田龍生監督の履正社、ほかにも愛工大名電(愛知)、関西、創志学園(ともに岡山)、松山商(愛媛)といった強豪校との試合を積んできた。

 大会での実績がなかった当初は「近くまで来たので、寄らしてもらいました」と東山監督が偶然を装って、練習グラウンドを訪ね、試合を申し込むこともあった。そうした努力もあり、対戦を重ねるなかで、今では”私学”への意識はチームから完全に消えた。

「5番・捕手」で主将の猪原隆雅は、決勝で敗れた後、こう語っていた。

「バッティング中心のチームをつくってきた自分たちの野球はできました。これだけの試合ができて、悔いは残っていません。ただ、2点足りなかったのは何かが足りなかったということ。そこを後輩たちは考えてほしい」

 主将として後輩たちに思いを託しつつ、勝者のような清々しい表情からは「オレたちの野球をやりきった」という充実感が伝わってきた。

 安打数は、大阪桐蔭の15本に対し13本。まさに互角の打ち合いだった。ただ、猪原はこうも語っていた。

「振る力では僕らも負けてないと思いました。でも、技術が違った。大阪桐蔭の選手はしっかり芯で捉えてミートするので、ひとつ間違えればホームランになり、長打の確率も高くなる。今日も大阪桐蔭にホームランが出て、僕たちは出なかった。そこに技術の差があると感じました」

 とはいえ、ホームランこそ出なかったが大冠はこの試合で6本の長打(すべて二塁打)を放った。これに対して大阪桐蔭はホームランを含め長打は5本。数字的には大冠が勝っている。しかし、4対4の同点で迎えた6回裏、大阪桐蔭の藤原恭大に喫した一発が強く頭に残ったのだろう。猪原がマスク越しに感じた”差”を、これからどう埋めていくのか。

「また、バッティングのチームをつくります」

 陽が傾いたグラウンドで東山監督がそう言い残し、大冠の長く、熱い夏は終わった。