今年もまた、夏の甲子園の季節がやってきた。都道府県を勝ち抜いた49校が、日本一を目指して熱い戦いを繰り広げる。頂点に立つ王者以外、48チームは涙を飲んで聖地を去ることになる。しかし、高校野球が見る者の心を打つのは、全力を尽くしながら敗れた選手たちがいるからだ。

 昨年、名門・北海高校のエースで主将をつとめた大西健斗は『敗北を力に! 甲子園の敗者たち』(岩波ジュニア新書)で昨夏の戦いについて詳しく明かしている。22年ぶりとなる初戦突破からの快進撃で決勝まで勝ち進みながら、その決勝で作新学院の前に力尽きた。「甲子園の敗者」はあのとき何を考えたのか? 


◆あのマウンドに立たないと甲子園が嫌な思い出になる

――2016年夏の甲子園。北海は、エース・大西投手を中心に一戦ごとに力をつけていった印象があります。大西投手にとっては二度目の甲子園出場でした。

大西 はい。前の年に甲子園に出ています。でも、先輩たちがすごく強くて、甲子園に連れていったもらった感じでした。甲子園では他校の選手の体の大きさ、分厚さに圧倒されました。

――当時の大西投手の体重は60キロそこそこで、まだまだ線が細かった。1回戦の鹿児島実業(鹿児島)戦に三番手で登板したものの、2安打1四球でワンアウトもとれずに降板。4対18で惨敗しましたね。

大西 開会式直後の試合で、ふわふわして落ち着かない。前のピッチャーが打たれて僕に登板機会が回ってきましたが、どんなボールを投げたかさえ覚えていません。ひとつもアウトをとれませんでした。甲子園は怖いところで、もう行きたくない、ここで投げるのは自分にはまだ早いと思いました。僕にとっては、消してしまいたい過去です。悔しさだけが残りました。

――最後の夏、南北海道大会で大西投手は4試合すべてに先発・完投して、2年連続で甲子園の土を踏むことになりました。

大西 もちろん、前年の屈辱があったので、あのマウンドに立って勝たないと、甲子園が嫌な思い出で終わってしまうという思いはありました。だから、南北海道の代表になれてうれしかった。「また甲子園のマウンドに立てるんだ」と思いました。

――大西キャプテンが引き当てた初戦の相手は松山聖陵。アドゥワ誠投手(現・広島東洋カープ)がプロ注目の選手として話題を集めていましたね。

大西 あの試合で僕は、野球というスポーツの素晴らしさを再認識しました。松山聖陵には気持ちのいい選手がたくさんいて、誠実に野球に取り組んでいるチームだなと感じました。デッドボールをぶつけたら逆に気遣ってくれましたし、最後までフェアプレーばかりで。「野球って本当にいいな」と試合をしながら思っていました。

――大西投手、アドゥワ投手の投げ合いが9回まで続き、最後は北海がサヨナラで勝利をつかみました。

大西 サヨナラ勝ちという結末だったこともあって、「次も勝ちたい」「もっともっと勝ちたい」と思いました。「甲子園ってこんなにもいいところなんだな」と。北海にとって22年ぶりの夏の勝利でしたが、自分たちが強くないことはわかっていましたから、僕だけでなく、チームメイト全員が大きな目標を口にすることはありませんでした。

――決勝に勝ち上がるまで危ない場面はたくさんあったのに、そのたびごとに冷静にピンチを切り抜けていった印象です。

大西 準決勝の秀岳館(熊本)戦では「ヤバいな」と思いました。僕の右腕はしびれていて、もう力が入りません。ピンチで秀岳館のスタンドから「あまちゃん」のテーマが流れてきます。その音に合わせてアルプススタンドの人たちが揃って応援するのを「うわっ、すごいな〜」と感心しながら眺めていました。

 マウンドに集まった野手とは「ヤバいけど、面白くなってきたね」「みんな、すごく揃ってるぞ」「オレたちの応援だと思おうよ」「そうだな、地元はオレたちのほうが近いしな」などと話をしました。ジョークを言えるような雰囲気で、ピンチだけど、深刻ではありませんでした。「どうしよう……」という選手はひとりもいなくて、本当にいいチームになったと思いました。「好きだな」と思えるチームメイトでした。

◆KOされてレフトの守備位置で聞いた言葉

――たったひとりで投げ続ける大西投手に異変が起きていました。右腕はずっとしびれていたそうですね。

大西 甲子園の舞台でアドレナリンが噴き出していたはずですが、それが効かないくらい痛みがあって、ボールを握っている感覚さえありませんでした。「これ、スライダーの握りだよな」と確認しながら投げていました。余計なことを考えず、全力を出すことしか僕にはできません。もうボロボロで、「オレがやるしかない」という責任感だけで投げました。痛いとか、つらいとか、まわりに感じさせたくありませんでした。

――決勝の相手は作新学院、マウンドには今井達也投手がいました。ともに日本を代表する古豪同士の対決。もし北海が勝てば初めての全国優勝でした。

大西 初回を抑えて、2回も3回も打ち取ったので「いける!」と思ったのですが、4回の微妙な判定で自分のピッチングを見失ってしまいました。甘いコースに入った球を強打され……そこからポンポン打たれてしまいました。

 正直に言えば、マウンドから降りたくありませんでした。後輩にあとを託す形になってしまって、申し訳ないという気持ちもありました。メチャクチャ、悔しかった。でも、後輩に「頑張れよ」と言って、マウンドを降りました。

――疲労のため、フラフラに見えましたが。

大西 でも、自分から志願してレフトに入りました。守備位置まで走っていくと、観客席で拍手が起こって、お客さんたちの声が聞こえてきました。「よく投げたな〜」「お疲れさん」「まだ試合は終わってないからね」と。僕はそのとき、ものすごく感動していました。「これが野球なんだな」と。ずっと野球をやってきて本当によかった。あれだけ弱かったチームが甲子園で勝ち上がって、みなさんに応援してもらったことがうれしかったですね。三塁側からもレフトスタンドからも聞こえてきました。

レフトのファウルフライをフェンス近くで捕ったときには「ナイスキャッチ!」「頑張れ、頑張れ」と聞こえてきました。僕自身、打たれてマウンドから降りたことで落ち込んでいたのですが、声援のおかげで上を向くことができました。マウンドでは後輩が投げています。僕の声は届かないかもしれないけど、思いが伝わればと思って精一杯声を出しました。

――結局、北海打線は今井投手を打ち崩すことができず、1対7で敗れました。

大西 僕自身、マウンドがすべてだと思っていました。だからこそ、降りたくなかったし、誰にも譲りたくありませんでした。でも、レフトの守備についたことで甲子園の素晴らしさに出会うことができました。レフトから甲子園の風景を初めて見て、「甲子園はこんなにすごいところなんだな」と思いました。

――もしあのままマウンドで投げ続ければ、甲子園の本当のよさに気づかなかったかもしれませんね。外野スタンドのファンの声を自分の耳で聞くことはなかったでしょう。

大西 あの瞬間、僕の野球に関する考え方が変わりました。打たれたおかげですね。準優勝という結果に終わりましたが、正直、負けてよかったと思っています。もちろん、メダルの重みを感じましたし、最後に勝てなかった、日本一になれなかったという悔しさはありました。でも、試合後に閉会式の準備があって、ベンチ前に待機して、選手たちと笑いながら「甲子園、楽しかったね」「みんな、頑張ったよな」と話をしました。負けたことについて、涙は出ませんでした。

 ただ、アルプススタンドにあいさつに行ったとき、学校の人たちやファンの方がフェンスのところまできて「よく頑張った」「お疲れ!」と言ってくれました。それを見た瞬間に泣いてしまいました。それまでしんどいことしかなかったのですが、このとき「野球をやってきてよかった」「野球は最高だな」と思いました。

――もし、大西投手が全国優勝を果たしていたら、この感情は沸いてこなかったかもしれません。

大西 負けてしまったから、「これからどうすればいいか」を考えることができました。負けて「どうあるべきか」という課題を見つけることに意味があると思います。甲子園がそれを教えてくれました。


大西健斗(おおにしけんと)
1998年11月、北海道生まれ。2015年夏、全国選手権1回戦で甲子園初登板を果たしたが、ワンアウトもとれずに降板。2016年夏には、エースで主将として甲子園に出場した。決勝の作新学院戦では途中降板したものの、5試合すべてに先発し、北海高校の準優勝に貢献した。現在は、慶應大学野球部に所属。春季リーグ戦で神宮デビューを果たした。