パラリンピックの登竜門と言われる「アジアユースパラ競技大会」が、ドバイで12月9日から4日間の日程で行なわれた。87選手(7競技)が参加した日本は、金メダル43個を含む98個のメダルを獲得。金メダルランキングでは、中国やイランを抑えて1位に輝き、日本パラリンピック委員会の中森邦男事務局長は「すごくうれしいこと。ひとりでも多くの選手が2020年の日本代表になれるよう、がんばってもらいたい」と満足そうに語った。

 なかでも大量の金メダルを獲得したのが水泳だ。そのうちのひとり浦田愛美(まなみ・14歳)は、競技歴わずか2年でパラリンピックの有望選手と呼ばれる逸材である。2歳のときに病気で左足の膝から下を切断。中学の部活で水泳を始めると、瞬く間にその才能を開花させ、記録をぐんぐん伸ばしている。

「水泳にハマっています。部活では健常者と泳いでいるし、50mを60本全力で泳ぐようなきつい練習とかは本当に苦しいんですけど、泳ぎ切った時の達成感が最高。始めたばかりで偉そうなことは言えないけど、水泳がとにかく大好きなんです」

 今大会は4種目に出場し、100m背泳ぎで金メダル、400m自由形で銀メダルを獲得(ともにS9)。初めての表彰台を経験し、弾ける笑顔を見せた浦田は、こう明言する。

「私の目標は2024年のパリです」

 そのための課題のひとつが、1本足で行なうスタートやターンの後の浮き上がりだ。

「私の浮き上がりが遅いのは、今まで足がないからだと思っていたんです。でも、パラ水泳の大会に出るようになって、同じ障がいでも早い選手がいるから自分の練習不足なんだと痛感しました。このままじゃ誰にも勝てない。練習して改善しないと」

 尊敬するのは、同じ障がいのトップスイマーで、リオパラリンピックで金メダルを獲得したエリー・コール(オーストラリア)。しなるような美しい片足ターンを習得しようと、ドバイでもその動画を繰り返し見てレースに臨んだ。「泳ぎ方を調べているうちに、コール選手は水泳が好きで、子どものころから地元の海で泳いでいたエピソードに触れました。私もこの先、水泳が好きという気持ちを忘れないようにしたいです」

 ひたむきで貪欲。そんな長所を生かし、スポンジのように吸収する浦田の成長は止まらない。

 初めての日本代表という経験を糧にした選手もいる。視覚障がい者のゴールボールで2020年の活躍が期待される金子和也とともにフル出場した佐野優人(ゆうと・17歳)だ。

 ゴールボールは女子がロンドンパラリンピックで金メダルを獲得している一方、男子はまだ一度もパラリンピックの大舞台に立ったことがない。自国開催を控えるなかでユース世代がメダルを獲り、2020年に向けて強化の励みにしたい思いもあっただろう。

 光明が差したのは初戦だった。8カ国が出場するゴールボール男子は2つのグループに分かれた予選で、日本はイラクと対戦。開始早々、ライトウィングの佐野が得点したことでチームは波に乗り、15−8で何としても欲しかった初戦をものにした。

「体の大きい海外勢と戦っている雰囲気を感じ、すごく緊張しましたが、ひとつひとつのボールに集中し、チームみんなで大事な1点を取ることができました。うれしい気持ちでいっぱい」と、佐野は満面の笑顔で語った。

 工藤力也ヘッドコーチもこう評価する。

「相手のスピードボールに対し、日本は体で止めるのではなく弾いてしまう場面がいくつかあったが、佐野がよくカバーしていた。これぞ他にはない日本独自の3人ディフェンス。守りから流れをつくれたのがあの得点につながったし、佐野が期待に応えてくれました」

 だが、強豪イラン、中国と同組だった日本は、その後2連敗し予選敗退。強豪国との差をちき突けられたものの、大会を乗り切る体力の必要性や日本代表を背負う重圧を経験したことは必ずや今後につながる。

「こんなこと言えるのは最初だけですけど、チームとして準備や試合の入り方ができていなかったと思う。マイナスから得るじゃないですけど、残された時間のなかで同世代の中国などにどうやったら勝てるのか、しっかり考えて次に進みたいです」

 実直で全力。ゴールボールに真剣だからこそ感じたプレッシャーが佐野の糧になる。

 しなやかなスイングから繰り出されるショットは、練習を重ねてきた通り目標球の前の位置でピタリと止まる。13〜21歳のジュニアで争われたボッチャ(脳性まひ者らの男女混合の競技で、パラリンピックでは障がいの程度によりBC1〜BC4にカテゴリー分けされる)の会場に、伊藤彩水(あやみ・21歳)の姿はあった。

 彼女が戦場とする「BC2」は、リオパラリンピックの団体戦で銀メダルを獲得した日本の2大エース杉村英孝と廣瀬隆喜が属するクラス。中学2年からこの競技を始め、すぐに頭角を現した伊藤だが、今年7月の日本ボッチャ選手権大会西日本ブロック予選会では、混戦を勝ち抜くことができず本戦へ進出できなかった。本戦で上位にならなければ、日本代表メンバーになれない。それどころか目標とするふたりとの対戦も叶わず、「どうしたらいいのかわからなくなったしまった」と落ち込んでいた伊藤は、杉村を育てた名コーチの内藤由美子さんの言葉で心が救われたという。

「ファーストボールをきちんと決めるとか、寄せられたら弾くとか基本的なことをひとつずつやっていくと木は葉をつけて大きくなっていく。それができると予選会で勝てて、本戦に行けて、そこから強化選手になるとパラリンピックに出れるよと、順序立てて教えてくれたんです」

 その内藤コーチとふたりで撮った写真をスマホの待ち受け画面にし、ドバイに乗り込んだ伊藤は、予選を2勝1敗で勝ち抜き、決勝トーナメントに進出。準々決勝では2点ビハインドの第3エンドで、ラスト1球を目標球にしっかり寄せて絶体絶命のピンチを切り抜けた。試合後「隙間が空いていたのでそこを狙いました」と冷静に戦えた点を勝因に挙げた伊藤は、4−2で試合を決めて、こらえていた涙を流した。続く準決勝では強豪タイ選手に、3位決定戦では韓国選手に敗れメダル獲得はならなかったが、村上光輝監督も「アジアの高いレベルのなかでセミファイナルを勝つすごい経験をした」と、彼女の躍進を高く評価する。

 大会を通して自信を手にした伊藤の次のステップは国内を勝ち抜くことだ。

「またこういう世界大会に出たいので、ボッチャの技術を高めたい。ほかの国の選手はほとんどファーストボールをピタリと決めていて、それだけじゃなく『相手ボールを弾いて自分のボールを寄せる』という技も決めていたので、そんなプレーをどの位置でもやれるように練習を重ねたいです」

 4回目の開催だったアジアユースでたくましく変貌した選手たちを、2020年の東京、そして2024年のパリで見られる日を楽しみに待ちたい。