『羽生結弦は未来を創る〜絶対王者との対話』 
第Ⅲ部 異次元の技術への挑戦(3) 

数々の快挙を達成し、男子フィギュアスケートを牽引する羽生結弦。常に挑戦を続ける桁外れの精神力と自らの理想を果敢に追い求める情熱を持つアスリートの進化の歩みを振り返る。世界の好敵手との歴史に残る戦いや王者が切り拓いていく未来を、長年密着取材を続けるベテランジャーナリストが探っていく。 


NHK杯SPで歴代世界最高得点を獲得した羽生結弦

 2015年のスケートカナダで、羽生結弦は、1年間の休養から復帰してきたばかりのパトリック・チャン(カナダ)に敗れ、優勝を逃したことを悔しがっていた。だが羽生は、その悔しさを次への挑戦のエネルギーにした。

 1カ月後のNHK杯の公式練習は、ショート・プログラム(SP)の曲かけで冒頭に4回転サルコウ、その後に4回転トーループ+3回転トーループを入れる、4回転2本の新しい構成を披露。そして練習後の記者会見で、その構成に本番で挑むことを表明した。羽生は理由をこう語った。

「スケートカナダでショート、フリーともに演技後半に4回転を入れるプログラムをやって、『もうちょっと挑戦できるな』と思いました。エキシビションの練習でも、イーグルからの4回転サルコウや4回転トーループをやってみたら感覚が良かったので、難しい構成ではありますが、やってみたい、と。後半の4回転は、後々にショートでも4回転を2回入れるための練習だと考えていたので、ブライアン(・オーサーコーチ)は『もうやるのか』とビックリしていましたが、スケートカナダ後にトロントへ帰る時にはすでに決めていました」

 後半の4回転ジャンプに挑む予定だった前季は、初戦の中国杯SPで試みたものの、フリーの前に衝突のアクシデントに見舞われた。結局、そのプログラムは挑戦できたのは1回だけだった。


2015年NHK杯で完璧な演技を見せ優勝した羽生

 結局、2015ー16シーズンに再挑戦することになり、羽生は初戦のオータムクラシックとスケートカナダでその構成を試みた。いずれの演技もミスが出たが、そこで羽生は「もしノーミスでできたとしても、それは前季に挑戦しようとしたことに過ぎないし、さほど成長したとは言えないのではないか」と考え、さらに難度の高い構成に変更することを決めたのだ。

 また、15ー16シーズンの中国杯でボーヤン・ジン(中国)が4回転ルッツ+3回転トーループを成功させたことも、その思いに拍車をかけたのだろう。

 そして、このNHK杯SPで、羽生はそれまでの2戦で感じられた、後半の4回転を意識し過ぎたことによる窮屈さを一変させ、伸びやかに滑った。

 冒頭の4回転サルコウは、羽生自身が「よく耐えられた。ブライアンにもそう言われた」と苦笑するように、着氷で前に倒れそうになりながらも、エッジの先で何とかバランスを保つジャンプだった。しかし次の4回転トーループ+3回転トーループは、6分間練習でも見せていた完璧なジャンプとした。GOE(出来栄え点)で2.57点の加点をも受けた。

 フライングキャメルスピンもスピード十分のレベル4で、GOEは2点と3点が並んだ。後半に入ってすぐのトリプルアクセルもきれいに決めた。ステップシークエンスも気合いが入った切れ味の鋭い滑りでレベル4をもらうなど、躍動感あふれる演技。歴代世界最高の106.33点を獲得した。

「この1カ月間は、自分でもビックリするくらいに一生懸命練習をしてきました(笑)。ボーヤン・ジン選手が95点台を出しましたが、彼は自分ができることを精一杯やったからその得点が出た。僕も僕のできることをやるだけだと思っていました。失敗を恐れながらではなく、久しぶりにワクワクしながらやれました。完璧ではなかったけど全部のジャンプを立ったので、そのうれしさも久しぶりです」

 さらに、"魅せる"ステップを披露できた要因については、「最後のトリプルアクセルをしっかり決められてスピンも思い切り回れたので、気持ちよく演技ができたという感じです」と手応えを語った。

 2シーズン目になったSP曲「バラード第1番ト短調」。これまで「なかなかノーミスをさせてくれない曲で、(挑戦する)楽しさがあった。ピアノの旋律を、やっと自分の心から演技することができたと思うので、その意味でも、あらためて楽しいプログラムだと実感しました」と振り返った。そして、ついにこの大会で、完璧な演技を達成したのだ。

 そうして喜びの表情を見せた羽生は「フリーへ向けてしっかり気持ちを切り換えていかなければいけない」と、すぐに次を見据えていた。

 翌日のフリーでは、それまで苦しんでいた後半の4回転トーループ+3回転トーループをきれいに決めた。SPに続いて216.70点の歴代世界最高得点を出し、合計も史上初の300点超えとなる322.40点とした。後半の4回転という、「難しい」と考えられていた固定概念も乗り越えた。

 さらに中1週間を置いたグランプリ(GP)・ファイナルは、高得点を期待される重圧と疲労の中でも、SPで4回転サルコウと、4回転トーループ+3回転トーループをGOE満点の3点をもらって110.95点。フリーも完璧な滑りで219.48点を獲得し、歴代世界最高得点を再び塗り替え、合計は330.43点とした。新たな構成も手の内にしたのだ。

 挑戦することで自らの心を鼓舞し、一気の進化を実現する。それは羽生の真骨頂だともいえるだろう。

*2015年11月配信記事「世界最高得点更新。羽生結弦がNHK杯SPで感じた『久しぶりの気持ち』」(web Sportiva)を再構成・一部加筆

【profile】
羽生結弦 はにゅう・ゆづる 
1994年12月7日、宮城県仙台市生まれ。全日本空輸(ANA)所属。幼少期よりスケートを始める。2010年世界ジュニア選手権男子シングルで優勝。13〜16年のGPファイナルで4連覇。14年ソチ五輪、18年平昌五輪で、連続金メダル獲得の偉業を達成。2020年には四大陸選手権で優勝し、ジュニアとシニアの主要国際大会を完全制覇する「スーパースラム」を男子で初めて達成した。 

折山淑美 おりやま・としみ 
スポーツジャーナリスト。1953年、長野県生まれ。92年のバルセロナ大会から五輪取材を始め、これまでに夏季・冬季合わせて14回の大会をリポートした。フィギュアスケート取材は94年リレハンメル五輪からスタートし、2010年代はシニアデビュー後の羽生結弦の歩みを丹念に追っている。

著者:折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi