2020年度下半期(20年10月〜21年3月)にて、スポルティーバで反響の大きかった人気記事を再公開します(2021年3月20日配信)。

*   *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *

『特集:We Love Baseball 2021』

 3月26日、いよいよプロ野球が開幕する。8年ぶりに日本球界復帰を果たした田中将大を筆頭に、捲土重来を期すベテラン、躍動するルーキーなど、見どころが満載。スポルティーバでは2021年シーズンがより楽しくなる記事を随時配信。野球の面白さをあますところなくお伝えする。

※  ※  ※  ※  ※

 練習中のグラウンドを訪れると、お揃いのパーカーを着た中学球児たちが力強く挨拶してくれた。黒地のパーカーの胸には「JUSTICE」の白抜き文字に、階段のイラストがプリントされている。

「JUSTICE」を日本語に訳すと「正義」になる。監督の泉正義(まさよし)は言った。

「まあ、僕のことですよね。階段のマークを入れたのは、『上る時は一段一段だけど、さぼると転げ落ちるよ』と伝えたかったんです」

 階段の説明に深い実感がこもっているように感じられたのは、泉の過去にまつわる噂を耳にしていたからだろうか。


かつてヤクルトでプレーした泉正義氏

 身長188センチの大きな体、整えられたあごひげに澄んだ瞳。ワイルドさと純真さが同居した風貌には、人を惹きつける不思議な色気がある。36歳の泉は現在、栃木県の中学硬式野球クラブ・日光ヤングスワローズの監督を務めている。

 かつてはヤクルトに所属した、プロ野球選手だった。といっても、泉がプロで残した実績は皆無に等しい。在籍3年間で一軍出場はおろか、二軍での出場すらなかった。

 その代わり、泉の「武勇伝」は中学時代からまことしやかにささやかれてきた。

・中学時代に起こした乱闘事件が原因で地元の名門校への進学が取り消されたらしい

・チームの監督を殴って謹慎したらしい

・中学校の先生を妊娠させ、子どもがいるらしい

・あえて対戦相手のベンチ前でキャッチボールし、自慢の強肩を見せつけていたらしい

 いくつもの「らしい」が泉を取り巻き、いつしか真実であるかのように一人歩きしていった。

 その一方で、現在の泉は選手に対してこんな話をするという。

「俺みたいな選手をもう生みたくないから、監督をやってるんだ」

 真偽不明の噂が渦巻き、今もなお指導者として野球界に携わる泉正義とはいったいどんな野球人なのだろうか。

 瀬谷シニアの泉と言えば、世代を代表する逸材としてその名が全国にとどろいていた。中学3年生にして140キロ台前半の快速球を武器に、シニア全国選手権など全国優勝すること二度。シニアの全国決勝で投げ合ったのは、緑東シニアの高井雄平(現・ヤクルト)だった。

 向かうところ敵なしだった当時を泉が振り返る。

「練習試合では手を抜くんですけど、公式戦になるとスイッチが入るんです。誰かが自分に憑依してくるみたいに。ストレートを外野に飛ばされたら、次の打席では同じコースにストレートを放る。そんなピッチングをしていました」

 負けず嫌いの気性は、皮肉にも「アウトロー」のコースにも作用した。泉はこう告白する。

「野球もケンカも負けたくないという気持ちが強すぎて......。何一つ負けたくないので、みけんにシワを寄せて常にケンケンしてました」

 たしかにヤンチャなグループの一員として、思春期特有の「やらかし」も多々あった。

 だが、インターネット上に流布されている前出の噂は、泉によると「あること『2』の、ないこと『8』」だという。監督を殴った、教師を妊娠させたという現実離れした噂がいまだに出回っているが、泉は「そんなことやったらヤバイでしょう?」と全面否定した。

 相手ベンチ前でキャッチボールしたという噂も、真相は違った。ブルペンで投球練習していたところ、金網越しに写真を撮ろうとしたファンから「撮りにくいから奥で投げて」と頼まれ、隣のブルペンに移った話に大きな尾ひれがついてしまったという。

 事実ではないことが面白おかしく脚色され、一気に広まってしまう恐怖を感じずにはいられない。泉はなかば呆れるように「たまったもんじゃないですよ」と吐き捨てた。

 ただし、名門校の進学がなくなったことは「本当です」と泉は認める。友人が巻き込まれたケンカに、義憤にかられて参加したのがきっかけだった。その時点で「野球をやめようと思った」という。

 そんなある日、泉が帰宅すると家の前に大人の男性が立っていた。男性は宇都宮学園(現・文星芸大付)野球部長の星野と名乗り、こう告げた。

「まず、耳のお飾りを外そうか」

「お飾り」とは、泉の耳に光るピアスを指していた。泉がいまだに「職をかけて自分を救ってくれた恩人」と感謝する星野英雄(元・文星芸大付監督)との出会いだった。

「星野先生が何度も足を運んでくれたので、ウガク(宇都宮学園)で野球をやろうと思ったんです」


2014年に日光ヤングスワローズを設立した泉正義

 宇都宮学園に進んだ泉は、いきなり1年夏の甲子園に出場。2学年上の片岡保幸(治大/巨人二軍内野守備・走塁コーチ)らと戦い、全国舞台で鮮烈なデビューを飾った。

 だが、そこから泉は長い休眠期間に入ってしまう。「甲子園で自分が取られた1点のせいで負けてしまった」という罪悪感。3年生との充実した野球が終わってしまった虚脱感。そして、右肩に痛みが走り始め「自分のボールが投げられない」という焦燥感。泉は野球部の練習はおろか、学校にも行かない日々を送った。

 手を差しのべてくれたのは、またも星野だった。

「僕が休部した期間、星野先生はあきらめずに課題をつくってくれて、学校にかけ合って首の皮一枚つないでくれたんです。2月には巨人のキャンプに連れていってくれて、一緒に長嶋茂雄監督のノックを見ていました」

 野球への情熱を取り戻した泉は、野球部に復帰する。その後は甲子園に出場できなかったものの、3年秋にはドラフト会議でヤクルトから4巡目指名を受けた。

 プロ入り後、宮崎・西都でのキャンプに、星野が新婚旅行で泉を訪ねてくれた。泉は「星野先生は今でも『宮崎の焼酎が俺の思い出の味だよ』と言ってくれるんです」とうれしそうに話した。

◆天理高・中村良二監督は元近鉄の苦労人。反面教師は「現役時代の自分」>>

 プロでは右肩痛が治らず、わずか3年で戦力外通告を受けた。その後は配管工として働き、横浜でジュニア世代の野球指導者として活動した。指導者になった理由は、星野から受けた影響だった。

「星野先生のように、選手が困っている時、つらい時に僕が支えになりたいんです」

 2014年には栃木県に日光ヤングスワローズを設立。当時、文星芸大付の監督を務めていた星野のために、自分が育てた選手を進学させたいという動機だった。

「なぜ宇都宮ではなく、日光なのか?」と問うと、泉は「僕は戦国武将が好きなんですけど」と前置きして大真面目にこう続けた。

「日光には徳川家康がいるじゃないですか。『だから日光がいい』と決めたんです。毎年、正月には選手たちと東照宮をお参りして家康さんにご挨拶してから練習を始めるんです」

 泉はこれまで、取材の依頼を断ることが多かったという。理由は「まだチームを立ち上げたばかりで結果も出ていないから」。だが、今ではその判断は間違いだったと感じている。


監督の泉正義が期待を寄せる櫻井ゆーや

「この子たちのことを知ってもらいたいんです。取材を受けて、彼らのことを宣伝してやればよかったなって」

 泉はOBを含め、教え子について嬉々として語り始めた。

 身長130センチ台でなかなか打撃の結果が出なかった努力家の選手が、中学最後の試合でヒットを放ち、高校でも野球を続けると言ってくれたこと。

 食べることが好きな巨漢の選手にヤクルト時代から恩人と慕う岩村明憲を介して九重部屋への入門を勧め、厳しい世界で頑張ってくれていること。しこ名は「千代泉志」といい、泉の一字がとられていること。

 なかでも口調に熱を帯びたのが、新2年生の櫻井ゆーやの話題だった。櫻井は両親ともタイ国籍で、本人は日本で生まれ育っている。身長174センチ、体重89キロのたくましい体で、太ももの厚みは目を見張る。

 小学生時は力任せにプレーしていた櫻井だったが、泉の指導を受けてから才能が花開きつつある。投げては最速130キロを超え、打っては中学通算11本塁打をマーク。練習中のロングティーではレフトまで91メートルのグラウンドでサク越え弾を連発した。豪快かつ角度のあるスイングは中学生とは思えなかった。

「今まで13年指導者をしていますけど、素材は一番ですね」

 そう語る泉だが、指導者としての目標はプロ野球選手を育てることでも、全国大会で優勝することでもない。泉は「ヤンチャだった自分が、今さらなに言ってるんだと思われるでしょうが」と苦笑しつつ、こう語った。

「これは選手や保護者にも言っていますが、最高学年の選手は絶対に試合で使いたいんです。たとえ勝てなくてもいいので、『野球が楽しい』という感覚でやってもらいたい」

 試合に出るからこそ野球は楽しく、試合に出ることで責任が芽生える。最上級生全員を試合で起用するため、1学年あたり10人程度の選手数が理想。泉はそのように考えている。上級生が優先的に試合に使われることで、実力のある下級生から不満が出ないのか。下級生の櫻井に問うと、こんな答えが返ってきた。

「先輩たちは団結力がすごくあって、きつい練習をみんなで声をかけ合って乗り越えてきたので。僕は先輩たちが試合に出るほうがいいと思います。その雰囲気は自分たちの代でもマネしたいです」

 ただ試合に使うだけでなく、誰もが「試合に出る資格がある」と認める選手に育てる。それが泉の新たな挑戦なのだ。

── もし野球がなかったら、どんな人生だったと思いますか?

 泉に聞くと、「たぶん、まともな人生じゃないですよね」と笑い、こう続けた。

「野球があったから救われたところはあります。恩返しだなんて大層なことは言えないけど、こんな田舎のチームでも子どもたちに野球の楽しさを教えて、少しでも貢献できたらいいなと思います」

 今もネット上でのデマの流布や誹謗中傷は続いているという。

 それでも、泉が卑怯な攻撃に屈することはない。たとえ道を外したとしても、いくらでもやり直しがきく。泉正義は自分の人生をかけて、そのことを証明しようとしているのかもしれない。

著者:菊地高弘●文・写真 text & photo by Kikuchi Takahiro