新たな小田凱人が誕生した。

車いすテニス「NEC 車いすテニスマスターズ」が現地時間6日、オランダで開催され、小田凱人が史上最年少16歳5カ月29日で優勝を成し遂げた。同大会は、上位8人が出場できる世界ツアー最終戦。決勝ではグランドスラム6勝を誇るアルフィー・ヒューエット(イギリス)をストレートで破り、まさに自身の力が世界一に勝る実力があることを証明した。

ヒューエットと言えば、小田を15歳でプロ転向に踏み切らせたキーパーソン。今大会のマスターズを19歳で制覇し、現在世界ランクNo.1の最年少記録(20歳1カ月23日)を保持。その記録を打ち破るためスタートを切った小田のプロ生活。今の旅路を「最年少記録をつくる運命」と形容し、驚くべき速さで成長を遂げている。

■負けるたびに変わっていった目指すべきテニス

ジュニア世界No.1としてシニア大会へ参戦し始めたのは去年のこと。今春からグランドスラム大会(以下GS)に次ぐITFスーパーシリーズに参戦できるようになり、夢に描いたトップ・プレイヤーたちと競い合いはじめた。

ヒューエットと初対戦が叶ったのは2月のことだ。がむしゃらに挑むものの「あの時は本当にボコボコにされましたね」と苦笑いをみせるほど完敗だった。ヒューエットの力強いショットには、あの国枝慎吾でさえ唸るほど。だが、その豪快なショットで攻め込んでくる展開に対しても小田のショットは引けを取らない。その手応えが「トップクラスでも通用する」と己の可能性を信じきる引き金となった。

全仏オープンが車いすテニスへの参戦人数を従来の8人から12人へ拡大したタイミングで、当時9位にいた小田に初のGS出場のチャンスがやってくる。その機会を活かし見事にベスト4へと進出し、ランキングをひとつ押し上げた。ウィンブルドンでは実績を認められ、期待の若手として主催者推薦枠を獲得。全米オープンに出場後、楽天オープン決勝では憧れの国枝とドラマチックな激闘を演じ「Tokito Oda」の挑戦を人々の胸に訴えかけた。

すべてが順調。傍から見ればその姿は、8勝と爽快に勝利街道を駆け抜けた昨季に比べると、掴んだタイトルはわずか1つにとどまる。「今年は新たなステージに立って学ぶことが多かった。負けるたびに目指すテニスが変わって、いつしか自然と目指すものと勝つためのテニスが合致しだした」と頭のなかとフィーリングの一致が秋からの好調へと繋がっていると話す。

■プロ宣言から約7カ月で最終戦のマスターズを優勝

小田凱人の快進撃は、まさに今始まったばかりだ  (C) Mathilde Dusol

「テニスを始めた頃から、自分のエースでポイントを取ることがモチベーションだった」と自身の天性の強みで押し切りたい気持ちと同時に「相手にミスをさせることも大事」という周りの言葉を消化しきれていたわけではなかった。それを今季の敗戦からかみ砕くことに成功、マスターズという大きな舞台で今まで以上のパフォーマンスを引き出すことになった。

「今季最後の大会なので勝って終わりたかった」。その意気込みはプレーの質を上げ続け、自ら得意とする速い展開でねじ伏せていく。それは準決勝のヨアキム・ジェラード(ベルギー)でも効果的に現れる。ジェラードは今年のウィンブルドンで1回戦負けを喫した相手。昨年のウィンブルドン覇者であり元世界一位、そしてマスターズ2勝を持つ車いすテニス界の重鎮に対し、どこで勝負をかけるか。「自分の調子も良いから、相手の調子も良くなってくる」。

その際どい心理戦を楽しむようにボールを四方または左右に散らしラリー戦を優位に進めた。相手の動きが少しでも劣勢になったと見ればネットに出てボレーでフィニッシュ。その覇気あるプレーに観客は吸い込まれるように小田へと声援を送るのだった。「最後はリターンをミックスさせながらラリーで打ち勝てたのが勝因」と、これまで2連敗していたジェラードにフルセットの末に初白星を挙げ、初のマスターズ出場で決勝へと駒を進めた。

■勝因はリターンのバリエーション

決勝の相手はこの舞台にふさわしく、世界一位のヒューエットだった。ラウンドロビンでは「自分のやりたいテニスが長い時間できなかった」とストレートで敗れたが「あそこで戦って負けたからこそ情報を得ることもできた」とアルフィーの戦略に穴をあける作戦を持ち込む。

それはリターンゲームの仕掛け方にあった。「このレベルで勝つためにはリターンを完成させる必要があった」。小田にとってリターンは、ここ数カ月の取り組みでもウェイトを置いてきたショットだ。ジェラード戦でも重要な鍵となった。「サービスは僕自身の武器でもありますが、他の選手も本当に力強くて精度が高い。2ゲーム引き離しリードを広げるためにはリターンでの勝負が必要だった」と続ける。

これまでは外に出されたとき、スライスやロブを使ってセンターの深さを確保することを一番としてきた。だがトップ選手と当たるときほど、その後に主導権を取られることが多い。そのため「追い出されたからこそショートクロスやストレートを狙うことでプレーの幅が広がった」と勝負所でのリスクと確率を天秤に図れるようになってきたという。これにより今まで使っていたボディへの返球もさらに効果的となり、今までとは違うチャンスを引き寄せられるようになった。

優勝から凱旋帰国記者会見にのぞむ小田凱人 提供:トップアスリートグループ

誰もが目を見張るほど大きくなった身体で、小田は他の選手よりもクルクルとまわるように動きを止めない。車いすテニスに必要な体感の強さと瞬発力を磨き「もし主導権を取れなかったときも、今の自分なら動き回って逆襲できる」とフィジカルの強さが光った。そして以前は「球威があっても時間と共に対応されてしまう」と感じてきたことも「わざと相手に打たせてパッシングを抜いたり、球威があるからこそドロップが効いていた」と今季の遠征でバリエーションを磨いてきたことが結果につながった。

それは試合後の「自分のやりたいテニスが終始、できたから勝てた」という言葉につながるだろう。打つことだけじゃないテニスの綾を学んだからこそ、自身の最も強みである「1級品のショット」で勝ちきれたのだ。これまで1セットも取れずに負けていたヒューエットに6−4、6−3と突き放し、見事「世界一」の称号を手にいれた最高の瞬間となった。

■最年少記録を狙い続けてきた真意

晴れて凱旋帰国を果たした小田は、またひとつ増えたトロフィーを横に「最年少記録を狙える場所にいられるのは運もある」と語り出した。

サッカー少年が9歳で左股関節に骨肉腫を患い、人工股関節の手術の先にテニスと出会った。興味が沸いたのは、世界へと続く競技者としての道。自国にいる国枝慎吾というスーパースターの存在がその背を押した。資金をかけ飛び出した多くの国では、様々な境遇からテニスに賭ける仲間に出会う。そのすべてを一度振り返るようにし、最後に出た言葉はとても純粋な夢にかける想いのように思われた。

「僕がテニスを始めた頃からトップ8人はあまり変わっていないんです」そう切り出すと、急に少年らしい笑みが顔をだす。「その頃に見た選手が何年プレーを続けてくれるかは分からなかったですが、その選手たちと同じ舞台に立って、より長い時間一緒に戦いたかった。そしてそのメンバーに勝ちたい。だから必然と最年少記録を出し続けないと辿り着かないと思いました。それが最年少記録と言い続けてきた理由です」。

マスターズ優勝でランキングは世界4位へジャンプアップ。次に16歳が目指すタイトルは年明けの全豪オープンだ。「このメンバーと戦いたい」そう描いた6年前の夢のなか、小田はいま眩しいほどの光を放っている。

著者プロフィール

久見香奈恵●元プロ・テニス・プレーヤー、日本テニス協会 広報委員

1987年京都府生まれ。10歳の時からテニスを始め、13歳でRSK全国選抜ジュニアテニス大会で全国初優勝を果たし、ワールドジュニア日本代表U14に選出される。園田学園高等学校を卒業後、2005年にプロ入り。国内外のプロツアーでITFシングルス3勝、ダブルス10勝、WTAダブルス1勝のタイトルを持つ。2015年には全日本選手権ダブルスで優勝し国内タイトルを獲得。2017年に現役を引退し、現在はテニス普及活動に尽力。22年よりアメリカ在住、国外から世界のテニス動向を届ける。