家族のこと話そう

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(岡本沙樹撮影)


小6で不登校 原因はいじめ、気付かなかった

 40代のころ、当時小学6年の長男がある朝突然、布団から起きてこられなくなりました。原因は、学校でのいじめでした。

 同じクラスに、クラスメートと支配的な関係をつくる子がいた。嫌がる息子を仲間と取り囲み、帰宅途中に駄菓子屋であれこれ買わせたり、靴や服の悪口を言ったり。陰湿ないじめがあったようです。私は気が付きませんでした。

 当時、裁判官として山形県の裁判所に勤めていて、担当した少年事件の中には不登校の子どももいた。審判で「学校は無理して行くところじゃない」と話してました。

 でも、自分の子どもが実際に不登校になると、そう言えなかった。ちょうど春から金沢への転勤が決まり、中学校から環境が変わることになった。そうすれば息子の気持ちも変わると思ってました。

育て方が原因? 自分たちを責める地獄の日々

 中学1年の1学期はものすごく頑張って学校に行ったと思う。夏休みを終え、2学期からは「学校での集団生活に疲れる」と、さみだれ登校になった。2年生からはほぼ行けない状態になりました。

 それからは親にとって、地獄にいるような思いに。先のことが心配で焦りました。一番やっかいだったのが、自分たちが甘やかして精神的に弱く育てたのではないのかと思ってしまうこと。妻は自分の子育てを責めるし、この時期が一番つらかった。私は仕事でのストレスもひどくなって、過労で入院しました。

 その時、赤ん坊だった息子を抱っこする夢を見た。息子を恨んで死んでいくことがあってはいけない。この子が生きてくれていたら、それでいい。そう思いました。

がーんときた。子どもたちの本音はこれだ

 退院してから、本当にやりたいことをやろうと、思い切って裁判官をやめ、弁護士として子どもの問題に関わることにした。ちょうどその頃、ある集会に参加し、不登校の子どもたちが壇上で「自分は自分らしくありたいけれど、学校ではそれができなかった」と話すのを聞きました。

 がーんときた。子どもたちの本音はこれだ。うちの子も精神的に弱いわけじゃない。むしろ自分らしくあろうとして過ごしていたんだ、と。息子に目を開かされた思いで「今まで分かってなくてごめん」と心から謝りました。息子はフリースクールなどを経て、成人後は事務所のスタッフとして働いてくれています。

 新型コロナによる休校後、学校が再開し、子どもにも先生にも、これまでなかった緊張が生まれている。不安で、学校へ行きづらいという子どもの声も聞こえます。学校は無理して行くところではありません。「休んでゆっくりしたらいいよ」と、周りの大人が声を掛けてあげたいです。

多田元(ただ・はじめ)

 1944年、兵庫県尼崎市生まれ。1969年に裁判官に任官。秋田地裁や名古屋家裁などを経て1988年に退官し、翌年弁護士に。愛知県豊川市で起きた17歳少年による殺人事件(2000年)や名古屋大の元女子学生による殺人事件(2014年)の弁護団の一人で、主に少年事件を担う。全国不登校新聞社代表理事、子どものシェルターなどを運営するNPO法人子どもセンターパオ理事長。

[元記事:東京新聞 TOKYO Web 2020年6月21日]