坂本美雨さんの子育て日記

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何げない瞬間に、やわらかい心が見え隠れ


40歳になって、自分を許す

 舞台「星の王子さま−サン=テグジュペリからの手紙」が無事に幕を閉じ、ホッと身体の力が抜けつつも、一つの恋の終わりが整理できないような気持ちも若干ある。

 まぶたを閉じると、はっきり浮かんでくる光景。出番直前に舞台袖で待機しているダンサーの影。幕が下りてもまだ数秒動きを続けている観客からは見えない演者の姿。こんな光景をわたしは愛していて、その中で歌うことができたのは素晴らしい経験というだけではなくて、これまでの人生をまるごと許してもらったような体験だった。

 幼い頃、親に暗黒舞踏の舞台に連れられて行き、その後シーツをかぶって白塗りに見立てて踊っていたこと、ニューヨークに引っ越し、シルク・ドゥ・ソレイユに衝撃を受け入団を夢見たこと、自分の歌にもどかしさを感じて演劇やダンスをむさぼるように見ていた20代半ばに森山開次さんに出会ったこと。小さい頃から心に残してきたさまざまな風景、理由もなく好きにならずにいられなかったこと、悲しみも喜びも全部が今自分の身体そのものになっている。この身体で息をして、息を声に変えて放っている。

 この舞台でわたしが得たものは「許し」だった。おおげさに言えば、「よくこれまで生きてきたじゃない」ということだ。今年40歳になったが、やっと自分に優しい言葉を向けられるようになった。

宮沢賢治さんの美しい言葉

 近ごろ、宮沢賢治さんが「注文の多い料理店」の中で書き残した美しい言葉を反すうしている。《けれどもわたくしはこのちいさなものがたりの幾きれかが、おしまい、あなたのすきとおったほんとうのたべものになることを、どんなにねがうかわかりません》

 心が喜んだこと、美しいと思ったこと、好きと感じたこと。特に幼い頃にそう感じたことは、いずれ人の「ほんとうのたべもの」になる。心のやわらかいところに置いてあるそれらを消えないようになんとか守らねばと思う。親が子どものやわらかい部分を守るためには、自分の「ほんとうのたべもの」が消えないようにするしかない。5歳の娘を客観的に見ると、周囲のことによく気がつき気を使いすぎたり、成長するにつれて無邪気なだけではいられないだろうな、と思う。それでも、彼女が今やわらかい所にためているものがいずれ「ほんとうのたべもの」となり、彼女が形作られていくことを、今は深く信じている。 (ミュージシャン)