いじめ撲滅についての講演で児童に語りかける渡辺信二さん


いじられキャラ 先生も笑った

 「自分で自分の命を絶った子どもがいたんだ」。板張りの教室に渡辺信二(54)の言葉が響くと、約60人の小学5年生たちがシンと静まり返った。昨年12月中旬、川崎市中原区の市立今井小学校であった出前授業でのことだ。

 「いじられキャラだった。クラスの中心にいた子からの同調圧力で、みんなに笑われた。先生も笑った」。見てきたかのように語る渡辺。だが亡くなった同市麻生区の篠原真矢(まさや)とは会ったことはない。

 いじめを受けていた篠原は、中学3年で14歳だった2010年6月に自殺した。川崎市教育委員会の指導主事だった渡辺は、いじめの状況や自殺の原因を調査することになった。まず直面したのは、学校の対応に怒りを爆発させる父宏明(56)と母真紀(54)だった。

 篠原は同級生の名前を書き残して自殺した。ところが学校はいじめと自殺との関係について明言を避けていた。「人殺し」。宏明にそう言われても、渡辺はじっと耐えるしかなかった。

 「四十九日までに報告書を持ってこい」。憤る宏明から無理難題をふっかけられたのは、篠原の誕生日の7月23日だった。

 「できません」と渡辺は断った。「もっと真矢さんのことを知りたい。それには時間が足りない」

120人に聞き取り、調べ続けて

 他の職員と分担して進める予定だった聞き取り調査を、渡辺は率先して1人で担った。対象は同級生や教員だけでなく、篠原が通っていた学習塾の他校の友人にも及んだ。その数は120人以上になった。

 週末には必ず宏明宅を訪れ、分かったことをすべて報告した。両親も知らない学校での篠原の姿が少しずつ浮かび上がっていった。宏明は思わず、死後手付かずだった篠原の部屋を「見てください」と申し出た。

 篠原が読んでいた漫画、好きだったアニメ、聞いていた音楽など、渡辺は片っ端から同じものを買って見聞きした。書き写していた歌詞など机の中のメモ書きも読み込み、はまっていたゲーム内に登場する道具の評価まで調べた。

 積み上げた調査を基に、篠原自身がいじめられていた苦しみに加え、同級生をいじめから救えない自分を責め、理想と現実のギャップに悩むあまり自殺に及んだとの結論を導いた。B4判46ページの報告書を完成させたのは、篠原の死から3カ月後。大半は篠原が何を思い、どんなことを気にかけていたのかなどに割き、いじめについてはほんの数ページにとどめた。

 渡辺は「生き方報告書のつもりで書いた」と振り返る。宏明は「真矢の悔しさやつらさや、なぜ死ななければいけなかったのかが、映像で見るかのように記されていた」と喜んだ。

 そして昨年3月末、渡辺は約30年間の教職員生活から離れた。学校現場で続けてきた篠原の死と生を伝える「いのちの授業」を、自分の持ち場以外でも行うために退職したのだ。

 篠原の死から10年以上たった昨年10月の横浜市内。コロナ禍のためオンラインで行われたいじめに関するセミナーに渡辺、宏明、真紀は、そろいのピンク色のTシャツで登壇した。穏やかな雰囲気で、時折笑いも交えて対談した。

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篠原宏明さん・真紀さん夫妻らとオンラインセミナーに出る渡辺さん(左から2人目)=神奈川子ども未来ファンド提供


 3人がそろって人前に立つのは初めて。いじめで自殺した子どもの遺族と市教委関係者が一緒に活動するのは異例だ。机上には、はにかんだようにほほ笑む篠原の遺影があった。

笑っているけど、心の中は違う

 子どものころの渡辺は、本と化石が好きで周りとなじめなかった。一変させたのは小学3年で出会った男性音楽教員。吹奏楽普及に取り組む教員に認められたい一心で、クラリネットを夢中で練習した。受験を控えた兄に迷惑がられても、空の浴槽にこもって吹いた。担任は涙を流して上達ぶりを喜んだ。

 「初めて自分で自分を認めてあげられた」。高校卒業後2年間、プロの演奏家を目指して挫折。思い浮かんだのは、あの担任と同じ小学校教員の道だった。

 母の実家があった川崎市で臨時教員になり、最初に受け持ったのは不登校の6年男子だった。2人だけでボール遊びをしたり視聴覚室を借りて映画を見たりして、信頼関係を築いた。

 ある日、「ちょっと教室に行ってみようか」と呼び掛けると、笑って応じた児童は教室へ向かう途中で、もどした。「笑っているけど、心の中は違う」

 渡辺は荒れたクラスの立て直しを重ねてきた。授業では児童同士の話し合いや聞き合いを重視し、発言している子ではなく、聞いている子の態度に注意を払った。譜面台を持ち込んでクラスの名簿を置き、児童同士の何げないやりとりなどを書きつづった。毎年、1年を終えるころには電話帳ほどの厚さになった。

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児童の様子を記した名簿を見返す渡辺信二さん。1年間で電話帳ほどの厚さになる=東京都稲城市の自宅で


 渡辺の指導は評判を呼び、NHKの番組でもたびたび取り上げられた。教え子の何人かは渡辺の背を追って教員になった。

 児童と向き合いながら充実した毎日を送る一方で、全国で自殺する子どもの多さに頭を悩ませてもいた。篠原のことを伝えるのが自分の周りだけでいいのか−。そんな葛藤から渡辺は退職を決めたのだ。

 報告書の完成後も命日に宏明宅を訪れることを欠かさなかった。宏明から「信二先生が担任だったら真矢が死ぬこともなかっただろう」と言われるほど信頼を得た。宏明たちは2016年、学校問題の解決を目指すNPO法人をつくっていた。退職した渡辺に共に活動しようと声をかけたのも自然な流れだった。渡辺は「それが自分の天命なんでしょう」と受けた。

自分を認め、違いを認め合えば

 渡辺がいのちの授業で必ず紹介する一つのエピソードがある。

 篠原は生前、授業で創作した物語を発表した。弟のクリスマスプレゼントにオルゴールをあげるため、無理して必死に働いた兄が亡くなってしまう物語だった。笑える筋書きでもないのに、同級生たちは笑った。同調して教員も笑った。篠原は途中で読むのをやめた。渡辺は、周囲の無理解と嘲笑が篠原の死に大きな影響を与えたとみている。

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 渡辺は「救えるチャンスはいくらでもあったのに、いろんな偶然が重なってしまった。あの時に『おかしい』って言い出せる同級生が1人でもいれば、教員も気付けた」と悔やむ。

 「いじめはなくならない。同調圧力は大人だってつくる。でも一人一人が自分のことを認め、互いの違いを認め合うことができれば、自死する子は減るはずだ。自死するような子を出すような世界じゃ、真矢さんに顔向けできない」

 今の世界を変えたいと、渡辺は大学で教員志望者に教えることを目標に据えている。(敬称略)

いじめと自殺 

2011年に大津市の中学2年男子がいじめを苦に自殺したことを受け、2013年にいじめ防止対策推進法が施行された。いじめが疑われる自殺や長期欠席などを「重大事態」と定義し、再発防止のための事実確認を義務付けた。文部科学省によると、全国の小中高校と特別支援学校で2019年度に確認されたいじめは約61万件で、うち重大事態は723件。いずれも過去最多だった。児童と生徒の自殺は317人だが、いじめが原因と認められた自殺は10人。遺族が学校側の調査に納得できず、訴訟になる例も多い。