坂本美雨さんの子育て日記

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帰宅してまっさきに、ご褒美のぎゅー


「じょうずだった」と抱きしめてくれた

 思ってもみなかったことに不思議と導かれ、この夏、パラリンピック開会式に出演させていただいた。友人の作曲家、蓮沼執太くんが率いる「パラ楽団」のボーカリストとして。

 コロナ禍でのさまざまな懸念があり、きっと関わる全員が覚悟を要したであろう催しとなったけれど、楽曲の制作が進み、障がいがあるメンバーを含む皆の演奏を聴き、リハーサルを重ねて全貌が見えてくるにつれ、障がいと共に生きる方々の人生を心から歌で祝福したい、という混じり気のない気持ちでいっぱいになっていった。

 出番は夜遅い時間だったけれど、幼なじみのおうちで見守ってくれていた娘。私が遅くに帰宅すると、照れながらも素直にぎゅーしてくれ、「じょうずだった」とメダルのような言葉をくれた。その後はハイになって、やっと寝たと思ったら夜中に珍しく夜泣き。寝ぼけてドタンバタン、ドロップキック、次の朝はお互いなかなか起きられず。やはり、原因が明確でなくとも、無事に開催されるまでのいろんな空気を感じ取って彼女も疲れていたのだろう。

「一緒に何かする」。してあげるではなく

 リハーサルで夜遅くなった日もあったし、自分の出る一場面だけでも家族やスタッフの協力を要した。開会式の物語に関わるキャストや制作陣のみなさんはもっともっと長い間緊張感の中にあり、その家族は一丸となって支えていただろうと思う。

 会場での通しリハーサルの前に一度だけ全キャストとスタッフがそろってのあいさつの場があり、制作の方がスピーチの中で「みなさんのご家族に、ありがとうございますとお伝えください」と言ってくださったとき、思わずウルッときてしまった。何百人もがその場にいたけれど、その何倍もの人々の想いがそこにあることが、目に見えるようだった。

 当事者だけでなくご家族のことを具体的に知り、想像するようになったのは大きな変化だ。娘の記憶に残るかもしれない初めてのパラリンピックを個人的な思い入れをもって見ることができ、競技を見ながら日常的に娘と障がいについて話し合えたことも、とてもよかったと思う。障がいがある人と知り合ったらどうする?と聞くと、娘は「友だちになるよ。いっしょになにかする」と答えた。なにかしてあげる、ではなくて、「一緒にやる」。そうだよねと、またハッとさせられた。 (ミュージシャン)