「海のアトリエ」の表紙


 今年のBunkamuraドゥマゴ文学賞に今月、堀川理万子さん(55)の絵本「海のアトリエ」(偕成社)が選ばれた。1人の選考委員によって選ばれるユニークな文学賞で、今回の選考委員は作家江國香織さん(57)。31回目となる同賞で、絵本作品が受賞するのは初めて。堀川さんに作品について話を聞いた。

江國香織さん絶賛「絵が多くを語る」

 物語は「私」がおばあちゃんの部屋を訪れた場面からはじまる。部屋には、おじいちゃんの大切な形見や、本棚には漱石全集、内田百閒全集が並び、壁には1人の女の子の絵が飾られている。「この子はだれ?」と聞いた私に、「この子は、あたしよ」と答えたおばあちゃん。閉じこもりがちだった子ども時代、海辺にあるお母さんの友達の絵描きさんのアトリエで過ごした特別な思い出を語り始める。

 「一枚ずつすべての絵が、どんなに繊細に、静かに、かつ生き生きと、多くを語っていることか」。江國さんがこう評するように、堀川さんが描く水彩画には一枚一枚、さまざまなものが、まるで手触りやにおいまで伝わるかのように豊かに描かれている。

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絵描きさんの家で過ごす夏の思い出(「海のアトリエ」から 偕成社提供)


 ワイングラスに注がれたスイカの香りのする水での乾杯や大人っぽい食事、夜の読書の時間、朝の体操、海辺の散歩。庭に洗濯物を干したり、一緒に絵を描いたり…。淡々と過ぎる1週間がまるで映画のワンシーンのよう。おばあちゃんにとって、ずっと忘れられない大切な日々であったことが伝わる。”子ども扱いしない”絵描きさんとの伸び伸びとした暮らしの中で、女の子の心はしだいに解放されていく。

4歳で出会った絵画教室の先生がモデル

 舞台を海辺にしたのは、堀川さんの愛読書で、ウィリアム・サローヤン(1908〜81)の小説「パパ・ユーアクレイジー」からの着想だ。マリブの海辺で新しい暮らしをはじめる父と息子を描いた作品で、その雰囲気にあこがれがあった。ふさぎがちな女の子の気持ちをすっきりさせるにも、海という場所は必然だった。「ぜひ絵を楽しんでもらいたい。自分の幼い頃の読書体験から、子どもの時に読んだ本のワンシーンがすごく鮮やかだったり、何気ない言葉がずっと残っていたりするもの。自分にとってのお気に入りの絵や1ページなどを見つけてもらえたら」と堀川さんは語る。

 「海のアトリエ」は、偕成社編集部の広松健児さん(58)が堀川さんに「子どもの頃に出会って影響を受け、今でもそのことを覚えている人は」と問いかけたことがきっかけとなった。堀川さんは真っ先に自身が4歳の頃に出会い、50年近く付き合いのある絵画教室の先生のことを思い出したという。

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テーブルに並べられた大人っぽい食事(「海のアトリエ」から 偕成社提供)


 先生は日常会話でも子ども向けの言葉を一切使わず、自分の哲学を持った人だった。言いたいことをはっきり言ってくれ、堀川さんにとって初めて自分を子どもとして扱わない大人だった。

 堀川さんが30代の頃、病気で1年ほど仕事を休んで復帰した際、今までのように描けないと感じ、先生に自分の絵を見てもらったことがあった。病み上がりの堀川さんを慰めるような言葉は言わず、厳しい意見をはっきりと言ってくれた。「フラットに物事を見てくれる先生を信頼している。人生の節目には会い、アドバイスをもらっている」。絵描きさんのモデルは実は、この先生だ。「先生だったら、女の子にこんなことをするだろうと考えながら創作しました」

子どもたちに「ここではない世界」を

 絵本を読んだ大人たちからは「こんな人になりたい」という声が多く届いている。広松さんは「絵を見せてもらった時、この人たちは実際にいる、と感じた」という。偕成社販売部の宮沢香織さん(34)は「絵描きさんは、江國香織さんやよしもとばななさんの小説に出てくる、まわりに影響されない一つの世界をもった女性たちのよう。2人が最後に過ごす日の女の子の表情は、憧れのお姉さんに少し近づき、何かを一つ乗り越え、大人になっていくような表情にも見える」と話す。

 受賞について堀川さんは、「思いがけない話に言葉を失った。社会に出て、何かの賞をいただくことは今までなかった。ずっとやさぐれないように気をつけて、自分の仕事をこつこつとやってきた。こんなに反響があることに今は戸惑っています」と話す。江國さんが「絵本はもちろん文学である。文章がついているからではない。絵本においては、絵が言葉だからだ」と評してくれたことに、「うれしかった」と笑顔を見せる。

2人で過ごす最後の日(「海のアトリエ」から 偕成社提供)


 広松さんによると、江國さんが影響を受けた作家の故・今江祥智さん(1932〜2015)はかつて、絵本や童話が文芸全体の中で対等に扱われていないことに対して、いつも疑問を投げかけていたという。「江國さんがこの作品を選んでくれたということも、いろいろとつながりや縁を感じる」

 子どもが1人でも読めるように全ての漢字にルビを振っている。「作品をつくる中で、広松さんと居場所のない子どもたちについてもたくさん話し合ってきた。子どもは、家庭と学校の世界で生きている」と堀川さん。出版の時期がコロナ禍になったのは偶然だが「子どもたちの居場所はますます固定化されてしまっている。ここではない世界や場所があり、未来にいろいろな可能性や出会いがある。受難の子どもたちが生き抜くスキルを見つけるヒントになれば」

 価格は1540円。

堀川理万子(ほりかわ・りまこ)

写真 堀川理万子さん

 1965年、東京都生まれ。東京芸術大美術学部デザイン科卒業、同大大学院修了。画家、絵本作家。絵画作品による個展を定期的に開きながら、絵本やイラストなどの作品も発表している。主な絵本に「ぼくのシチュー、ままのシチュー」(復刊ドットコム)、「おへやだいぼうけん」(教育画劇)、「くだものと木の実いっぱい絵本」(あすなろ書房)などがある。

Bunkamuraドゥマゴ文学賞

パリの「ドゥマゴ文学賞」の持つユニークな精神を受け継ぎ、既成概念にとらわれず、常に新しい才能を認め、発掘を目的に1990年に創設された文学賞。毎年、「ひとりの選考委員」によって選ばれ、選考委員の任期は1年間。これまで、第19回で平野啓一郎「ドーン」(選考委員・島田雅彦)、第20回で朝吹真理子「流跡」(選考委員・堀江敏幸)などが受賞している。江國香織さんによる「海のアトリエ」の選評は公式サイトに掲載されている。