2015年1月、3人で行った竹富島。いつかこの景色の中で…


亡き妻との「思い出の場所」に行く意味

 「最近どうですか?」。何げない会話から始まった、主宰するシングルファーザーのオンラインサロンのオフ会。ビデオ会議システム「Zoom」を通して、「妻との思い出の場所に行ってきたんです!」と一人のパパが話してくれた。

 家族の思い出の場所、あの時と同じ景色の中で、子どもたちと写真を撮る。寂しくなかったですか? 子どもたちの様子はどうでしたか? 同じように悲しみのどん底を味わっているから聞けることがたくさんある。何かが変わるわけではないのかもしれない。そんなことはわかっている。これって親の勝手なのか?と思う時さえある。感じ方はそれぞれだと思います。でも、僕たちは、こうやってひとつずつ悲しみを理解していく。新しい「家族写真」が増え、妻の前で「行ってきたよ!」と報告する。それだけで大きな意味が僕たちにはある。

 「子どもたちは意外と平気でした」と話すパパがいた。子どもたちは、しっかりと理解していて、親である僕たちよりも、平気。平気という言葉があっているかわからないけれど、「ここがママとの思い出の場所なんだね!」と、笑顔でスッと受け入れるのかもしれない。

 「思い出の場所には行くけど、何かの節目にママの写真を持ってカメラの前に立つのはやめました」。そんな声もあった。みんながそれぞれに今も悲しみと向き合い、子どもたちのことを考え、家族の形をつくろうとしている。

僕は、まだ… 泣き崩れるかもしれない

 ちなみに、僕は、まだ、行けていない。妻が僕たちの横からいなくなってしまう、1カ月前ほど前。最初で最後になってしまった3人での沖縄県竹富島への旅行。しばらく続いた入院生活からの久しぶりの外出。太陽に照らされキラキラ光る海と砂浜を見て「まぶしい!」って何度も話し、「まぶしくないかな?」って何度もベビーカーの息子をのぞき込み、気にしていた。

 僕は「楽しみ」をもう少し、先にとっている。これは少し強がっている? もしかしたら、息子に隠れて泣き崩れるかもしれない。こんなもんです。強くなんてない。こんな弱い父親を、息子の日々の成長と、家族、周りの方々が支えてくれている。

 同じ景色の中で、ひとりいないけれど、息子との笑顔の写真を飾れるのはいつになるのか。「パパ、海に入ろうよ!」。多くを思い出し、悲しみにどっぷりとつかってしまっている僕の手を引っ張り、何時間も、きれいな海ではしゃぐ息子の姿が想像できます。(フリーアナウンサー)