心停止直後の「死戦期呼吸」を誤認

 「9月30日は明日香の命日ですが、ASUKAモデルの生まれた日でもあります。命を守る取り組みが続く限り、明日香は皆さまの心の中に生き続けていくと感じています」

 小学校の駅伝選考会中に亡くなった桐田明日香さん=当時(11)=の母・寿子(ひさこ)さん(51)は5月、川越市の小学校の職員研修会で講演した。隣には事故当時さいたま市の教育長だった桐淵博さん(69)の姿が。2人はタッグを組み全国各地で講演し、市教育委員会が作成した「体育活動時等における事故対応テキスト〜ASUKAモデル〜」の普及に努めている。

小学校の校内研修会で教諭らに講演する桐淵博さん(左)と桐田寿子さん=埼玉県川越市内で


 明日香さんの死から5カ月後の2012年2月にさいたま市の事故検証委がまとめた報告書は、現場にいた教員らが自動体外式除細動器(AED)を使わず救命処置をしなかった理由を、心停止直後の生体反応である「死戦期呼吸」を通常呼吸と誤認し、脈拍もあると錯覚したためと推定。対応に「問題があった」と指摘した一方、医療者でない教員に救命を期待するのは困難だと結論付けた。

医師も迷う呼吸 「わからない」なら

 ただ、「困難」で終わらせては再発防止にならない。桐淵さんは、新たな教職員向け救命マニュアルを一緒に作ろうと遺族に提案。話を伝え聞いた心臓や救命の専門家も加わり、同年の明日香さんの命日にASUKAモデルが完成した。

 これまでのマニュアルと決定的に違うのは、倒れた人の呼吸が普段通りなのか分からない時も「迷ったら心肺蘇生」すると明記し、行動を促したことだ。AEDは高価だという意識から触れることをためらう人がまだ多い時期で、画期的だった。さいたま市教委がホームページで公開すると、市内の学校現場を越えて全国で知られるようになった。

「ASUKAモデル」の中に掲載されているチャートの一部。普段通りの呼吸があるか「わからない」場合も心肺蘇生に進むよう明記した


 東京慈恵会医科大教授で日本AED財団理事でもある武田聡さんは15年、この点を蘇生医学の指針である日本蘇生協議会(JRC)のガイドラインに盛り込むのに尽力した一人。「医療者でも呼吸の有無を迷うことがある。分からなくても胸骨圧迫(心臓マッサージ)・AED装着に進めば助かる命がある、と示したのがASUKAモデルの素晴らしいところ」と高く評価する。JRCのガイドラインはアジア蘇生協議会のガイドラインにも盛り込まれ、世界に広がった。

AED使用が増加 救命につながった

 桐淵さんは、全国の救命事例の少なくとも10例がASUKAモデルを参考にしたことを確認。さいたま市内の教育施設での使用件数も明日香さんの事故の前後約5年間で比較すると13倍に増えていた。寿子さんも「『亡くなった』という報道が、『助かった』に変わってきた」と実感する。

 モデル完成前にも、明日香さんの事故を教訓に救われた命があった。2012年5月、福島県で開かれた教員対象の野外研修で、現地にあるさいたま市の宿泊研修施設職員、山下保夫さん(54)が突然倒れた。同僚の福田博志さん(55)はすぐに胸骨圧迫を開始。持参していたAEDで電気ショックを与え、救急隊が到着するまで2時間余り、人工呼吸も続けた。

 山下さんは10日ほどで意識を回復し、後遺症もなく復職。現在は市立大砂土小校長を務める。「感謝しかない。心停止は誰にでも起こり得る。行動する大切さを知ってもらえれば」と話した。

ASUKAモデルとは

  桐田明日香さんの事故を教訓に、さいたま市教育委員会が2012年の命日に完成させた教職員用事故対応マニュアル。倒れた人の呼吸の有無がわからない場合なども迷わず胸骨圧迫(心臓マッサージ)と自動体外式除細動器(AED)装着を行うよう促した点が、当時の一般的対応と比べて画期的だった。現在は市や教育現場を越えて各地で活用され、医学的にも国際的に広がりつつある。AEDは、倒れた人の胸にパッドを張ると自動で心電図を調べ、必要な場合に電気ショックを与える装置。