漫画の聖地「トキワ荘」復活! “ 消滅可能性都市” 豊島区がカルチャーなまちへ

日本のマンガ文化を大きく発展させた、手塚治虫、藤子不二雄、石ノ森章太郎、赤塚不二夫などが暮らした「トキワ荘」が、東京都豊島区南長崎の南長崎花咲公園に再現施設として復活し、話題となっている。
池袋乙女ロードや、東京芸術劇場などの文化施設が多い豊島区は、こういったカルチャーをフックとしたまちづくり「豊島区国際アート・カルチャー都市構想」をすすめているという。豊島区のすすめるまちづくりにおいて、「トキワ荘マンガミュージアム」の誕生はどんな意味をもつのだろうか。

ところで「トキワ荘」ってなんだ?

トキワ荘は1952年(昭和27)12月に、豊島区椎名町5丁目に完成した木造2階建てのアパートだ。現在の住所でいうと豊島区南長崎三丁目で、日本加除出版という出版社の社屋と民家になっている。実物大のトキワ荘マンガミュージアムは、その場所から少し離れた南長崎花咲公園の敷地内に建設された。

正面玄関は、シュロの木とバルコニーがコロニアルスタイルを連想させるおもしろいつくりになっている。当時としてはかなりおしゃれなファサードだったのではないか。

マンガ家たちが住んだ当時のトキワ荘は、四畳半と押入れのみの部屋が、2階に10部屋存在し、共同の炊事場とトイレがそれぞれの階にあった。家賃は1部屋3000円/月だったという。大卒初任給が9000円、うどん一杯30円、電車の初乗り運賃10円ほどの時代だ。
高度経済成長の直前、日本各地から「金のタマゴ」と呼ばれた中卒の若者が、職を求めて東京に続々と上京していたころ。東京の各地に、このようなトイレ共同の木造アパートが、たくさん建てられていた。

再現されたトキワ荘の1階はミュージアムとなっており、内部の再現は2階部分である。

2階部分は、部屋の再現だけでなく、調度品の再現もすごい。トイレなどのエイジング処理(汚し処理)は、今にもにおいが伝わってきそうなほどのリアルさだ(においは再現していません)。

新築のミュージアムとは思えないエイジング処理(撮影/西村まさゆき)

新築のミュージアムとは思えないエイジング処理(撮影/西村まさゆき)

2階炊事場の再現、昭和中ごろの単身者向けアパートでの様子がよく伝わってくる(撮影/西村まさゆき)

2階炊事場の再現、昭和中ごろの単身者向けアパートでの様子がよく伝わってくる(撮影/西村まさゆき)

各部屋の再現も力が入っている。実際に住んでいたマンガ家や関係者に聞き取り調査を行い、どの部屋が誰の部屋で、どんなものが置いてあったのかまで、詳細に調べ上げてある。例えば、鈴木伸一、森安なおや、よこたとくお等が暮らした20号室には、年代物のテレビやステレオセットとともに火鉢があるなど、当時のマンガ家たちの暮らしから、昭和時代の生活の雰囲気を感じることができる。

テレビ、ステレオと火鉢が同居している昭和の雰囲気(撮影/西村まさゆき)

テレビ、ステレオと火鉢が同居している昭和の雰囲気(撮影/西村まさゆき)

手塚に続きぞくぞくあつまる漫画界のスター

トキワ荘にマンガ家が集うきっかけになったひとつは、手塚治虫がトキワ荘に部屋を借りたからだ。1953年、トキワ荘に部屋を借りた手塚は、当時すでに売れっ子マンガ家となっており、関西の長者番付に名を連ねるほどの存在だった。そのため、大阪と東京を行き来する生活をしており、トキワ荘に起居するということはあまりなく、週に数回帰ってきて、仕事をする場所だったという。

手塚がこの地に仕事場としてトキワ荘を借りたのは、当時描いていた出版社のある江戸川橋や飯田橋へ、バスでのアクセスが良かったためと言われている。

トキワ荘の完成とほぼ同時に部屋を借りた手塚は、2年ほど借りたのち、敷金の3万円と机を、富山県の高岡から上京してきた二人の青年に譲って転居する。この二人の青年こそが、のちの藤子不二雄(安孫子素雄=藤子不二雄A、藤本弘=藤子・F・不二雄)だ。

トキワ荘を引き払った手塚は同じ豊島区内の雑司が谷にあるアパート「並木ハウス」に引越した。並木ハウスは現在も存在しており、2018年に国の登録有形文化財に指定された

手塚の住んだ部屋には安孫子が住み、机も安孫子がひきついだ。なおその机は現在、安孫子の実家である光禅寺(富山県氷見市)に保存展示されている(撮影/西村まさゆき)

手塚の住んだ部屋には安孫子が住み、机も安孫子がひきついだ。なおその机は現在、安孫子の実家である光禅寺(富山県氷見市)に保存展示されている(撮影/西村まさゆき)

手塚に続いてトキワ荘には、寺田ヒロオ(『スポーツマン金太郎』などの著作がある)、藤子・F・不二雄、藤子不二雄A、鈴木伸一(小池さんのモデルになったアニメーター)、森安なおや(『赤い自転車』などの著作がある)、石ノ森章太郎、赤塚不二夫、水野英子、よこたとくお、山内ジョージなどのマンガ家が続々と入居する。トキワ荘に集うマンガ家ら(寺田、藤子、鈴木、森安、石ノ森、赤塚に加え、つのだじろう、園山俊二)が中心となって「新漫画党」を名乗り、当時の「子ども向け」マンガ文化の大きな流れをつくっていく。

寺田ヒロオ、藤子・F・不二雄、藤子不二雄A以降のマンガ家たちは、トキワ荘に概ね6年〜7年ほど居住し、切磋琢磨しあった。しかしその後、彼らとは異なる画風の劇画漫画が流行りだし、世の中のマンガ文化の潮流が、トキワ荘のマンガ家たちだけのものではなくなっていく。

1961年ごろになると、マンガ家たちはトキワ荘からほぼ退去してしまったが、赤塚不二夫や石ノ森章太郎など、トキワ荘周辺、南長崎の町に仕事場を借りたり、住んだりした者もいた。

1982年、トキワ荘は築30年が経過し、設備も老朽化したため、建て替えることになった。当時第一線で活躍するマンガ家たちが若いころを過ごしたアパートであることは、マンガファンの間では知られていたものの、一般的な知名度はなかった。一部で惜しむ声はあったものの、トキワ荘は1982年12月2日に解体された。解体される際に保存されたふすまには、後日、トキワ荘に住んだマンガ家たちがマンガとサインを描きいれた。そのふすまは現在、トキワ荘ミュージアムに展示してある。

トキワ荘は、解体されたことによってより知名度が上がったのは皮肉なことである。解体の数年前から、テレビ番組や映像作品などで特集が組まれ、実際に住んだマンガ家たちの手による回顧録のマンガや書籍の出版など、多くのものが世にでていった。

それに合わせ、トキワ荘だけでなくマンガ家たちが暮らした南長崎の町自体にマンガ家ゆかりの地としての存在感がでてきた。新しいアパートに建て替えられたトキワ荘などは、観光バスのルートに入るほど(丸山昭『トキワ荘実録』)であったらしい。さらに時代が平成に入り、トキワ荘のマンガ家たちが鬼籍に入り始めると、いっそう南長崎の町は「マンガの聖地」として注目されるようになっていく。

『まんが道』(藤子不二雄A)などにたびたび登場していたラーメン店「松葉」を訪れるファンはいまだに多い(撮影/西村まさゆき)

『まんが道』(藤子不二雄A)などにたびたび登場していたラーメン店「松葉」を訪れるファンはいまだに多い(撮影/西村まさゆき)

2012年(平成24)、トキワ荘の跡地にモニュメントが完成するなど、近年は南長崎の町を「マンガの聖地」として広く知ってもらおうという豊島区のバックアップもあり「トキワ荘通りお休み処」(2013年)がオープン。そして、トキワ荘の再現施設「トキワ荘ミュージアム」が今年(2020年)に完成した、というわけである。

トキワ荘に関連する書籍や漫画が読める「トキワ荘マンガステーション」(撮影/西村まさゆき)

トキワ荘に関連する書籍や漫画が読める「トキワ荘マンガステーション」(撮影/西村まさゆき)

「トキワ荘」再現のきっかけとこれから

豊島区には、南長崎だけでなく、池袋の「乙女ロード」など、カルチャーに関するスポットが存在し、それらを中心としたまちづくりを積極的に行っている。今回の「トキワ荘マンガミュージアム」の完成は、そんなまちづくりにおいて象徴的な出来事といえる。カルチャーを中心としたまちづくりはどのように始まり、どんなことが行われているのか、豊島区に聞いてみた。

豊島区トキワ荘マンガミュージアム担当課長 熊谷崇之さん(撮影/西村まさゆき)

豊島区トキワ荘マンガミュージアム担当課長 熊谷崇之さん(撮影/西村まさゆき)

――最初に、いちファンとして、(トキワ荘の再現が)よくできたなというのが素直な感想です。あの『まんが道』に出てたトキワ荘が……という感動は名状しがたいものがありました……。

豊島区トキワ荘マンガミュージアム担当課長 熊谷崇之さん「そうですよね、私も『まんが道』を読んでいて、ファンなのでよく分かります」

――豊島区でマンガ・アニメによるまちづくり、まずはトキワ荘に関しては、近年さまざまな施設が相次いでオープンしましたけども、トキワ荘の再現というのはどのような経緯だったんでしょう?

熊谷さん「トキワ荘は、1982年に残念ながら解体されてしまったんです。そのころはまだマンガ文化の存在があまり重要なものとされてなかったんですね。ですが、平成に入ってから1999年に、区議会にトキワ荘復元の署名が提出されました。最初は2000名だったのが最終的には4000名を超える署名が集まりました。それがきっかけのひとつではありますね」

区民だけではない、漫画ファンなどの広い支持があったのは、寄付が約4億3000円も集まったということからも分かるだろう。トキワ荘の再現には約9億8000円の費用がかかっているが、その費用は寄付金からも一部充てられた。

――署名が提出されたのが1999年と伺いましたが、高野区長が豊島区長に当選したのも1999年ですね。高野区長はもともと古書店を経営されていたそうですが、やはりその存在も大きかったのかな、と思いますがどうでしょう?

熊谷さん「うーん、それはどうでしょう。よく分かりませんが(笑)高野区長が言うには、(世界で高い評価を受けている)アニメも、そのルーツはマンガにあるし、さらにその原点でもある場所のトキワ荘などをしっかりと支援していくことは、大切なことだと―マンガステーションなどに収蔵するための資料のマンガの買付けなど、区長自ら赴いてます」

――さすが、古書店の店主だから、そのへんはプロですよね。

熊谷さん「こういった文化施策は、豊島区にある文化を知ってほしいというのももちろんあるんですけど、さらに文化継承の拠点としたいという目論見もあるんです」

――文化継承ですか?

熊谷さん「トキワ荘関連で言えば、『紫雲荘(しうんそう)活用プロジェクト』というのもそのひとつなんです」

紫雲荘とは、赤塚不二夫が住居兼仕事場として借りていたトキワ荘隣のアパートで、現在も当時のまま現存している。この紫雲荘に、マンガ家志望の若者に住んでもらい、家賃などを補助してまちぐるみで支援する、というプロジェクトのことだ。

その町に住む人を支援する取り組みはよく見かけるが、豊島区はマンガ家志望の若者と限定しているところがユニークだ。

紫雲荘は赤塚不二夫が借りていた当時のまま残っており、彼が仕事をした部屋も再現してある(写真提供/豊島区)

紫雲荘は赤塚不二夫が借りていた当時のまま残っており、彼が仕事をした部屋も再現してある(写真提供/豊島区)

――豊島区には乙女ロードなどのアニメ関連の聖地がありますが、東京には秋葉原や中野など、マンガやアニメなどのサブカルチャーを中心に据えた町がいくつかあります。そういった町との差別化というのはしていますか。

熊谷さん「乙女ロードは、その名の通り女性の比率が高いというのはご存じだと思います。豊島区ではいま、南池袋公園の整備や、旧豊島区役所跡に建設した劇場施設『HAREZA池袋』など、ファミリー層や女性が住みたくなるような、女性にやさしいまちづくりを進めているんです」

――なぜ急に「女性にやさしいまちづくり」がはじまったのでしょう?

熊谷さん「2014年に発表された『消滅可能性都市』に、東京23区の中で唯一、豊島区が含まれた……というのが、衝撃が大きかったですね」

消滅可能性都市とは「少子化や人口移動などが原因で、将来消滅する可能性がある自治体」のことだ。定義を厳密に言うと「2010年から2040年にかけて、20 〜39歳の若年女性人口が5割以下に減少する市区町村」というものである。
女性の人口がある一定以下まで減ってしまうと、次世代を担う子どもが増えなくなってしまうというわけだ。

人口約29万を擁し、池袋という巨大ターミナル駅を抱える豊島区が消滅するとは、にわかには信じがたい。しかし、もともと、豊島区の人口比率には「転出入が多く、定住率が低い」「単身世帯が多く、その半数が若年世代」という特徴がある。

実際、豊島区は昔からそういった単身者向けのアパートが非常に多い区ではあった。トキワ荘もまた、若年層の単身者向けアパート、これも、象徴的な話かもしれない。

熊谷さん「街づくりの一つとして公園の整備も進めており、大きな公園ではマーケットを開催したり、小さな公園でも、トイレを清潔で使いやすいものにする……など、細かなところから少しずつ進めているんです」

ミュージアムなど大きな施設の整備だけでなく、公園のトイレの整備など、小さなことの積み重ねを行っている(写真提供/豊島区)

ミュージアムなど大きな施設の整備だけでなく、公園のトイレの整備など、小さなことの積み重ねを行っている(写真提供/豊島区)

こういった細かな努力が実ったのか、豊島区の人口は増え続け、2008年の約24万人から、2020年には約29万人と5万人も増加している。増加に伴い、女性や子どものいるファミリー層の人口も増えているという。

区内に存在した文化遺産で、観光の目玉をつくって終わり……という安直なものではなく、次世代への「文化の継承」も見据えた支援を豊島区は続けている。また、マンガ・アニメを中心とした文化施策が、意外にも女性やファミリー層を意識したものであることが分かった。

「文化の継承」を行うにも、若い世代が育たなければ、そこに施設をつくって終わりとなってしまうだろう。「カルチャーでのまちづくり」と、「女性にやさしいまちづくり」というのは、車の両輪のように一体となって進めることこそが、豊島区が“消滅”しないための戦略なのかもしれない。

●取材協力
豊島区立トキワ荘マンガミュージアム
豊島区 元画像url https://suumo.jp/journal/wp/wp-content/uploads/2020/09/174773_main.jpg

西村 まさゆき