花の季節が駆け足で去り、万緑から土と木の匂い「薫風(くんぷう)」がそそがれるこの頃…自然は季節が移り変わっていることを教えてくれますね。
さて、今日5月27日は「百人一首の日」です。1235(文暦2/嘉禎元)年のこの日に藤原定家によって小倉百人一首が完成されたことに由来します。百人一首のかるた取り大会は、多くの方が学生時代の行事で経験します。懐かしい人、今まさにハマっている人、まだ知らない人…日本の文学史上外せない、和歌の世界へご一緒しましょう。

誰もが知っている?〜人気の和歌と歌人

【花の色は移りにけりないたづらに我が身よにふるながめせしまに】小野小町
【千早振る神代も聞かず龍田川唐紅に水くぐるとは】在原業平
【春過ぎて夏来にけらし白妙の衣干すてふ天の香具山】持統天皇
これらは、「百人一首が分からなくても知ってるランキング」の上位三首です。
三位は【春過ぎて…】の持統天皇、はじめて知ったとき「ころもほすちょう」という音が面白くて何度もつぶやいたものです。二位の【千早振る…】は、最近では少女漫画のタイトル「ちはやふる」(末次由紀作)にも使われて、幅広い世代で人気が広がっていますね。少女漫画と和歌と言えば、【瀬をはやみ岩にせかるる滝川の割れても末にあわむとぞ思ふ】(崇徳院)も、「はいからさんが通る」(大和和紀作)の中で重要なモチーフとして描かれていましたね。女性と和歌の深いつながりを感じます。


女流文学の先駆者であり、謎の美女・小野小町

いにしえの時代、漢字は男性、平仮名は女性の使うものでした。女性は思うことを言葉にすることをよしとされませんでしたが、唯一、和歌の中では大和言葉(平仮名)により心の内を表現することができました。
小野小町の【花の色は…】は、その最たるものと言えるでしょう。現代のランキングが示す認知度もさることながら、古今集・仮名序で知られる紀貫之や、和歌の達人・西行法師など、小町以降の多くの歌人へ影響を与えているのです。
小町と言うと美貌に注目が集まりがちですが、唯一の女性歌人として六歌仙に名を残し、実力も当時から認められていました。彼女については、多くの研究が重ねられていますが、生没などのプロフィールについてはわからないことが多く、晩年の不遇説や、長命説など様々な伝説が生まれた所以と言えます。

「花の色は…」桜ではなかったかもしれない?

その作風は、実はかなり哲学的だったことも研究されています。
前出の【花の色は…】についても、その大筋は、「花(桜)の色」を小町自身の容色(若さと美)になぞらえ、「移りにけりないたづらに我が身よにふるながめせしまに」は…「物思いにふけっているうちに、花(桜)が色あせるように私も色あせちゃったわ」という解釈が一般的です。
が、しかし…「花の色」は特定の花を指すのではなく、当時の漢詩で使われていた「花色(かしょく)」=女性の容色の意味という説があります。そう考えると、この歌はもっと違う解釈ができそうです。花が桜でないなら、雨はいつの季節でしょう。雨音を聞きながら外を眺めている自分の来し方を小町ならではの演出により詠われたのかもしれません。

「あはれてうこと」という日本的感性

小町の代表作に【色見えで移ろふものは世の中の人の心の花ぞありける】があります。解釈は「自然の草花の移ろいは目に見えるけれど、人の心の花は目に見えぬままいつの間にか色あせ、なくなってしまうのね…」となり、恋や夢を詠うと見せつつ、生きることそのものを歌を通して表現していたことが表れていると言えます。
仏教にも造詣が深かった小町は、法会(ほうえ)の願文(がんもん)や催馬楽(さいばら)の囃子ことばであった「あはれ」という感動詞を、「あはれていうこと」というバリエーションの形で表現しました。
小町は常に「生きているってなんていうことなのでしょう!」という感動を持ちつつ、夢と現実の間にある『何か』を和歌に託していたことがうかがわれますね。