立春から起算して210日目の二百十日、220日目の二百二十日、旧暦八月一日の八朔は、稲穂が実り、収穫に入ろうとする寸前に大風(台風)が襲来して大打撃をもたらすことが多いことから古くより農家の三大厄日とされてきました。
例年ですと(新暦)9月1日になることの多い二百十日は、閏年で一日多い今年は今日、8月31日(ちなみに二百二十日が9月10日、八朔が9月17日)になります。8月下旬から9月下旬は台風シーズンと米や果樹の収穫期が重なるために特に警戒され、中でも二百十日は、夏目漱石の小説「二百十日」、さらに戦後に9月1日が「防災の日」となったことから、特筆されることの多い日です。

大風がやってくる!二百十日にこめられた人々の畏敬

二百十日は、史上初の正式な官製和暦である貞享暦(1685〜1754年)にも1688年から記載されています。
実は編纂主導者の渋川春海(しぶかわ はるみ・しゅんかい)は、当初は古来民間でなりわいの目安・基準として使用されてきた指標(明治以降雑節と呼ばれるようになるもの)を記載していませんでした。言い伝えでは、伊勢地方(三重県)のある船乗りが奉行所を通じ、「八十八夜を過ぎて天気始めて温、海路和融す。二百十日前後、必ず大風有り。暦は民用に便なるを以て先となす」と、暦にこれらの指標を組み込むように強く願い出たため、暦注として採用されることとなりました。
農家にとって丹精こめた農作物への被害は深刻ですが、船乗りたちにとっても秋の台風は生死に関わる重大事です。彼らが暦に大風の特異日を入れるように要求したのは当然といえますし、稲作とともに漁撈(ぎょろう)は日本の最重要な産業だったことや、当時の経済に海路による物流が極めて重要だったことも認識させられるエピソードです。
現代でも二百十日ごろには、全国各地の神社で暴風を鎮め豊穣を祈願する風鎮祭(風祭とも)が行われますし、ことに9月1日から三日間行われる富山市八尾の「越中おわら風の盆」は全国区で知られる有名な風鎮祭です。江戸時代元禄期ごろにはじまったとされる祭りのドラマチックな名称も、町流しの踊り手たちの踊りも、哀調に満ちた囃子の音も優美で、「風」を主役とした祭りにふさわしく、観客を魅了してやみません。江戸時代文化年間に隆盛となって今に伝わるおわら節の古謡の一節に「二百十日に風さえ吹かにゃ 早稲の米喰うて おわら 踊ります」とあり、古来人々が二百十日の厄日にこめた恐れや祈りが見て取れます。

風鎮祭として江戸時代から続く幽玄な「越中おわら風の盆」
風鎮祭として江戸時代から続く幽玄な「越中おわら風の盆」


二百十日を素材にした「風の又三郎」。そのモチーフは意外な場所だった

二百十日を題材にした創作といえば、先述した漱石の「二百十日」が有名ですが、より愛読者が多いのは宮沢賢治の「風の(野)又三郎」(1934年刊行)ではないでしょうか。
岩手花巻の村の小学校に、9月1日、つまり二百十日に赤い髪の不思議な男の子・高田三郎が転校してきます。三郎は、風の精であり妖怪でもある「風の三郎(物語中では又三郎)」が化身したものだとささやかれるようになり、実際子供たちを毎日トラブルに巻き込んでいくことになります。そしてわずか十日あまりの二百二十日が過ぎてすぐの嵐の朝、忽然とまた転校してしまう、という物語。
舞台設定は花巻ですが、風の精・又三郎のモチーフは、賢治の盛岡高等農林学校時代の親友で、賢治に創作への多大なイマジネーションを与えたともされる保阪嘉内(1896〜1937年)が、郷里の山梨県韮崎市で信仰される「風の三郎」の伝説や、三郎風(八ヶ岳おろし)が吹き降りてくるとされる「風の三郎岳」(権現岳ともギボシ岳とも仮説が提示されています)について語り聞いたことが下敷きになっています(物語中にも、賢治が訪れたことのない山梨県の地名が出てきます)。
1910年、地球にはハレー彗星が最接近しており、嘉内は中学生の頃に見た夜空にたなびく彗星を、「銀漢を行く彗星は 夜行列車の様にて 遥か虚空に消えにけり」と記したスケッチを賢治にも見せていて、後にこのイメージは、「銀河鉄道の夜」へと結実しています。
山梨の風切りの里と呼ばれる北杜市高根町の山中には、今も暴風雨消除祈願の「風の三郎社」と呼ばれる小さな祠があり、「又三郎」の隠れた聖地としても知られています。
いわゆる三郎風というのは、東北や北陸、山陰、中部の山岳地帯で信仰されていることからも、山から下りてくる秋から冬にかけての寒風、暴風のことで、南の海から押し寄せてくる熱帯の暴風=台風とは本来異なる性質・由来の風といえます。が、「風の又三郎」によって、二百十日の風(台風)と、三郎風は結びつきます。そしてこれは、日本神話と不思議な一致・符号を見せ、「では一体なぜ風は『三郎』なのか」という問いへの、ひとつの解答にもつながっていくのです。

「風の又三郎」のモチーフは意外にも中部地方の山岳地?
「風の又三郎」のモチーフは意外にも中部地方の山岳地?

やんちゃな三男キャラ=三郎の元祖は、日本神話随一のヒーローだった?

なぜ災害をもたらす暴風を、古来「三郎」というのか。時代劇の「暴れん坊将軍」でも徳川吉宗が「俺は旗本の三男坊」とふれてまわることでもわかるとおり、三男坊は気楽な立場で、やんちゃで無責任な狼藉者の代名詞のようなイメージで語られてきました(実際には三男坊は冷遇されることが多く、抑圧を強いられることが多い立場でしたが)。
これが、あちらへこちらへと思うままに吹きすさび、人々が大切にしているものをいとも簡単にぶっ壊して、そ知らぬ顔で立ち去っていく「風」と結びついたとしても不思議ではありません。
そして実際、日本神話には「やんちゃで狼藉者の三男坊」の神が登場するのです。国生みの神・イザナギ(伊弉諾神)が生んだ三貴神の末弟、スサノヲノミコト(素戔嗚尊)です。
三貴神(アマテラス、ツクヨミ、スサノヲ)は、アマテラスが女神とされるためにスサノヲを三男とするのは疑問に思われるかもしれませんが、そもそもアマテラス(ヒルメムチ)の性別は記載がなく、本来は男神であったものが、女帝・持統天皇の御世に、女帝を正統化・権威化するために女神へと変貌した経緯があります。
風の神といえば、イザナミが朝霧を払おうと吹いた息から生まれたとされる級長戸辺命(シナトベノミコト)がありますが、信濃(長野県)の地名とも関係するとおり、これこそが北・山から吹き降ろす風の神格化であろうと推察できます。
「しな」とは「し」が息、「な」はもともと「なが(長)」で、「息長(しなが)」が語源とされますが、急峻な坂をも意味します。人の息(命)の消長を今も「今夜が峠」などと、坂と関連する言葉で語るとおり(あの世とこの世の境にあるのも黄泉比良坂 ヨモツヒラサカです)、動悸や呼吸と坂とは強くイメージが結びついているのです。
一方、イザナギの鼻(呼吸器)から生まれたスサノヲは、イザナギに「海を治めよ」と命じられたことからも、海洋と関係していることがわかります。ところがスサノヲはこれを拒否し、泣き叫んで「母のいる根の国(山陰〜朝鮮半島)に帰りたい」と駄々をこねて暴れるのです。このふるまいは、南の海で凶暴に発達して北上してくる初秋の暴風雨=台風そのものではないでしょうか。
北風由来のシナトベノミコトと南風由来のスサノヲという二つの風の神。しかし、風の神の代名詞である「三郎」のキャラクターに結びつくのはシナトベではなく、スサノヲなのです。「風の又三郎」で、高田三郎がおこす騒動は、「六月晦大祓(みなづきごもりのおおはらひ)」で記述されるスサノヲの高天原で行った数々の狼藉(天津罪)と似通っています。
スサノヲは、天斑駒(あまのふちこま)を殺して生剥(いきはぎ)にして殿内に放り込みますが、三郎は嘉助とともに一郎の兄が働く牧の馬柵を壊し、馬を脱走させます。
スサノヲは、作物の生長を妨げる頻播(しきまき)を行いますが、三郎は専売局のタバコ畑の葉をちぎりとり、激しくとがめられます。
スサノヲは、他者の畑に杭を立てて、畑の所有を簒奪する串刺しをしますが、三郎は、鉛筆を兄の佐太郎にとられたかよに、自分の鉛筆(杭)を黙って譲渡します(これを見ていた語り手の一郎は、それが善行にもかかわらず、なぜか歯軋りするほど「変な気持ち」になります)。
スサノヲは、アマテラスの田の畦を壊して水を流出させる畔放(あはなち)を行いますが、三郎は耕介が見つけた山葡萄を木に登って貪り、耕介にその汁を落として悔しがらせます。
スサノヲは、神聖な新嘗の神殿に糞戸(くそへ 脱糞)をして汚しますが、三郎は耕介に屁理屈の議論を仕掛けて嘲笑い、自尊心をへし折り、屈辱を味あわせます。
スサノヲは、田の灌漑路を壊す樋放(ひはなち)を行いますが、三郎は、大人たちの行った発破で気絶した魚を生簀に囲う遊びをしていた子供たちを尻目に、自分が捕らえた魚を川に放ち、皆を変な気持ちにさせます。
完結した「高天原」や子供たちのコミュニティに飛び込んできたスサノヲ、三郎は、異分子であることにより、悪意のあるなしに関わらず、「罪」を犯す=風を巻き起こすことになるのです。トリックスター(安定した秩序を撹乱する神話類型のキャラクター)としての三郎は、日本文化の中で必然にスサノヲ的な行状となる、とするならば、「風」という撹乱者としてのスサノヲと三郎の共通性、そしてスサノヲが紛れもなく三男=三郎であることを、宮沢賢治という天才の直観を通して、ユングの「集合無意識」(人類、もしくは民族に共有される時空を超えた潜在的感性)を証明する興味深い事例ではないでしょうか。

スサノヲは熱帯からの暴風雨を神格化したものとも
スサノヲは熱帯からの暴風雨を神格化したものとも

参考・参照
風の又三郎 宮沢賢治 岩波文庫
越中おわら節 歌詞
おわら風の盆の来歴

訪れる秋を告げるように風にゆれる風知草(かぜくさ)
訪れる秋を告げるように風にゆれる風知草(かぜくさ)